勝手な音楽年代記1950~2010
<1950年代>
米国の音楽産業はLPレコードとシングル盤という最新武器を市場に投入した。大戦後、大衆の新たな娯楽として映画と共に音楽産業の快進撃が開始された。音楽は保有される物となった。
そして新たな地平となるラジオ放送の娯楽化が各地で始まり、世界のレコード市場は「大いなる助走」を始めた。
白人の「ポップス」黒人の「リズム&ブルース」が主な牽引力となった。
さらに人種の壁を克服する「ロックンロール」が発明された。
<1960年代>
「ブリティッシュ・インヴェイジョン」が勃興し、米国では「ブルース・ジャズ・ソウルR&B」及び「フォーク・カントリー」の融合と進化がビックバンを起こした。
そしてハードからソフトまで「ロックミュージック」を再構築した欧米の音楽は、ラジオによるマーケット拡大と共に、更なる飛躍を続けた。TV放送による音楽番組の人気も拍車をかけた。「クラシック」をも手中にした「プログレッシブロック」も進化を始めた。さらに肌の色を超越する事になる「ファンク」が、天から舞い降りた。
日本国内ではGSブームが起き、若年層向け音楽マーケットの基礎が固められた。
<1970年代>
マルチトラックレコーディングの発達により、制作の自由を得たミュージシャンたちは、その羽を広げて時代を謳歌した。
「レゲエ」「サンバ・ボサノヴァ」などラテンミュージックの要素も一般化され、ロックに取り込まれた。
そして長すぎたベトナム戦争の終焉によりラヴ&ピースが輝きを増し、シンガーソングライターが台頭し、再度ハートフルな音楽が受け入れられ始めた。
さらに全ジャンルの音楽が進化し、ロックミュージックを中心にレコード売り上げは伸び続け、現在に至るまでの全てのポピュラーミュージックの原型が構築された。
まさに華麗なる黄金期が繰り広げられた。
<1980年代>
デジタルテクノロジーが次なる創造性を与えたかに見えたが、結局は音楽のクオリティに影を落とし始めた。しかしCDの登場で音質の保証は、少なからず担保された。全世界で驚異的なセールスを持つアーティストが登場する中、消え去ったジャンルもちらほら現れ始めた。
MTV人気により音楽は映像化された。
そして英米の経済格差が浮き彫りにされ、「パンクロック」が顔を上げて起き上がった。さらに「ラップ」が進化を重ね「ヒップホップミュージック」の台頭が確固たるものとなった。
<1990年代>
あまりに大きくなった「ロック」というジャンルが、ミクスチャーされたサウンドにより変質を経て、静かに終焉を迎えた。
そして欧米と日本のマーケットは引き裂かれ、国内では洋楽文化が片隅に追いやられた。
グランジやオルタナティブは、文化の違いを含めて青春パンクと共存出来なかった。
過去のアナログ盤が次々とCD化され大人たちは買い替えに走ったが、若年層は見向きもせず、表層的な国産音楽を追いかけ二極化が進行した。
その結果ユーザーとマーケットは音楽の「質」を失い始めた。音楽産業は「世紀末」を迎えた。
<2000年代>
IT化・デジタル化の進歩に反抗するかのように、フェス・ライブが隆盛を極め、音楽はある種の原点回帰を始めた。
しかし制作システムは極端に矮小化され、専門職が不要とされ始めた。
その結果、新人ミュージシャンは小物化して行き、過去のバンドやミュージシャンのみがビッグネームとみなされた。
さらに音楽産業は「質」と共に「商品価値」すら失い始めた。国内では一部のCDは「グッズ」と化した。
<2010年代>
パッケージ商品がますます縮小する中、音楽マーケットは収益性の核心を奪われたままだった。それでも変化に対応しようとした音楽産業は、過去の財産の極端な安売りと、視覚化というオマケを付けてネットとの共存を図った。
レコード産業システムから乖離した人気ミュージシャンは、利益構造の大部分をコンサートチケット料金に上乗せして、収益を確保するビジネスモデルを得た。
国内ではシステムの援助を受けられなくなった新人がクオリティコントロールを自力で余儀なくされ、質の低い「焼き直し」を安易に作り続け、音楽創造の意義を失いつつある。
とはいえ一部で消え去ったジャンルやサウンドを復活させる動きも見られる。