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おかえりなさい、お父さん。
THE NEAR FUTURE『若返りの薬』
いま、「若返りの薬の開発」とも呼べる画期的な研究が進められています。中心人物が、日本人研究者、ワシントン大学の今井眞一郎教授です。今井教授は、人間の老化をコントロールする長寿遺伝子を発見。さらに、この遺伝子を活性化させる「NMN」という物質を突き止めたのです。マウスを使った実験で、老化が大きく関係している病気である「糖尿病」や「アルツハイマー病」に対して、NMNが大きな効果をあげることが分かってきました。NMNは、人間の体内で作り出される物質ですが、加齢と共に作る能力が衰えていきます。そのNMNを補充することによって、老化をコントロールできる可能性があることが分かってきたのです。別の研究者が行った研究では、人間でいえば、60歳にあたるマウスに、NMNを飲ませたところ、20歳に若返ったという成果が発表されています。人間の究極の夢「若返り」が叶えられる日がやってくるかもしれません。(NHKスペシャル『NEXT WORLD』より)
――ふと気が付くと、目の前に見知らぬ女性の顔があった。
――いや、違う。どこかで見たことがある気がするが、思い出せる名前と顔が一致しないのだ。
はて、誰だっただろうか――
「だいじょうぶ?わたしがわかる?おとうさん!」
聴こえてきた女性の言葉の意味が理解できない。
だいじょうぶ――は、『大丈夫』か。
わたし――は、目の前の女性のことだろう。
しかし、『おとうさん』というのは……?
「――あの、すみません」
我慢できなくなってそう口にした自分の声が、自分でも聴き取れないくらいにかすれていて驚く。
いったい私はどのくらい眠っていたのだろうか?
――そもそも私は、眠っていたのだろうか?
「え?なに?ちょっと待って――」
女性はそう言うと、私の口元に耳を当てようと頭を近づけてくる。
女性のつややかな黒髪が私の視界いっぱいに広がり、何らかのリンスらしき香りが鼻孔をくすぐる。
「いやあの――私に子供は居ないんですが」
少しかすれの取れた声で私が返すと、女性はゆっくりと私から離れ、驚いたような表情で目を見開いて私を見つめる。
「な、なにバカなこと言ってるのよお父さん。冗談やめて――」
曖昧な笑みを浮かべてそう言いかけた女性が、はた、と何かに気がついたかのように背後へと顔を向ける。
「先生!まさかこれって――」
先生?
女性の言葉につられるようにして視線を彼女が目を向けている方向へとずらしていくと、そこには白衣を着た若い男性が一人。
「ええ、先ほどお話差し上げたとおり、キオクがケツラクしているのです」
その男性が神妙そうな顔で口にした言葉の、単語が一部理解できない。
キオク?――『記憶』か?
ケツラク?――『欠落』か?
「じゃ、じゃあ父はいったい――」
私の記憶が――欠落している、だって?
私は慌てて後頭部の暗闇に意識の手を突っ込み、記憶をまさぐり始める。
「――ろは、ご本人と話をしてみなければわかりませんが――」
幼少の頃の記憶――ある。
小学校の時の思い出――いくつか見つけた。
「――NMNに対する誤解が生じていることが問題で――」
中学生の――あった。
高校生の時のも――大丈夫だ。
「――細胞は復活しても、欠落してしまった記憶が戻るとは限ら――」
大学時代、就職、そして――
――そうだ。思い出した。
「でも、それじゃ意味が――」
私はなおも『先生』に言い募っている女性へと目を向ける。
すでに40は過ぎているだろうその女性にはまったく見覚えがなかったが、しかしそこに残っている面影は、間違いなく彼女のそれと同じだった。
――私が告白して、そしてフラれた、あの人と。
「――あの、」
未だかすれたままの声で問いかける私に、女性が慌てて近寄ってくる。
「どうしたのお父さん、私の事――」
「いえ、そうじゃなくて……一つ質問が」
私の言葉に一瞬、眼差しが失望の色を見せる彼女だったが、すぐに力なく微笑んでなに?と返してくる。
「ええと――今って、平成何年なんでしょうか」
私の記憶は、少なくとも就職したあとまでは、ある。
ということはさすがに昭和、ってことはないだろうと思っての質問だったが――。
しかし、彼女はその私の問いに、目に涙を溜めながらこう返してきたのだった。
「ごめんなさい。今は――今は、西暦2045年です」
――西暦、2045年?
なら私は今――
「じゃあ、今の私はいったい――」
さらに問いを重ねた私に、彼女は涙を流しながら、私の右側に手を伸ばして、そこにあったらしい手鏡を私に向け――
そして、優しく微笑んだ。
「おかえりなさい、お父さん」
――と。
(了)