なしょこ。へ:私の左手のおはなし
【2がつ18にち(かようび)/はれ】
なしょこさん。やっほー。昨日、こっちでは雪降ってたよ〜寒いね。
交換日記、始まったね!
早速早速面白い人を紹介してくれてありがとう♪
記事が面白すぎて、読みながら笑っちゃったよ。笑
奈美さんは奈美さんにしかできない、絶妙な関わり方、視点を持っているね!
その関わり方に共感する人が多いのは、
弟の良太さんを
「素のままのメガネで見ているから」
「障害というフィルターを通さずに、その人自身に興味を持ってみているから」
じゃないかな。
なしょこさんは
「そういう人に正直どう接していいかわからないと迷うこともある」って書いてたよね?
私ってさ、そういえば生まれつき左手の中指の第一関節より上と、薬指、小指がないじゃない?
でもなしょこさんは、指が無いことを気にして私と関わっては無いと思うんだよね。
そんな感じだよ!
障害の度合いも困難さもできることも、バックグラウンドも全て違うから
たくさんの視点はあるし、色々いう人もいるけれど、
基本は
「できないこと、不得意なことは誰かにヘルプを出すし、
できること、得意なことで誰かに貢献したり、自分を活かしていけばいい」
と私は思ってる。
それって障害を持ってる人もそうでない人も一緒だと思わない?
生まれつき指がないことで、
いじめられたり、皆とおんなじようにできないこともあったけど、
例えばさ、あやとりはできない(笑)
あと楽器系もやりたいけど、ちょっとネック。
リコーダーは分解式のやつでやってた。
自分はかわいそうとか思ったことないし、
(周りには言われるけど・・・なんでかわいそうなんだろう?って子どもなりに思ってた・・・)
手術して指つけることも可能だけど、
「そんなことしたら私じゃなくなるじゃん。」って主張できるくらい当たり前なんだよね。
前職の時にさ、
「指がないことを乗り越えてるんだから、強いはず。頑張れるはず。」的なニュアンスで叱咤激励されたことがあったんだけど、
「それは違う」
「指がないから強いわけじゃない」
「自分と向き合い続ける努力をしてきただけ」
ってどこかで「指がないこと」のフィルターをかけられたりするの。
だから私はね、今発達障害の子どもさんやダウン症の方、その保護者との関わりの中で意識するのは、
「その人のそのままの良さや活かせることはなんだろう?」ということ。
「何に興味を持っているんだろう?」とかその人の心に部分に目を向けること。
「かわいそう」とは1mmも思わない。
(心が病んでたり、辛い思いをして、生きづらさを感じてる時はもちろん共感はしてるよ!笑)
もっともっと社会全体が
「いろんな人がいて当たり前」になっていくといいな。
そのためにできることをしていこう!っていうのが
あの留学の頃から変わっていないことなのかも?って振り返って思ったよ。
なしょこさんの言葉。まさにそう思う!
障害・バックグラウンド・人種などに関わらず。
奈美さんみたいに、フラットに(なんなら相手の良さを見つけながら)人と関わる人生って、とても豊かで優しい世界だよね。
今ね、自分研究を進めてるとだんだん自分ってなかなかめんどくさいやつだな〜とか思うことあって、
私と夫さんの場づくりの先生のこの記事を読んでて、
次どう進んでこう?って改めて考えさせられた。
比較的我慢できず「去る」パターンの人間だけど、
この部分を深く向き合うときがきてるのかな〜とか思ってさ。
なしょこさんはね、きっとここの壁を破って今があるんだろうな〜って思うんだけど、読んだ感想、聴かせてほしいな〜。
これ、結構書くね。笑
いつも何時間も語るくらいだから当たり前か!
それじゃあまたね!
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