松本いおりさん『彼の散歩と私の日常』×ならざきむつろ=『ふわふわ』

ども、ならざきです。 

あ。っと。
いちおう但し書きを書いておきます。

私が小説作品とセッションするとき、そこで出来上がった作品は基本的に『二次創作』作品として考えています。
よってこの作品も、あくまでも私が読んだときの解釈で書いた二次創作作品ですので、その点はご了承下さい。 
……っという逃げ口上を売っておいて(笑) 

あ、忘れてた。 

これを読む前に、先に松本いおりさんの短編を読んで下さい。 必須事項です。ダメ、ゼッタイ。

「彼の散歩と私の日常」前編
「彼の散歩と私の日常」後編 


では、どうぞ! 


  ※




――ふわ、ふわ。 
僕は宙を漂っている。 
地に足がついているのに。 
足の裏に間違いなく盤石な大地が在るのが解るのに。 
――ふわ、ふわ。 
僕は宙を漂っている。 
――僕はどうしてここに居るんだ? 
――僕はどこに行くつもりなんだ? 

――僕は、なんだ? 


『ふわふわ』
ならざきむつろ 作
(松本いおり作『彼の散歩と私の日常』より) 


1.

散歩が好きだった。 
君と二人で行く、お散歩が。 

僕の隣を歩く、君。 
まるでサクラモチみたいな服を着て、 
まるでサクラモチみたいにピンク色の頬で、 
僕を見ている、君。 
優しくて吸い込まれそうな瞳は控えめに、 
でもまっすぐに僕を見つめていて、 
何故か僕にはそれがたまらなく気持ち良くて。 
だから君と散歩するのが、僕は大好きだった。 

君と出会ったのは、学校に向かう途中に在る君の家の前だった。 
なんだか困ってる感じの君に声をかけて、それからちょくちょく話をするようになって。 

初めて君の家に上がったのは、スコールのような夕立が降った日だった。 
雨のせいで下着までずぶ濡れになってた僕は、ほんとはもうそのまま塩のかかったなめくじみたいに溶けてしまいたいくらいに何もかもがどうでもよくなってたんだけど、君はそんな僕を慌てて家に引きずり込み、お風呂や、あまつさえ着替えのシャツまで用意してくれて。 
「もう使わないものだから」って言いながら、でもその微笑みはどこか悲しげで。 
だから僕は、良く解らないなりに洗濯をして、良く解らないなりにアイロンをかけて、君にシャツを返しに行ったんだ。 
君に、少しでも笑ってほしかったから。 

僕には、好きな場所がある。 
城址公園って近くの公園の、お城の跡がある高台で。 
そこに君と並んで立って街を見下ろすのが、当時の僕と君の、散歩のいわばメインディッシュだったんだ。 

そこで僕たちは、いろんなことを話した。 
僕の通ってる学校のこと。君の日々の暮らしのこと。おいしいものの話や、空気の甘さや木々の芽吹く匂いのことや、ほんとにいろんなことを話した。 

――でも。 
僕はひとつだけ、話せなかったことがある。 
それはいつも僕の根っこのところに絡み付いていて、夜になると僕をぎゅうぎゅうと締め付けて苦しませるんだけど、僕はそのことを君には話すことができなかった。 

――僕はどうしてここに居るのか。 
――僕はどこに行くつもりなのか。 

――僕は、なにか、ということを。 

だから僕は代わりに、その時、君にこう言ったんだ。 

「春だからかな。なんだか身体が新しく、生まれ変わっていく気がするんだ」 

――って。 

それはけっして嘘なんかじゃなかった。 
ほんとに、自分の中の何かが、まるで身体を内側からずるり、と裏返されるように、変わっていく気がしたんだ。 

――まるで違う僕に。 

2.

シトシトと雨が降り始め、紫陽花がそこかしこで梅雨の到来を告げるころ、僕は少し前とは違う『僕』に変わっていた。 
当時の僕はそのことにまったく気づいてなくて、だから目の前の空き家からちょこん、と顔を出した小さな生き物を見て、――その身体の中を流れる温かい血液の匂いが漂ってきて、素直にあれはご馳走だ、おいしいものだ、と思ったんだ。 
――だけど。 
君はその『新鮮なご馳走』を見て、何故か怯えた。 
僕はどうして君が怯えてるのかさっぱり解らなくて、でも怯えさせたのが僕なんだ、ってことだけは解って、だからとても悲しかったのを覚えている。 

それから僕は、一回目の『違う僕』に変わっていった。 
身体が毛むくじゃらになり、爪を切りたくなくなり、自分の匂い意外の匂いが気になって仕方なくなり、 
――そして、生肉がどうしようもなく食べたかった。 
君が嫌がるのも解ってたけど、とにかくあの、血が滴るほどに新鮮で、身体の奥がすっとするくらいにひんやりとしたあの喉越しを、当時の僕はどうしようもなく欲していた。 

その頃にはさすがの僕も、自分が『違う僕』になったことに気づいていた。 
血だらけの下宿の部屋。君の悲しげな瞳。ハナミズキの根元で落ち着く僕。 
それはまるで、大きなケモノのようだった。人間のカタチをした、大きなケモノのような、何か。 

そして、気づいたんだ。 
やっぱり僕は『僕』じゃなかったんだ、と。 
どこから来たのかも解らない。 
どこに行くのかも解らない。 
自分が何者――ううん、何かも解らない存在なんだ、と。 

僕はだから、怖くなった。 
ケモノのように駆け回り、ケモノのように食いちぎり、ケモノのように丸くなりながら、それを嫌がるどころか、当たり前のように受け入れている自分に。 
君に嫌われるかも知れないのに、どこかで嫌われても仕方ない、と思い始めてる自分に。 

――君の傍を離れたくない、と思ってる自分に。 

――ねえ。 
ほんとはあの時、どう思ってたの? 

僕が怖かった?それとも―― 

――僕を、愛してた? 

3.

夕暮れにヒグラシが鳴きはじめるころ。 
僕はまた唐突に、二回目の『違う僕』に変わっていた。 

最初は、夏の茹だるような暑さのせいだと思っていた。 
身体が重い。特に背中が重い。 
おまけにだるい。あんなに楽しかったはずの散歩さえ億劫になるくらいに、だるい。 

そんな気分をそれまで味わったことがなかった僕は、ただひたすら怖くなって、だからとにかく横になってた。早く治って、早く収まって、って祈りながら。 



――そういえば僕、この時、 

誰にお祈りしてたんだろう。 


4.

それから数日経ったころ、僕は背中に何か生えてることに気がついた。 
いったい何が生えてるのか気になった僕が何とか背中に手を回すと、指先にさわさわした、くすぐったそうな感触があって。 
僕はそこでようやく、新しい『違う僕』に気づいたんだ。 

あの時の嬉しさったら、なかったよなあ。 
翼が生えた、っていうことよりも、これで空を自由に飛べるようになったんだ、って解ったから。 

ふわふわしてて当然だったんだ。 
だって僕は空を飛ぶ生き物だったんだもの。 
やっと僕は、『本当の僕』になったんだ、って。 

でも僕は、すぐには君に言わなかった。 
まだ身体がだるかったのもあるし、何より背中の翼がまだ生えそろってなかったみたいだったから。 
その間心配させちゃったけど、だから余計にびっくりしてたよね、翼を見せたとき。 

初めて見た、『僕』の真っ白な翼。 
その翼を、目をぱちくりさせながら見ていた君。 
僕はもう、それだけで十分に嬉しかったんだ。 

――うん。覚えてるよ。あの満月の夜のことも。 
僕の喜びを君にも感じてほしくて、綺麗な満月を二人で見たくて、なんだかもたもたしてた君を引っ張って、空に連れていったんだよね。 

あの夜のことは、未来永劫忘れないと思う。 
満天の星空と煌めく街の明かりに包まれた、まるで宇宙空間に飛び込んだようなあの場所も、 
あの僕たちを優しく照らしてくれたまあるい月のことも、 
――交わしたキスのこともね。 

でも、そんな幸せなときも、冬の訪れとともに、あっさりと終わってしまった。 



いや違うかな。 

終わってなかったんだ。 
僕の変化は。 



君も覚えてるかな。 
あの日、突然翼が――僕がようやく手に入れたはずの『自由』が、いともたやすく、ポロリと取れた時のことを。 
あの時僕はとてもショックだったけど、心のどこかでは不思議と冷静だったんだ。 
どう言えば良いのか解らないけど、――うん、『やっぱりな』って思った、って言えば近いのかな。
だから僕は翼を捨て、これまでとおんなじに『元の僕』を忘れて、新しい『違う僕』を思うようになった。 


君が背中の鱗のことを教えてくれたとき、僕は懸命に、どんな鱗が生えてるのか見ようとしてたよね。 
あれはもちろん、単なる興味本位だったところもあるけど、少しでも早く、次の『違う僕』のことを知りたかったんだ。 

――ねえ、覚えてるかな。 
昔僕がケモノだったとき、生肉を君に取られると思って、君を傷付けてしまったこと。 
あれから何も言わなかったけど、翼が生えてきたとき、ほんとにホッとしたんだ。 
これで、君を傷付けなくて済むんだ、って。 

だから余計に、この時は落ち着かなかったんだ。 
新しい『違う僕』が、もしかしたら凄く凶暴な僕で、君を傷付けるかも知れない、って。 

でも、そうじゃなかった。 
新しい『違う僕』は、君を傷付けたりはしなかった。 

白銀の鱗。 
縮まっていく手足。 
抜けていく歯。 

変わりつつあった僕は、魚だったんだ。 
魚なら爪の伸びた手足で引っかくこともないし、鋭い犬歯で君を傷付けることもない。 
もう空は自由に飛べないけど、君と一緒ならそれで良い。 
僕は、鱗が乾かぬように浴槽に浸かりながら、これで良いんだ、とそう思っていた。 

――思っていたのに。 


5. 

冬が来た。 
浴室の空気も、浴槽の水も、一晩で震えるほどに冷え込む冬が来た。 

そして、僕が完全な『魚』に変わったその日、 
初めてはっきりとその『声』を聴いた。 

『声』と言っても「おはよう」とか「こんにちは」のような人間が普通に使う『言葉』じゃなくて。 
もっと――こう、例えるなら木々の漣のような、川のせせらぎのような、山あいを抜けていくそよ風のような、ともすれば聞き逃しても不思議じゃないくらい、微かな――そして優しい、そんなもので。 
それが浴槽に浸かっていた僕の、とうに退化してその役を果たせなくなったはずの耳からするり、と入ってきて、僕の意識を柔らかく抱きしめ、僕を呼ぶんだ。 


待っている、と。 
みんなが待っているよ、と。 


――それからの僕は、それまでの僕じゃなかった。 
これまで『違う僕』に変わってきた時は、それでも根っこの『僕』が変わることはなかった。 
ケモノの僕も、翼の僕も、根っこではちゃんと『僕』だったんだ。 

でも、この時の僕は、違ってた。 
君が目の前にいても、何故か君が遠くに感じて。 
それよりも僕を待っているっていう『みんな』のことが気になってしかたなくて。 

『声』はずっと僕の周りにあって、しきりに待っていると繰り返していた。 
こんな小さな浴槽の中で閉じこもってないで、こちらに来い、と言われてるようにも思えて、 
僕は気付けば、また『自由』を求めるようになっていた。 


そして――あの日。 
君とのご飯が終わり、君が居なくなったあと。 
暗くなった浴室に、窓がきっちり閉め切られた浴室に、 
ひとひらの雪がはらり、と落ちてきたんだ。 

どうして雪が降ってきたのかは分からない。 でも、その雪が何を意味してるのかは、すぐ解った。 

合図だったんだ。 
『声』が僕を連れ出すための、合図。 
どうやって連れ出すつもりかは解らなかったけど、それがそうだ、っていうのはすぐ解った。 

でも、僕はその時、何の準備もしてなかった。 
何を持っていくかとかそういう意味じゃなく、 
君に何も伝えてないっていう意味で。 

だから僕は、慌てて浴槽の縁に額を擦りつけたんだ。 
ギリ、っていう嫌な音がしたあと、額の辺りに水の冷たさを感じて、 
どうやら額の鱗を一枚剥がすことができたんだとホッとした、その次の瞬間。 
気づいたら、自由を手に入れていたんだ。 

瞬きをする間もないくらいあっという間に、僕は広く深い水の中に居た。 
明かりもない暗闇の支配する世界だったけど、僕にはそこがどこか、すぐ解った。 

池だ。 
澄み切った湧き水が心地よい、池だ。 

あの、君と良く行った城址公園の、池だったんだ。 

6.

それから冬の間ずっと、僕は池の底で過ごしてた。 
せっかく自由を手に入れたんだから、のびのびと遊びまわればよかったんだけど、 
『みんな』がそこに居たからね。
――うん、『みんな』さ。 

あの池にはね、本当にたくさんの生き物が居たんだよ。 
アリンコよりも小さなプランクトンや君の小指よりも小さな魚たち。 
ささやかに伸びた水草や、その隙間を縫って漂うザリガニたち。 
日本生まれの生き物もいれば、外来種もたくさん居て。 
それら『みんな』がなぜか僕を待ってて、僕も『みんな』が待ってたことを当然のように受け入れてた。 

ほんと、楽しい日々だったよ。 
『みんな』は僕を飽きさせないように、ほんとたくさんの事をしてくれて。 
水の中はなぜかふわふわしてて、とても気持ちよくて。 

だから僕は、もうこれで良いんだ、って、そう思ってた。 
君には申し訳なかったけど、これでよかったんだ、って。 

そんな日々が繰り返されて、気付けば『みんな』が池の上の方で動きまわり始めたころ。 
ある日僕は、池面から聞こえて来たぽちゃん、っていう音に、ふっと上を向いてね。 

最初に見えたのは、キラキラした、細い糸で。 
そして、その先に付けられた釣り針に、懐かしいものがぶら下がってたんだ。 

一枚の、桜の花びら。 
君の頬のような、ほんのりとピンク色の桜の花びらが。 

その瞬間、君と過ごしたあの頃が、それこそ奔流のように僕の頭の中を駆け巡ったんだ。
君と見た高台からの景色や、 
君とキスをしたあの満月の夜や、 
浴槽の縁に寄りかかりながら僕を見つめる、君の優しい眼差しを。


僕は慌てて、その花びらを手に入れようとして、まっすぐに上へと上がっていった。 
たとえ釣られても構わないから、どうしてもその花びらが欲しかった。 
だから、近づくと逃げていく花びらを追いかけて、まっすぐに、まっすぐに。 

そして、水面の向こう側に、君を見つけたんだ。 
懐かしいあの、サクラモチみたいなカーディガンを着た、君を。


もう、花びらどころじゃなかった。
だって、君がいたんだもの。 
僕は慌てて急ブレーキをかけて向きを変えると、いきなり飛び出して君に水しぶきをかけないように気をつけながら、そっと君に近づいていった。 
君はなぜか、僕が近づいてきたことをとっくに気づいていて、池の淵でしゃがみこんだままで何かを差し出してて。 
それが僕の鱗だ、って気がついた時、僕はほんとに嬉しかった。 
嬉しかったから、それを君に伝えたかったんだけど、もう僕はヒトの言葉を話せなくなってて。 
でも、君は口をパクパクさせるだけの僕の言葉を解ってる、とばかりに優しく微笑んで、 
――なぜか、おにぎりの欠片をくれたよね。 
美味しかったけど。 
懐かしい味で、すごく美味しかったけど。 
伝わってないのが悔しくて、僕は勢い良く水面へと飛び出していったんだ。 


そう、君の元へと。 

7.

――ふわ、ふわ。 
僕は世界を漂っていた。 
両の手足で大地を駆け抜けていても、 
広げた翼で大空を飛んでいても、 
身体を捻って水の中を泳いでいても、 
――ふわ、ふわ。 
僕は曖昧な『世界』を漂っていた。 

――僕はどうしてここに居たんだろう。 
――僕はどこに行くつもりだったんだろう。 

――僕は、なんのために生きていたんだろう。 


そう。 
答えはもう、僕の中に在った。 


僕は君に会うために生まれて。 
僕は君と同じ景色を見るために生きてきて。 
僕は君と一緒にいるために生きていたんだ、って。 

だから、もう後悔はしてない。 
だって、君と一緒にいられたんだもの。 



だから、笑ってくれないかな。 
いつもみたいに、優しい眼差しで。 


――ね、お願いだよ。 


お願い――。 


(SESSION OUT)

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