温故知新シリーズ【ウエストコーストロックの名曲たち】Vol.1(#1~#10)
お店などで「ウエストコーストロックが好き」という話をすると、それ何?って顔をする方たちが増えてきた気がします。
若い子たちは仕方ないにしても40代あたりにも広がっている感じ。
ここらで「ウエストコーストロック(サウンド)」とは何かって事を、彼らの代表楽曲や名曲をお聴かせして、その素晴らしさを伝えるのもありか、と思ってきました。
この記事は筆者のFBで、ここ最近随時アップした投稿文を、加筆修正して10曲分をまとめたものです。とにかく長いのでお暇なときに・・。
文章で「ウエストコーストロック」とは?をざっくりと書くと、米国で1960年代半ばから70年代にかけてLAを中心として西海岸から発信されたポップ&ロックミュージックという事になります。
サウンド的にはフォークやカントリーのアコースティック感が漂い、コーラス(ハーモニー)を重要視したロックという感じでしょうか。
文献や識者の中には60年代のビーチボーイズやバーズなども含まれるという意見もあるようですが、他のジャンルと混じり合ってる感もあり、地域発信の物を全て取り上げると膨大になり過ぎると感じています。
なので、ここでは大まかに<70年代以降>のフォーク・カントリー系から繋がるウエストコーストロック(サウンド)の「中心」とみなされるバンドやミュージシャンの楽曲をご紹介しますが、たまに異色な曲も含まれます笑。
選んだ楽曲は例によって個人的な観点からで、「ウエストコーストロック」のイメージを持つもの、そしてyoutubeに上がっている発表時のオリジナル原曲(ライブ映像や別ヴァージョンなどではなく)からのチョイスなので、諸々至らない部分はご容赦のほどを・・。
#1 CSN&Y(クロスビー・スティルシュ・ナッシュ&ヤング)「Teach Your Children」1970年
1970年クロスビー・スティルス&ナッシュはニール・ヤングをメンバーに迎え入れ、名盤『Deja Vu』をリリースしました。
そのアルバムからグレアム・ナッシュが提供したこの名曲を第一弾に選びました。
CSN&Yの登場により「70年代ウエストコーストロック」の骨格が形成されたように思います。
彼らの持つ「土臭さ」はいずれ払い落されるにせよ、「ウエストコーストロック概念」のスタートラインに立ったグループでした。
この「Teach Your Children」は映画『小さな恋のメロディー』のエンディング・テーマでしたね。イントロからグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアによる素晴らしいペダルスティールが印象的です。
でも何と言ってもグッとくるのは強力なコーラスワークですね。2番のAメロの追っかけコーラスはよくあるパターンとはいえ、本当に素晴らしい!
#2 Loggins & Messina「House At Pooh Corner」1972年
ケニー・ロギンスが作ったこの曲をニッティ・グリッティー・ダート・バンドが歌い、米国で中ヒットとなった事で、ジム・メッシーナの目に留まります。
ジム・メッシーナはバッファロー・スプリングフィールド解散の後ポコのメンバーでしたが、ケニーと出会ってポコを止め、二人のユニット、ロギンス&メッシーナを作ってしまいます。
そして1972年1st『Sittin' In』を発表。
今回ご紹介の「House At Pooh Corner」(プー横丁の家)はそのアルバムに収められた心温まるセルフカヴァーの傑作で、今でも米国家庭や子供たちに愛される名作です。
地味と言えば地味ですが笑、同じく収められた超名曲の「Danny's Song」とかこの辺の楽曲を聴いておくとウエストコーストロックの拡がりを理解しやすくなります。
ちなみにこの曲は「くまのプーさん」の唄なんですよ。
#3 America「A Horse With No Name」1972年
この「アメリカ」という名前のバンドが、イギリスで生まれたという事をご存じない方もいるかもしれません。
彼らはイギリス駐留の米空軍の軍人子息たちで、1970年当時人気絶頂のCS&Nにあやかって三人組を結成したと言われています。
確かにアコースティックサウンドとハーモニーというウエストコーストロックの重要な要素を、少しシニカルな感じで取り入れていますね。
「アメリカ」は1972年英国でデビュー・アルバム『America』をリリースし、三枚目のシングルであるこの曲が大ヒット、英国で3位、米国で1位となります。
そのヒットによって得た資金で、彼らはLAに凱旋帰国し、その後も名曲の数々をヒットさせていきます。
なお彼らの何枚かの名盤を、英国人の故ジョージ・マーティンがプロデュースしているのも、イギリスでのデビューの縁かも知れませんね。
さらにこの「A Horse With No Name」は故マイケル・ジャクソンが「 A Place With No Name」としてカヴァーしているのをご存知の方は少ないでしょうね。
#4 Carole King「It's Too Late」1971年
え?キャロルキングがウエストコーストロック?って思われる方もいるでしょう。
キャロルはNY生まれ。ジェリー・ゴフィンと組んだソングライターチームとしてアメリカンポップスの数々の名曲を作りヒットメイカーとして一世風靡しました。
しかし夫であったゴフィンと別れ、60年代終わりにLAに移り住んでソロ活動を開始します。
そして1971年永遠の名盤『Tapestry』を発表します。
このアルバムはダニー・コーチマーを中心としたウエストコーストロックの名ミュージシャンたちと録音されており、なんといってもジェイムズ・テイラーの参加がウエストコーストサウンドを決定づけています。
さらに『Tapestry』には、後にジェイムズ・テイラーの大ヒットとなる、知らない人はいない名曲(笑)「You've Got A Friend」も収録されています。
この「It's Too Late」はシングルカットされ全米一位となる大ヒット。この曲の持つ乾いた音色は、ウエストコーストサウンドの新たな指標のひとつにもなった気がします。
キャロル・キングと『Tapestry』アルバムは、後にウエストコーストロックの主流ともなるシンガーソングライターブームの先駆けともなりましたね。
#5 Eagles「Take It Easy」1972年
1972年、「ウエストコーストロック」にとって最も重要なバンドがデヴューします。
皆様もさすがにご存知であろうイーグルスは、「カントリーロック」と呼ばれていたサウンドを巧みに進化させるメロディとコーラスセンスとプレイテクニックを持ち得ていました。
この「Take It Easy」は当時の実質的なリーダーであった故グレン・フライがジャクソン・ブラウンと共作したデヴューシングルで、全米12位まで登るスマッシュヒットとなりました。
この曲を含む1stアルバム『Eagles』は英国人プロデューサー/エンジニアのグリン・ジョンズ(ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなどを手掛けた当時の売れっ子)によってロンドンで録音されました。
そのおかげかどうかは判りませんが、イーグルスはそれまでのCSN&Yのような土臭さたっぷりのサウンドから、いい意味で多少逸脱できたのかも知れません。
「ウエストコーストロック」の黄金期を開始させるバンドが良いスタートを切った事で、ロサンジェルス周辺の音楽シーンは1972年以降、ますます活性化して行きます。
#6 James Taylor「Don't Let Me Be Lonely Tonight」1972年
ジェイムズ・テイラーは60年代半ば過ぎNYから音楽活動をロンドンに移し、1968年アップルからアルバムデビューします。
しかしビートルズの解散騒動でアップルからはまともに売って貰えず、失意の中1970年LAに移り、ワーナーで再活動を始めます。
キャロルキングもNYからLAに移って来た一人でしたが、ジェイムズ・テイラーと盟友関係になったのもそんな「縁」でしょうか。
ワーナーに移籍してからは『Sweet Baby James (1970)』『Mud Slide Slim And The Blue Horizon (1971)』というヒットアルバムを出し、その後SSW系ウエストコーストロックの中核として重要な役割を担うジェイムズ・テイラーですが、1972年に三枚目のアルバム『One Man Dog』を発表します。
この三作目は意外と地味な印象を持つアルバムでしたが、RECミュージシャンにクレイグ・ダーギ、ダニー・コーチマー、ラス・カンケル、リーランド・スクラーというウエストコーストロックの最強メンバー4人が初めて揃ったアルバムです。
この4人はその後「ザ・セクション」としてアルバムをリリースする事になります。
さらに『One Man Dog』には、今回ご紹介の歴史的な名曲「Don't Let Me Be Lonely Tonight」を収録している点でも重要度が高いアルバムと考えます。
この曲はフォーク・カントリーから一線を画し、ソウルフルな印象も与えます。
識者の中には「Don't Let Me Be Lonely Tonight」が「AOR」と呼ぶべき一曲目ではないかという意見も出ています。
今でも人気の高いこの曲の存在は、数あるジェイムズ・テイラーの名曲の中でも群を抜いており、「アメリカの良心」として国民的シンガーソングライターとなった理由の一つではないでしょうか。
#7 Linda Ronstadt「Desperado」1973年
リンダ・ロンシュタットはウエストコーストロックの女性シンガーとして圧倒的な知名度と功績を残しています。
70年代音楽シーンにおける彼女の存在は、女性という事も相まってウエストコーストロックの多様性を限りなく広げました。
リンダは自分では曲を書かず様々なミュージシャンやバンドの楽曲をカヴァーしたり、発注の上選曲して来ました。
その結果、知名度を上げたミュージシャン達が数多く居ます。
象徴的なのが今回取り上げた「Desperado」です。
今やイーグルスの超有名曲としてロッククラシックとなっているこの曲ですが、実はリンダが1973年『Don't Cry Now』でカヴァーした事により、さほど売れ行きの良くなかったイーグルスの2ndアルバム『Desperado』の重要度を高めたのです。
リンダは自分のバックバンドとして集まったはずのイーグルスを後押ししつつ、この名曲に目を付ける選曲センスを持っていました。
その後もウエストコーストロックにとって重要なヒット曲を何曲も送り出すリンダ・ロンシュタットですが、またいずれご紹介したいと思います。
#8 The Doobie Brothers「Listen to the Music」1972年
1972年デヴューのイーグルスと並び、ウエストコーストロックを代表するバンドであるドゥービー・ブラザーズは、イーグルスより一年前1971年にデヴューしていました。
しかし1stアルバムの売れ行きはぱっとせず、翌年リリースされた2nd『Toulouse Street』からのシングルカット、この「Listen to the Music」が全米11位のスマッシュヒットとなるまで知名度は低いままだったのです。
ほとんどの楽曲を書き、実質的リーダーのトム・ジョンストンはブルースやロックンロール、ゴスペルなどの影響を受けハードなギターカッティングを得意としていました。
相棒であったパトリック・シモンズはフォークやカントリーの影響下アコースティックなサウンド部分を担っていたのです。
バンドの中心であった二人が織りなすサウンドはそれまでのウエストコーストロックの概念とは一線を画していました。
その流れは翌1973年発表の3rdアルバム『The Captain and Me』で遺憾なく発揮され、「Long Train Runnin'」(全米8位)、「China Grove」(全米15位)というロック史に残る超有名曲を残していきます。
とはいえドゥービー・ブラザーズは、その後まるで違うバンドかのような音楽的変化をメンバーチェンジと共に、繰り替えしていきます。
ウエストコーストのロックバンドをイーグルスを本流とするならば、ドゥービー・ブラザーズはある時期から支流となって別れて行き、それでも大河として成長していったバンドとして歴史に名を刻んで行ったのです。
#9 Neil Young「Heart of Gold」1972年
ニール・ヤングはバッファロー・スプリングフィールド(1967年)を経て、ソロアルバムを二枚リリースし、その後CS&Nに参加。
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)活動中に『After The Gold Rush』を発表、そして解散後1972年に『Harvest』という彼の金字塔となるアルバムをリリースします。
そのアルバムに収められシングルカットし、見事全米1位に輝いたのが今回ご紹介の「Heart of Gold」です。
ウエストコーストロックという括りから考えれば、この曲はかなりフォーキーでカントリー要素の高い土臭さがあふれる楽曲ですが、輝き続ける名曲である事は間違いありません。
コーラスにCS&Nのメンバーやリンダ・ロンシュタット、ジェイムズ・テイラーなど豪華な布陣が参加しています。エンディングでのコーラスはリンダが魅力を発揮していますが、あまりに短くて残念・・笑。
洗練されていくウエストコーストロックの流れの中で、ボブ・ディランの流れをくむオールドフォークの最終章ともいえる傑作でした。
#10 CARPENTERS「Goodbye To Love」1972年
な、何故このシリーズにカーペンターズが?と驚きの方も居るでしょうし、そもそも「ウエストコーストロック」ではないだろう?とお考えの方も居るとは思います。
ただ彼らはロスアンゼルスを拠点にして1969年のデヴューから活動を始め、兄リチャード・カーペンターによる類まれなアレンジメントと楽曲群は「ウエストコーストサウンド」の片翼も担って来ました。
またリチャードによるプロデューサー的観点は、バート・バカラック&ハル・デヴィッド、ロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムズ、レオン・ラッセルなどのLAで活躍した作家陣やミュージシャンの楽曲をヒットに導いています。
カーペンターズのPOPS作品はLA発信の「ウエストコーストサウンド」として「ウエストコーストロック」とも繋がりを保っていたとも考えられます。
その理由の一つが、今回取り上げた「Goodbye To Love」です。
この美しいバラードはリチャードの作品ですが、カーペンターズの大傑作アルバム『A Song For You』に収録され、シングルとして全米7位まで上がっています。
この曲には間奏とエンディングにトニー・ペルーソというギタリストによるファズ(ビッグマフ?)エフェクターによって歪ませた、あまりに素晴らしいギターソロがフィーチャーされているのはご存知の方も多いでしょう。
それまでPOPSバラードにこういったハードな音色のギターソロを使う事はほぼありませんでした。
そして、この曲のヒットによりいわゆる「パワーバラード」の原型が生まれたとも言われています。
このギターソロに「ロック魂」を感じるならば、そしてエンディング前のコーラスワークの美しさに感銘を受けるならば、「ウエストコーストロック」の括りにも入れてあげたいと個人的に思います。
またカーペンターズは1975年リリースの『Horizon』で、イーグルスの「Desperado」もカヴァーしていますね。まあ出来の方はいまいちかな?とおもいますが・・笑。
しかし「Goodbye To Love」のギターソロは「完璧」ですな・・
さて「ウエストコーストロック(サウンド)」を象徴すると考える楽曲10曲をご紹介して来ました。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、この10曲は全て1970年から1973年の間に発表されたヒット曲です。
しかし「ウエストコーストロック」の真の黄金期はその後にも開花して行き、名曲、ヒット曲の数々が生まれました。
いずれVol.2としてその黄金時代の楽曲もご紹介して行きたいと思います。
この稿終わり。