「西洋音楽ビジネスの発展史と、国内での問題点について」
このトピックは2015年夏ごろ、FB上にアップした記事を加筆・修正したものです。
今後、音楽に関わりミュージシャンとしてやっていきたいという若い方に、最低限の知識として必要であろうと思われる音楽ビジネスの歴史、その他をざっくりと書きます。
西洋文化から発展した音楽ビジネスの、欧米~日本における個人的見解の歴史観と過去の問題点です。
もちろん全ての事象を網羅出来るはずはなく、個人的に重要と思われる視点を大枠で記述しています。
また筆者の不勉強による誤り・思い違い等も含まれる恐れがあるので、ご承知置き下さい。
当然、長文なのでお時間のある時に。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
西欧ではルネサンス期~バロック期以降、中世から近代にかけて演奏者や作曲家などが音楽で生計を立てるためには、各国の王侯貴族の援助が必要不可欠でした。
ヨーロッパ各地の貴族たちが才能有る作曲者達に曲の依頼をしたり、作曲者自ら売り込みを掛けたりして、今に残るクラシックの名曲の多くが生まれてきました。
そしてグーテンベルグの発明によって生まれた活版印刷による楽譜が、16世紀頃から流通し初めました。
楽譜を作成し印刷し、流通させるニーズに応じて誕生した「音楽出版社」が、権利を貸与され、著名な作曲家や人気曲の譜面を貸し出したり、または販売し、ビジネスとして産業化していきました。
つまり当時の音楽ビジネスツール=「商品」とは、印刷された「譜面」そのもので、クライアントは王侯貴族や王立の音楽学校だった訳です。
その楽譜を借りたり購入し、各地の楽団で指揮者や楽器演奏者を集め、時には作曲者自らが参加する音楽会を開き、王侯貴族や一部の富裕層が演奏を楽しみ、褒美を与えるという形で成立していた世界でした。
しかしマーケットは限られており、著作権使用料としての売り上げはさほど多くなかったでしょう。
とはいえ、その当時から楽曲権利(出版権)を継承した「音楽出版社」は現在まで延々と収益が続いているわけです。
時は経ち1870年代、エジソンによるレコードの発明により、音源そのものを保存する事とその再生が可能となりました。
さらに20世紀に入りレコード技術は発達し、次々と録音された音楽が原盤から複製されるようになってきたのです。
音源を固定化する(録音)技術も初期のダイレクトカッティングから、戦後急激に発達してきたテープレコーダーに録音する事により、レコード原盤を作る作業が容易になりました。
つまりスタジオでマイクで拾った音源を直接レコード原盤に刻み込んでいく時代には、長時間の演奏でもミスすれば最初からカッティングのやり直しが必要だった訳です。
しかしいったんテープレコーダーに録音する事で、ミスしても録り直しが出来て、OKテイクを最終的にカッティングする事で、時間と費用が大幅に削減されたのです。
さらに「ラジオ」というマス媒体の急拡大によって1950年代以降、音楽のビジネスモデルは一気に変わりました。
「ラジオ」放送によって音楽を聴いた大衆はさらに音楽を求め、マーケットは全世界に広がり、レコードと共に「音楽」によって生まれる収益も飛躍的に増大していきます。
作詞・作曲者が持つ自然な権利である「著作権」。
その権利を貸与または譲渡され、売り込みを図る出版社が持つ楽曲自体の権利「音楽出版権」がそれまで存在していました。
音楽が「楽譜」そのものの時代です。
その上に新たな権利、つまりその楽曲を録音した音源としての権利「原盤権」が生まれました。
「原盤権」によって、レコードを複製・販売するというビジネスモデルが一般化されたことで、一般大衆が音楽を聴く機会が増え続け、過去の譜面の販売に取って代わったのです。
「原盤権」を持ち、レコードを販売・流通するレコード会社が欧米でいくつも生まれ、音楽ビジネスツールはレコードという「音源」に変化しました。
まずはクラシック楽曲が録音されSP盤など初期のレコード形態で販売されていきました。
テープレコーダー(その後マルチトラック化される)の進歩と、材料やプレス機の発展に伴い、今まで以上に複製が容易なレコードの技術革新、つまりLPやシングル盤が登場して来ました。
そして第二次大戦後、世界中が成長期に入り、民生の音響機器が一気に普及していきます。
レコードが商売となると気付いた多くの人間が会社を作り、特にアメリカで様々な音楽を音源化し、レコードを発売していきます。
クラシックだけではなくジャズ、ポップス、カントリー、ブルースなど多様な音楽が一気に花開き、やがてロックが生まれ音楽産業は黄金期に突入するわけです。
50年代~60年代、数多くのカヴァー音源が生まれたのも、良い楽曲を持つ音楽出版社とレコード制作者・ミュージシャンとのコラボレーションでした。
当時は歌手をデヴューさせる時、たいてい過去の名曲のカヴァーから始めていました。
当時は音楽出版社の力が強く、自社管理の楽曲を使用し、発売すれば当然利益につながるからです。
現在のように流通される形で、LPレコードが世界で初めてメジャーレーベルから発売されたのが1950年頃ですから、そこからたった65年程度しか経ってません。(SP盤とかになるともっと古いですが・・)
1960年代、民生用のテープレコーダーが普及を初め、音楽の複製が個人で可能になりました。
オープンリールのテレコは一気に民生化され、レコードプレイヤーと共に家庭に鎮座するようになりました。
その後カセットテープなど、もっと便利で安価になり、さらに普及する時代もありましたね。
音楽ユーザーは、音楽会の会場に行かねば音楽が聴けない時代から、音響機器さえあれば自宅で音楽鑑賞が出来る時代に移りました。
そしてSONYの大発明「ウォークマン」の登場により、若者を始めとする大衆は音楽を聴く場所を制約されなくなりました。
さらに、レコードに変わる音源記録メディアが1980年代中盤にはデジタル化され、コンパクトディスク (CD)に変化しました。
その辺りからでも、まだたった30年ほど前です。
2010年頃までにはデータ化された音源が完全に主流となり、音源の普及形態がインターネット網を利用した配信に変化していきます。
ついに音楽ビジネスツールは「デジタルデータ」に変化したのです。
その時点でLPとかCDのアルバムといったパッケージという概念が消え去り、楽曲単位でのダウンロードが出来るようになっていきました。
これもたかだか15年ほど前です。
そして現在、利用料を毎月払えば、そのサービスに登録している楽曲がストリーミングでユーザーが聴き放題となる定額制配信が各社でスタートされました。
この100年の間に音楽ビジネスツールは「楽譜」~「レコード」~「CD」~「デジタルデータ」と急激な変化を遂げたわけです。
しかし、古代の昔から「音楽」のビジネスモデルにおいて全世界で変わらない事がひとつあります。
それは「ライブ」です。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
さてここからは楽曲単位の価格面含め、日本での音楽ビジネス環境の問題点を振り返ってみます。
印刷楽譜の販売時代に、一曲平均幾らだったのかは判りませんが、レコードが普及してきた60年代初頭、日本ではシングル盤が360円でした。その後為替の変動が起きシングル盤は500円~600円、LPレコードは2500円~3000円程度の時代が長く続きました。
10曲入りとして、一曲単価で250円~300円ですね。
この価格はCDになってもあまり変わりませんでした。
なぜならば、日本には1953年の独禁法改正で導入された再販制度という法律があるからです。
これは「著作物」であるレコード・新聞・書籍等をメーカーが小売店で販売する価格を指定できる制度です。
国内盤は再販制度の下、価格は維持されて来ました。安売りなどは一切しません。
ただ大都市周辺では欧米からの安い輸入盤も、もてはやされました。
内容が変わらない洋楽のヒットアルバムが、解説が付くかどうかで1000円以上も安く購入出来るのはありがたい事でした。
ところが1980年頃から日本国内で一気に増えたのが「貸しレコード屋」でした。
このビジネスは当然レコードメーカーと対立し、民事訴訟も行われました。
僕はその頃音楽制作会社に勤めており、「貸しレ」が認められると困った事になると感じていましたが、その時の立場ではどうする事も出来ませんでした。
そして、1984年、あれよあれよの国会審議により「貸与権」が認められ、貸しレコードが「合法化」されてしまいます。
皆さんはあまりご存じないかも知れませんが、レコード(CD)レンタルという商売はほぼ日本だけのものです。
なぜか?販売価格の10分の1の値段でレンタルされた音源は確実にダビングされます。貸本屋とはそこが違うのです。
著作物や音源という知的財産を保護するためには、本来そんなコピーは許されるものではありません。
知的財産権保護の先進国である欧米諸国では、禁止するのが当たり前の発想・常識を、日本では様々な圧力の下で音源のレンタルを合法化してしまいました。
その理由は、当時国内ほとんどのレコードメーカーの親会社が、ダビングする録音機器を作る電機メーカーだったからです。
とはいえ、その後CDの売り上げも好調で、この重要な問題をはらむレンタルビジネスは、本質をうやむやにされ、事業として日本に定着してしまいました。
実はこの出来事が日本のレコード産業、ひいては音楽ビジネスの衰退化を始めるきっかけになったと言っても過言ではないと僕は考えます。
もし日本で、レコードレンタルを知的財産保護の観点から禁止し、レコード・CDを「再販制度」の枠組みから外し、さらにメーカーが売れ残りを買い取る「返品制度」を無くし、小売店による値引き販売を許し自由競争による様々な価格のCDが売られれば、今とは違う市場に変化していた事でしょう。
さらに放送系音楽出版社によるタイアップ利権構造(米国では禁止)が、良い楽曲やミュージシャンのヒットを少なからず阻害した事実も無視出来ません。
もっとも、TV・ラジオに興味を示さない若者が増え、タイアップ全盛を過ぎた現代では、もはや意味がない事かも知れませんが・・。
ちなみに僕個人がCDをレンタルで借りた事は、今まで記憶にありません。
さて、2000年頃からは音楽配信での楽曲販売が始まり、やはり一曲250円~350円の価格帯でスタートしました。
ところがフォーマットの違いや思惑の変化により、各社が様々な形態でDLサイトを立ち上げたため、混乱が生じました。
さらにSONYはデータ音源を録音再生するコンパクト機器市場に登場するタイミングを逸し、的違いな製品を導入し、市場はAppleのiPodにさらわれ、むざむざお家芸で敗北を喫しました。
これらも配信売上げ伸び悩み要因のひとつです。
またデータ化され扱いやすくなった音源により海外・国内問わず違法の無料DLサイトがはびこり、販売配信サイトのみならず、CDの売り上げが激減した事は記憶に新しいですよね。
もちろん「音楽の質」の問題の方が大きいのですが・・。
その後105円とか150円での安価な設定で販売しているサイトもあります。
現状ではデータ音源やCDに関して「再販制度」はもはや骨抜き・有名無実で、それはamazonの値引き価格でも判りますね。
ただ2010年前後には配信販売で100万DLを超えるヒット曲も何曲か存在しました。
しかし今はそんなDL数など、見る影もないですよね。
ちなみに僕は配信で楽曲を購入した事は一回しかありません。数年前、試しでDLしてみたのですが、なぜか欲しかったのと別ヴァーションの音源でがっかりしました笑。
アイドル物・アニソン物はさておき、CDパッケージも配信DLも日本のマーケットで今後100万の数字を超える販売物はもはや出てこない気がします。
そして追い打ちを掛けるのが定額制音楽配信サービスの台頭です。
ユーザーは月額数百円を払うだけで、いずれありとあらゆる音源がストリーミングで聴ける時代になります。
若い子達は音楽を自分の所有物にするという感覚が希薄です。必要な時に検索して聴くという行為で済んでしまう時代になると言う事でしょうか。
さて、音楽を作って演奏して行きたい方には、今後考えられる音源販売や配信での収入が重要な観点となります。
ここからはメジャー契約している場合の印税額を考えてみましょう。
日本で一番レコード・CDが売れた70年代後半から90年代初めまでは、アルバムで100万枚以上を売るパッケージが続出しました。
アルバム一枚2500円として100万枚の売り上げは25億円です。
一曲に換算して2億5千万円、全額入れば一生暮らせますね笑。
もちろんそんな訳はなく、レコード会社・出版社から様々な経費等で引かれ、契約内容によって作詞作曲及び実演したミュージシャンに入ってくるアーティスト及び著作権印税は併せておおざっぱに大体5%程度でしょう。
それでも一曲の詩曲書いて歌唱していれば、100万枚で1200万円以上の収入にはなりました。
これから主流になるであろう定額制音楽配信サービスの場合、一回再生されて権利者に入る印税は現在0.24円(Apple Musicの無料期間中で。今後変動するはず。)といわれています。
もし一曲が100万回ストリーミング再生されたとしても、権利者が得られる金額はたった24万円です。
えーとその収益の差は1000倍以上です。
メジャー契約している場合、分配で作詞作曲したミュージシャンに5%入るとすると、1万2千円です。
「オレが作って歌ってる曲、Apple Musicで100万回聴かれたんだぜ-、凄いだろ!」と自慢しても、その報酬は一ヶ月の光熱費が払えないくらいです。
さて、どうすればいいでしょうかね。
まあ答えはいくつか考えられますが、本記事と趣旨が違いますので、それはまた別の機会に。
この稿終わり。