日々の暮らしにある当たり前を愛でる力=ゆたかさ力
ゆたかさ。
ただ思いついたまま書きます。
ゆたかさは
『日々の暮らしにある当たり前を愛おしく感じて生きることで見出せるもの』なのかもしれない。
私が『ゆたかさ』について考え始めたのは
20歳のころ。中国留学中に友達と農村部とチベットに旅行に行ったことがきっかけで『ゆたかさ』って何だろう?と考え始めた。
その時までは「物質的なゆたかさ」にしかまだ目を向けられていなかったように思う。でも、農村やチベットに暮らす人々や美しい自然を目にしてから私の「本当のゆたかさ」への追求が始まった。
31年の人生の中で、わたしが大きく変化したのはまさにこの「本当のゆたかさ」への追求が始まってからだと思う。
この「本当のゆたかさ」への追求が
日々やっている「自己対話」と結びついて
過去・現在・ 未来の自分が繋がってく気がしている。
誰かの基準で豊かだとかそうでないとかを決められるものではなく、
ゆたかさというのは
『ひとりひとりが生まれながらにしてみんな持ち合わせているたからもの』みたいなものではないか。
特に『こころのゆたかさ』に関しては、
誰かに与えられたり、
自分の外にあるものではなく、
自分の核に近づいたとき、
ぴたりとハマった時に
感じるなにか。
『経済的なゆたかさ』は
物質的に満たされていくことができるかもしれない。もちろん経済的にゆたかであることで得られることもたくさんある。だけど、『こころのゆたかさ』が失われてしまっていればどこか寂しさを感じるものなのかもしれない。冒頭に書いた『日々の暮らしにある当たり前を愛おしく感じて生きていれば』別だが。
日々の暮らしにある当たり前のことを
確かに感じて生きることは誰にでもどんな環境のひとにでもできること。
みんなに平等に与えられているのが『本当のゆたかさ』かもしれない。
これからは『日々の暮らしにある当たり前に気づけば気づくほど、愛おしくなればなるほど、ゆたかになっていく』はず。
チベットで見たあの美しい自然、無邪気な笑顔、温かい人々の心を思い出した。
それが『ゆたかさ』だとわたしは信じたい。
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