【過去日記】神風(カミカゼ)が吹くのは運が良くて選ばれた人だけなのか?
2021/5/25の記事より
神風(カミカゼ)が吹く
神風をおこす
私は長い間、この神風というものは好きなことさえやっていれば勝手に吹くものだと思っていた。
好きなことに夢中になってたら、自らがあえて何か働きかけなくてもあれよあれよという間に起こり出す好転の流れ。
「奇跡の風に連れてかれる」
そんな感じのやつ。
ただ好きなことだけやってさえいれば、まあ運もある程度は関係あるのかもしれないけれど、そのうちいつか神風が吹く。
ずっとそんなふうに思っていた。
そして一応自分も好きなことをやっているうちの1人だと思っていたから、
私に神風が吹くのはいつだろう
と、ずっと待ってた。
でも少し前にある方の記事を読んで衝撃をうけた。
「行動をおこす人に神風はおきる」
長い間、
どうして私には神風がおきないのか。
どうして好きなことだけしてるあの人や、
あの人やあの人やあの人ばかりに神様は追い風を吹かすのか。
どうしてわたしの現状はずっとおもしろくないままなのか。
ずるい、ずるい、ずるい、ずるい
幸せなフリして心の中はそんな拗ね拗ねモード全開だった。ずっと拗ねてひねくれて斜めに構えていた。
恥ずかしい・・
"好きなことをやっていく"
ということには必ずそれにまつわる
"やりたくない面倒くさいこと"
が付随する。
今までの私はその面倒くさいことをすべて見ないようにして、なかったことにして、徹底的に避けてきた。面倒くさいことは好きじゃない。
行動を起こす人にしか神風は吹かないのなら、そりゃあ私には吹かなくて当然だ。
自分は好きなことをやっているのだからいつか神風が吹いてなんかわからんすごい世界に行けるんだと思っていたけれど、でもそれってよくよく考えてみれば、
本当に欲しいのは「好きなことをやって生きる」ということではなく、ただの「なんかわからんキセキ」の部分やん?ミラクルが欲しいだけやん?
そしてさらに今思えばその好きだと思ってやっていたことさえも、別にそんなに好きではないことだったなどと思ったりする。
どうしたいねんオマエって感じ。我ながら。
「好きなことで生きていく」には「面倒くさくてやりたくないこと」もセットだ。
ミスドのオールドファッションシナモンが食べたいと思ったら、店舗に買いに行くか、ネットで注文するか、誰かに買ってきてもらうか、レシピ探って自力で作るか、、、
何かしらのアクションは起こさねばならない。
面倒くさいからとソファでうたた寝してては一向に食べられない。
そういうことだきっと・・・。
そんないろんな要素がセットになった「好きなことをする」というアクションの先にきっとキセキの風が吹くタイミングがあるのだろう。
甘かったなぁ、あの時の自分…
「やりたいこと」にどんなに「やりたくないこと」がついていても、やりたいことをやって行くために
まずは一歩踏み出そう
2021 . 5 . 25 の記事を加筆修正
ずいぶん昔に別サイトで書いて埋もれて朽ちてしまっていたいくつかの過去記事を見つけた。誰のためにもならないくだらない記事かもしれないけれど、自分がやってきたこと、感じてきたことの愛すべき歴史だな… と思い、せっかくなのでリライトして生まれ変わらせ少しずつ投稿することにした。そんな過去記事のひとつ。