
35.昔取った杵柄をリハビリに持ち込んだら惨敗
コロナ禍前の数年間、2度の脳梗塞になりながらも、ばあちゃんは夜は自宅にて、1人で過ごしていました。
というのも、周りの私たちが介護放棄していた訳でなく、本人が1人になりたがったからです。
午前中から夕方にかけては、デイサービスやミニデイへ通ったり、ヘルパーさんが来てくれた他、母と叔母が交代で通っていました。
しかしながら、祖父亡き後の一人暮らしを謳歌していた名残りなのか、何かと世話を焼く私たちを煙たがりました。
「はー、帰っていいで」
夕飯を終えると、追い返すように言うので、母などいつもブツクサ文句言ってました。
そして、1人になると、これ幸いと私たちに叱られるような危険なことをやらかすので、毎年恒例のように、怪我で入院していました。
そのため、脳梗塞後も楽しめていた大好きな編み物も、割と早いうちに手を骨折して指が思うように動かなくなってやめてしまいました。
また、病院や施設だと「がんばりやさん」と称賛されるリハビリへの意欲も、自宅にいると皆無に等しく、叔母が躍起になってあーしろこーしろ言っても無視。
自宅に帰りたい一心でのみ、リハビリを頑張る…そんなシンプル思考回路なので、家にいたら座ってテレビを見るだけでした。
いつだったか、毎年恒例の骨折をしてリハビリを終えて、ようやく自宅へ帰宅した時にしばらくは見守り介護しようということになり、私が泊まり込んでいました。
延々とテレビを見続けて何もしないばあちゃん。
私は「そうだ!」と思い付き、甥っ子姪っ子と遊ぼうと思って購入した小さな手編み機を持参しました。
ばあちゃんが昼寝しているうちに、並太毛糸で縦糸を張り、横糸用の並太毛糸もシャトルに巻いて、すぐ開始できるよう仕込んでおきました。
昼寝から目覚めて、テレビを見始めたばあちゃんの前に、それとなく編み機を出しました。
「ばあちゃん、これ、毛糸で織れる編み機なんだけど、上手くできないんだ〜。どうやったらいいかねぇ?」
ばあちゃんは、さすが上州の女。
伊勢崎明仙は織ったことないそうですが、長いこと機織りの仕事をしていました。
ですから、きっと食いつくに違いないと目論んでいました。
案の定、シャトルを渡すと「こうやるんだ」と織り始めてくれました。
(よっしゃ〜!)と私は内心ガッツポーズ!
「じゃ、ちょっと織ってて!私、夕飯作ってくるから!」
「機織りリハビリ大成功♪」と私は浮かれて、夕ご飯の準備をして、ばあちゃんを呼びに行くと、機織り機の進度は、さっき私が見たそのまんまになってました。
「あれ?ばあちゃん、織らなかったん?」
そう聞くと、「うん」とひとこと。
なんで?
好きな毛糸と昔取った杵柄の機織りだろうよ…。
「これ、またやる?」
そう聞くと、「やんね(やらない)」とひとこと。
惨敗でした。
翌日、母姉妹に事の顛末を話すと、叔母が言いました。
「そりゃ、昔取った杵柄で得意でもさ、それは好きだからやってたんじゃなくて、生活のためにやってたから、今さらやるのはイヤなんじゃない?」
私のエゴ丸出し露呈なだけでした。
手編み機は即、ネットフリマで売り捌きました。
地球のどこかでお役に立っていたら、いいなと思います。