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【わたしの2024】 生きるってこうじゃなきゃ

2024年の大晦日、この言葉がまだまだしっくりきていない尺菜和子です。
本当に2024年ってあったのだろうか、と疑いたくなるほど、あっという間に過ぎ去った1年でした。あっという間に過ぎ去ったと言っても、流れていったというわけではなく、「本当に1年の内で起こったこと?」と疑問が湧くほど大充実の1年で、信じられないという表現の方が正しい気もします。


美味いもんを胃に放り込みまくった2024年。
ビューティフルすぎる景色を目に焼き付けた2024年。
「笑えれば / ウルフルズ」を歌いながら帰る時間が好きになった2024年。
おおきな口を開けて笑い、想いが溢れて泣き、まだまだと自分を奮い立たせ続けた2024年。
かけがえのない、この先離れたくないと思えるほどの仲間たちに出会えた2024年。

2年ぶりに日本で過ごす年越し。年末でさえ、ゆっくりとできているかは分かりませんが、2023年に引き続き2024年も振り返っていきたいと思います。

(拙い文章だけど、2023年のも是非読んでみてね)




かるーーーく振り返り2024年

・オランダでインターンしてたよ。オランダ国内をぐるぐるしてたよ。
・高校を卒業しました〜
・ギャップイヤーはじまる
・ベトナム、楽しすぎ。刺激的すぎ。
・project:ZENKAIにカムバック
・「世界青年の船」
・キャパる。
・韓国。沖縄。鹿児島。札幌。京都。児島。神戸。和歌山。福島。山形。

いやああああ。走り切った。
オランダにいたのって、高校卒業したのって、今年だったのかと驚くくらいには、もう遠い出来事。
今までにはないくらい、カレンダーが毎日カラフルで。
とにかく笑って、笑って、悩んで、泣いて、やっぱりまた笑って。
「生きるってこうじゃなきゃ」が詰まった1年でした。


薄まる記憶を手繰り寄せて

さあ、そういえばどこにも明記していなかった私のオランダライフ。
私の悪い癖なのですが、口で語るばかりで、文字にしていなかった。

ちょこっとだけ2024年に入ってからのオランダ生活を振り返ると、北欧地域独特の「ゆったりしているけど、なんでか大充実」みたいな日々でした。
別に大した事をしていたわけじゃないんです。

オランダ最北端の村に住んでいたときは、雪道を滑らないように学校に向かい、子供達のソリを引っ張りながら何往復もしてクタクタで。帰宅をしてからは、ホストファミリーと最近の時事なんかについて語り合う。たまにおばあちゃん家に行っては、暖炉の前でぬくぬく。
今度はちょっと南の町に降りての生活。鶏がコケコッコーと鳴くのを横目に自転車で学校に向かい、そこでは先生と生徒のコミュニケーションに神経を巡らせる。放課後の先生の仕事まで手伝わせてもらって、帰宅したらやんちゃ三兄弟と対峙。全てを終わらせた夜は、ホストマザーとゆったりティータイム。
みたいなみたいな。日本でもできるけど、忙殺されてなかなかできないであろう事を、現地の人々の力を借りて、日常なんだけど非日常みたいな、ある意味夢のような生活を送っていました。

前述した通り、何をしたっていうわけではないんです。
もちろん教育や社会のシステムを学んではいました。
ただ、私の中で理想のバランス(仕事と生活のバランス、都市と地方のバランスetc)が取れた生活を送れたことが魅力的で。
いつかオランダに舞い戻るぞと決意するくらいには、好きな国で、好きな”生活”の在り方がそこにはありました。

何者でもない自分

オランダから帰ってきて、高校を卒業して、4月からはギャップイヤーというのをとっていました。
ギャップイヤーというのはなんだ、というそこのあなた!ネットから引っ張ってきましたよ!!

A gap year is a break from academics, typically taken between high school and college, or between college and entering the workforce. It can be a time to discover yourself, consider your future, and gain new skills and experiences.

ギャプイヤーは、高校卒業後や、大学卒業後の就職までの間に、学業から一時的に離れること時間を作ること。自分自身を見つめ直したり、将来について考えたり、経験やスキルを磨くなどに時間を使えます。

日本にはまだまだ浸透していない文化ですが、イギリスやカナダなど多くの国で実際に制度としてあるものです。日本では、積極的浪人と表現したりするのかもしれません。
そして、全くの余談ですが、今の私の状況を受け入れてくれて、おもしろがってくれる人が有難いことにものすごく多くて。最終的に、ギャップイヤーを周りの人に説明しすぎていた結果、私の仲間たちが私の代わりにギャップイヤーの説明をしてくれることが増えまして。なんだか嬉しかったです。

さてさて話をすこーし戻して、高3の7月、次の一年は学校という機関には所属しない一年にしようと決意しました。
ギャップイヤーをとろうと思った意図としては二つ。
①日本を堪能しようの巻
思えば去年は一年の半分も日本にいませんでした。なかなか日本の友達との時間も取れていなかったし、あまり地方や自分の地元を含めた”日本”を感じれていなかった。
日本の外に飛び出しても、結局日本が大好きで、何かを学んでもどう日本に持ち帰るかを常に考えていて、日本語を話すことに安心感を覚えるのも確かで。
外に出て改めて私は日本を軸に生きていきたいのだと感じることができました。
だからこそ、今ここでそのまま別の地域に拠点を置くのはもったいないと思ってしまいました。

帰りたいと思える場所をたくさん作ろう、好きだと言える場所をたくさん見つけよう、日本に人や想いという土台を残そう、と思ったことがきっかけで「ギャップイヤー」という選択肢を取ることにしました。

②何者でもない私で勝負の巻
これは人と話す中で気づいた私のこの時間に対する思いなのですが(いわば後付けです笑)、私は意外と今の「肩書きがない状態」にワクワクしていたみたいです。
何もしていなかったらただ何もしていない人になってしまうスリルとか、逆に何かをしていれば「大学生なのに」とかそんな枕詞なしに私自身を評価してもらえたりとか、何にも縛られずただ好きな事に全力直球できたり。
意外に肩書きのないタイミングなんてこの人生ほとんどないんじゃないか、と。だったら、何にも縛られないまま、思う存分、自分に従順でいてやるよという、ギャップイヤーを取ることは、そんな宣言に近いものだったかもしれません。
何者でもないその過程で、”自分の本当”みたいなものを見つめ直せたらいいな、と思っていました。

ギャップイヤー自体は、まだ終わりではないので、ここに今のこの時間に対する気持ちを置いておいて、また改めて区切りのタイミングで振り返りできたらな、と思います。


全開で生きていく

さて、2024年を語る上で、これは外せない、「project:ZENKAI5期」

高校1年生の時に参加したproject:ZENKAI。思えば、これが人生の大きな転換点だったと思います。
このプロジェクトに参加していなかったら、ここでの素敵なご縁がなかったら、多分でしかないけれど、転校や高校生での留学、ギャップイヤーという選択を取れた自分はいなかったと思います。

そんな思い入れたっぷりのZENKAIに、今回は参加者である高校生たちに伴走するTAという立場で、カムバックしました!!
3ヶ月のあれこれは本当に言い出したらきりがないですが、とにかくこの期間の私は人に向き合うことに、自分に向き合うことに、”本気”でした。それは、手応えなんかなくて悩んで、どうしようもできなくて泣いて、この人たちとの時間が少なくなるのかと寂しくなって、全ての感情が色濃いものだったから、本気だったとしています。

その中で、自分の心の中にあり続けた感情はある種の「恐怖」でした。
前述した通り、ZENKAIに、そこで出会った人々に人生を変えられた私。
私は、「これが人の人生を変えうること」を身をもって知っているのです。
だからこそ、自分の一言の重さや向き合い方の重要さを誰よりも感じていたし、それがプレッシャーでもありました。どのタイミングでも、人と向き合う事ってこういうことか、、としみじみと感じていました。
そんな恐怖を払拭したのは、「私として、TAとして、ここにいる意味」をみんなが伝えてくれたからです。
これで合っているのか、と思い続けていた私に、「ななこさんがいたから」なんて嬉しすぎる言葉をくれたあなたたちがいたから、私は私自身がやってきた事を認めてあげる事ができました。本当にありがとう。

そしてそして、このZENKAIに参加して得た一番の宝物っていうのは、やっぱりご縁です。
友達なんだけど友達じゃない、それを超越するような仲間に出会えちゃった事が、2024年の最大のハイライトかもしれません。
彼らとは先程挙げたほとんどの感情を、言葉にできないところまで、共有していたと思います。
互いに向き合いたくないところ、もしかしたら人に見せたくないところまで、自分たち自身でも一緒にも、とことん真剣に向き合った。
一緒に濃い時間や感情を乗り越えてきた感覚があるからか、自分でもなかなかにびっくりするくらいに、全員が大好きで、何かあったらこの人たちに話したくなっちゃうんですよね。
みんながいてくれた事で、いつでも私が私として帰れる場所がまたできた気がして、常に幸せを噛み締めていました。
読んでるはずだよな、全員、愛してるぞ!!!本当にありがとう!!!

大好きな仲間たち


総じて、この”やりきった”という経験とかけがえのない仲間は、この先何十年も生きていくであろう人生の確実に糧になるものでした。
ある同期が言う、「人生を生き抜くための体力」です。
この思い出があればしばらくは大丈夫、こいつらがいれば私は大丈夫、そんな事を思えてしまうくらいに、かけがえのない3ヶ月、半年でした。


二○二五に向けて

2024年出会ったくださった皆様、あいも変わらず私に付き合ってくださった皆様、本年もありがとうございました。
You all made my daysでした。(いい日本語訳が思いつかなかったのでこのまま)

まだまだ2024年に後ろ髪を引かれる思いの私ですが、2025年はやってきます。
年が明けてすぐは船に乗るし、また拠点を変える予定でもあります。
2025年も自分らしく色をつけていきたい、欲を言えば、今まで選択肢になかった色も見つられたらいいな、と思います。

この一年があるから大丈夫。

そんな根拠のない謎の自信と共に2025年も、相変わらず全速力で走ることができればと思います。

本年もありがとうございました!!
では、皆様良いお年を!!!


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