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『ナンバーナイン』

「ねえ、これはなに?」

隣を歩いていたはずのナインの声が少し後ろから聴こえてきて、僕はゆっくりと振り向く。
カプリの皮をなめして作った服が硬くて身体どころか顔を後ろに向けることすらぎこちなくなってしまうけど、夜の砂漠の寒さに凍え死んでしまうからこの服を脱ぐことなんてできなくて、だけどもどかしくてついイライラしてしまう。

「こらナイン、僕らは道草食ってる場合じゃないんだぞ。早くしないと夜が明けちゃうじゃないか」

イライラを隠し切れずに吐き捨てた僕を、テディベアを抱えたままのナインが泣きそうな顔で見つめている。

「だって、初めて見たんだもの、これ」
「初めて――って」

ナインの涙混じりの声に少しザイアクカンを覚えた僕は、ごまかすようにしてナインの右手にある四角い板のようなものを覗き込む。

「それ、CDだよ」
「しー、でぃー?」

不思議そうにおうむ返しするナインにそうだよ、と応えながらCDを手に取り、表に裏にひっくり返してみる。
長いことこの砂漠の砂の中に埋もれていたせいですり傷と汚れにまみれているその真四角な板は、外観だけでは何が入ってるかさっぱりわからなかった。

「ねえ、しーでぃーって、なに?」

ボロボロのテディベアを抱えたまま不思議そうにCDを覗き込むナインのそのしぐさが可愛らしくて思わず抱きしめたくなる。

「ええと、これをプレイヤーってやつに入れてスイッチを入れると、『音楽』ってのが聴けるんだって」
「プレイヤー……オンガク……?」

初めての単語ばかりだったのか、ナインはキョトン、とした様子で僕を見上げてきて、僕は思わず視線を逸らす。

「とにかく歩きながら話をしよう」

そう言って僕はCDをカプリの皮で作った袋に入れて、ナインのテディベアを抱きしめてない方の手を握って歩き出した。

そう、歩かなきゃいけないんだ。
こんなところでナインをギュッとしてたら、夜明けまでに日陰を見つけることができなくなるから。

そう。
この果てしない砂漠の昼間を日陰無しで過ごすなんて自殺行為をナインにさせるわけにはいかないんだ。

もしかしたらこの先もう日陰なんて無いかもしれないけど、それでも見つけなくちゃいけないんだ。
ナインの――ナインと僕のために。

「――ねえ、ルーブル」

歩き始めてしばらくして、ようやく日陰を見つけることができた僕たちは、遥か昔には天に届くくらい高かったんだろうと思われる建物の残骸の、たぶん玄関か何かだったらしい部屋のその日陰の下で、袋から取り出したカプリの肉を取り出して食べ始めていた。
砂漠の砂の中で生活するカプリは何日もその場から動かないことが多くて、だから肉も脂肪分がたっぷりで、脂を摂取していないと動くことができない僕たちにとっては大事な栄養源なんだ。

「なに?」
「さっきの――なんだっけ、」
「ああ、CDのこと?」
「そう。それでね」
「うん」
「『オンガク』って、なに?」

僕よりも早く食べ終えたナインが、上り始めた太陽の淡い光を見つめながら僕に問いかけてくる。

「――そっか、ナインは音楽を知らないんだっけ」

僕はそう口にして、そして少し悲しくなった。
僕だけが持っている『記憶』がナインには無いんだと気づいて、ほんの少しだけ悲しくなったんだ。

「――ちょっと待ってね」

僕はそう言うと、不思議そうに見つめるナインの視線を感じながら、カプリの服を脱いで上半身だけ裸になる。裸のままでいると砂漠の砂が隙間から入ってきて機能不全になってしまうんだけど、ナインのためならかまやしない。

「ルーブルだめだよ!砂が――」
「大丈夫。ここまでは砂嵐も来ないし」

心配そうに見つめるナインに笑ってみせながら、僕はそっとみぞおちのところにある小さな丸いボタンを押してみる。
もう数十年以上押したことのないそのボタンは、でも僕の心配をあざ笑うかのようにあっさりと内側に食い込んでいって、そしてカチ、という音とともに僕のお腹の蓋がスライドして開く。

「え?ルーブル、それって」

驚くナインに苦笑いしつつ、僕は袋から取り出したCDの蓋を開ける。そこには蓋の大きさと同じくらいの擦り切れた数枚の紙と、ぴかぴかと光る円盤が入っていた。

「中身は傷一つついてない。すごい」

僕は予想以上の保存状態に感嘆の声をあげてから、割ったりしないようにそっとその円盤を摘み取り、僕のおなかにある『プレイヤー』にセットして、そして再びボタンを押して蓋を閉めた。

「ルーブル……」

いつもと違う僕の様子に心配になったのか、ナインが心細そうに僕を見るので、僕は大丈夫、と笑ってみせた。

「僕はね、ルーブル。君と出会うずっと前に生まれたんだ」
「ずっと……?」
「そう。まだ『人間』が生きていたころにね」

僕はそう言うと両手をまっすぐ前に伸ばす。
右の手のひらは上向きに、左の手のひらは下向きにして、『記憶』にある手順で指を動かしていくと、視界の片隅にサブウィンドウが開いた。

「ニンゲン……って、前に話してくれた?」
「そう。はるか昔にこの世界で生きていた生き物で、僕の生みの親さ」

僕はそう答えながら、サブウィンドウに表示されたコマンドから『音楽』を選択する。

「僕は人間たちが作り出した『芸術』を未来に残すために生み出された『アート・ストレージ』なんだ」

僕は久しぶりに口に出したその名に笑いそうになる。
長い時を経てすでにアートメモリーは劣化し失われ、今ではCDが再生できるかどうか怪しいくらいのボロアンドロイドでしかない僕だけど、それでもまだ『アート・ストレージ』と自分を呼ぶことに誇りを感じるなんて、ばかばかしいにもほどがあるじゃないか。

「あーと、すとれーじ……?」

予想通り不思議そうにおうむ返ししてきたナインの頭を撫でながら視界に新たに表示されたウィンドウの『再生』を選択すると、僕のおなかのところでかすかにモーターの振動が始まり、読み込まれた音声データが僕の中のニューロンネットワークを通してのどを震わせ始める。

「――さあ、イッツ、ショウタイム!」

そう言って僕は両手を大きく広げる。
CDの再生に使うエネルギー使用量が――もしかしたらせっかく補給したカプリの脂のエネルギーを全部使っちゃうかもしれないけど、ナインに音楽を教えてあげられるなら安いものじゃないか。
あの感動を教えられるなら、安いものじゃないか。

そう。
僕が初めて音楽を聴いたときみたいに。


そして。
僕の口から、CDに封じ込められていた『音楽』があふれだす。
まるで籠から解き放たれたように、音たちが軽やかなリズムで空へと――鮮やかなグラデーションに明けの明星が瞬く、美しい空へとあふれだしていく。


海みたいに砂は燃えた かつてはここで人が生きた
先を急いだ英知の群れが 壊したものに 僕らは続いた


「――これが、オンガク?」

ナインの声が聴こえる。
朽ち果てた建物の地下深くで長い間眠っていたナイン。
カプセルに描かれた『9』が唯一の存在の証だった、ナインの声が。

恥ずかしいくらいに生きてきた僕らの声が
遠く遠くまで届いたらいいな
誰もいない未来の僕らの声が 美しくあれるように

僕は音楽を解き放ちながら、彼女に微笑みかける。
この世界で生きる、もう一人のアンドロイドの彼女に。

何千と言葉選んだ末に 何万と立った墓標の上に
僕らは歩いていくんだきっと 笑わないでね

「――笑わないでね」

最期に飛び去ったその詩に、ナインは泣きそうな顔で笑ってくれた。

ぼくは、それだけで満足だった。

(了)


『ナンバーナイン』
Inspired By 『ナンバーナイン』「ルーヴルNo.9〜漫画、9番目の芸術〜」公式イメージソング(米津玄師)


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