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コロナ自粛で見つめ直す、本当のゆたかさとは?

noteのお題に「ゆたかさ」ってなんだろう?というのを見つけた。しばらく前から、幸せってなんだろう?と考える機会が増えていた私にとっては気になるお題だった。

コロナ自粛は日本中、世界中の人に影響を与え、程度の差はあれど誰もが今までとは違う暮らしに直面した。仕事は在宅ワークになり、家からあまり出ないような生活になり、楽しみ方やお金の使い方、コミュニケーションの取り方までも色んなものが少しだけ変わっていった気がする。そうする中で、「ゆたかさ」や「幸せ」についても考え方が少し変わっていったのは確かだと思う。

素朴な疑問。ゆたかさも幸せも似てるような気がするけど…。

正しくいうと、ゆたかさについて考えていくと、幸せを考えることと繋がっている気がする。
いろんな人のnoteを見ていると、お金がいっぱいあっても、どんなに物がたくさんあっても、だからと言って幸せではないということが書かれていた。つまり必ずしも「豊かさ」=「幸せ」ではないらしい。うすうすそれに気づいている人も多いと思う。けどやはりお金がないより、あった方がいいなと思うのは普通。不幸になりたい人なんていないのと同じように、乏しくなりたいひともいない。

それに「幸せ」は目に見えない分、自分でも何が幸せなのかわかりづらい。豊かさ=幸せの構図ならとてもわかりやすい。だから、豊かな暮らしに憧れるのは自然な考えなんだろう。


そもそも豊かの定義とはなんだろうか?

私のなかで豊かとは、必要十分もしくはそれ以上に何かがある状態だと思う。私の場合お金に余裕があるわけではないし、欲しいものがあっても、行きたいところがあっても、我慢するしかない。だから自分は全然豊かじゃないと思っていた。でも幸せだとは思う。
豪華な暮らしはできないけれど、家に帰れば妻がいて子供がいて、くだらない話をしながら笑いあえる。これはこれで幸せだと思ってる。だからこれまでもゆたかさ=幸せではないんだろうなと感じていた。

自分は豊かじゃない。でも幸せ?

自分で書いていながら、これはやっぱりおかしいと思った。自分が欲しいものが手に入らなくても幸せなんておかしい。

本当は、
今幸せと思うのなら、それは既に充分ゆたかなんじゃないかと思う。

ゆたかの基準(必要十分)は人によって違う。
お金も物も、足りない人は幾らあっても足りないという。ほとんどなくても、足りる人には足りる。じゃあ自分にとっての必要十分とは一体どのくらいなのか?それは幸せだと感じられるかどうかなのかもしれない。

ということは

豊かだから幸せなのではなくて、幸せだから豊かなんだと思う。ややこしい

自粛生活があるから気づけた幸せ

今回のコロナの影響で、多くの人が恐怖や不安を感じたはず。でもその分、小さな幸せを感じた人も多いのかも?私自身も、隔離された不自由な生活をする中で今まで気づけなかった小さな幸せを感じる機会が度々あった。たぶん今までは、周りの人と比較する中で幸せというものを考えていた。だから自分の幸せが何か?にも気づけなかったし、自分が好きなことやもの、小さな幸せなんて見落としていたのかもしれない。

自分にとってちょうどいい幸せの程度をあらわすもの。それが「ゆたかさ」とは何か?の答えかな?

考えていけばいくほど奥が深い。なかなか伝わりにくい文章になってしまったけど、今の自分にとってしっくりした答えはこれだった。

後から調べたら本当は精神的豊かさと呼ばれるもので、物質的豊かさの対象にある考え方だった。


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