
Vol 3 がん闘病に対する夫婦の姿勢と死生観
逝去3年前に、妻自身で引寄せた手術が決まり闘病生活の方向性が定まりました。これ以降、夫婦ともセカンドオピニオンを求めたり、その他の治療は無いかと右往左往することはありませんでした。
すい臓がんの5年生存率を調べると10%以下でした。10人のうち9人もなくなるということです。TVドラマの中で「末期がん」という設定の場合、ほとんどがすい臓がんです。
すい臓がんに対する闘病姿勢ひいては死生観は、がんに直面された多くの方やその家族の方たちと私たち夫婦とでは大きく違っていました。
がん闘病に対する妻の意思と覚悟
妻は、生存率などまったく気にしていませんでした。消化器外科初診の際、○○医師から余命の話を聞いたときに「余命1年でも良いかな?」と呟きました。妻はその時点で長生きしたいという気持ちはこれっぽっちもなかったのです。以前から「私は長生きしたくない。65歳でいいかな。」と言っていました。終末期にお見舞いに来た友人に「死ぬことは全然怖くない。苦しい、痛いだけがなければいい。」と言っていました。闘病生活が始まった時には
◇ 残された時間を如何に楽しく過ごすか。
◇ 生活の質を低下させる抗がん剤治療は行わない。
◇ 延命のために余計なお金は費やさない。
◇ 今回の治療後転移したら、抗がん剤治療は断り緩和ケアに移行する。
と考えていました。この姿勢は、最後までぶれませんでした。
この時点で、「手術は受けるが、1年の余命が数年延びたとしても転移してお別れが来る。もし寛解すれば儲けもの。」と考えていたのです。
妻は、樹木希林さんの本を愛読していました。
樹木希林さんは乳がんの全摘手術を受けた後、全身にがんが転移しながらも仕事を続け自宅で亡くなられています。樹木希林さんが言っていた「人間はいつか死ぬ生き物である」、「がんになって死ぬのが一番幸せだと思っています。片づけしてその準備ができるのは最高だと思っています。」等の言葉が妻に大きな影響を与えたのでしょう。
樹木希林さんの生き方に対し「私もこれがいいと思う。」と言っていました。
妻に寄り添う夫の意思と覚悟
私は、この時点で次のように考えていました。
◇ 妻が望む「楽しく暮らす」ことに精一杯付き合う。
◇ 妻のくじ運の強さに期待しつつ寛解につながる治療に寄り添う。
◇ 妻がやりたいことは全て許容し、妻の意思を優先する。
◇ 優しく接する。
「優しく接する」態度が妻にも伝わったのか、娘と電話で話していた際に「がんになってから、お父さんが本当に優しんだよー」と話すと、娘は「私もがんになりたい!」と訳の分からない会話をしていました。
がん治療に対する夫婦の考え方
夫婦ともども、がんの3大治療「抗がん剤治療」、「放射線治療」、「手術」のうち、特に「抗がん剤治療」はやるべきではないと思っていました。
妻は、医療の現場を経験してきた中で、抗がん剤治療の副作用は相当苦しく最後まで続けられる患者は少ないことを知っていました。余命を楽しく過ごすためには、抗がん剤治療を受けないのがベストだと確信していました。樹木希林さんの本を読んでさらに確信したのでしょう。
私は、保険代理店で働いていた時に様々な本やデータを調べました。その中で、がんは抗がん剤治療では治らない。受けない方がいいと思っていました。
医師に「もし自分ががんになったら抗がん剤治療を受けますか?」と質問したところ、9割以上の医師は「受けない。」というデータもあるそうです。
「抗がん剤は効かない」と主張していた故近藤誠先生の本も読みました。
私が10年前、良性の脳腫瘍ができたときにお世話になった脳神経外科医からも、妻ががん治療を受けると伝えると「抗がん剤治療は断れ。」と言われました。
そういう経緯で「抗がん剤治療はやめた方が良い。」という考えでした。
以上のような夫婦の考えに基づくと、「闘病生活の中心は“楽しく暮らすこと”、その中でそれを妨げない範囲で治療を受けていく」ことになりました。
この考えを夫婦が共有していたので転移を診断された際、迷いなく抗がん剤治療を断れたのです。