<昔のレコーディング雑記>その1
ここ最近、70年代の古いアルバムをCDで買い直して聴き込んでいると、40年近くも前なのにあまりにも素晴らしい演奏音源の再発見に少し戸惑いつつも、「そりゃそうだ」と納得している。
僕が思うところのその訳を、当時のレコーディング現場及びその周辺の様子を少し思い出しながら書いてみたい。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
それはマルチトラックレコーディングの録音技術が日進月歩の中、アメリカが先行し、日本の音楽制作関係者とミュージシャン達が、その音楽のレヴェルを追随しようと日々努力していた時代の話だ。
僕が初めてレコーディングスタジオに行ったのは76~77年頃で、池尻大橋にあった今は無きポリドールスタジオだった。建物も立派で、1stはフルオケに近い編成が収容できる広さと高い天井がある。
多分、当時日本一の大きなスタジオで、コントロールルームにはどでかいコンソールと機材ラックが鎮座し、入った瞬間に緊張せざるを得ない「音楽を生み出す仕事場」という雰囲気に、二十歳そこそこの僕は畏怖の念を感じざるを得なかった。
その頃主流はまだアナログ16chのレコーダーで、使えるトラックに限りがある中、いかに良い演奏を良い音質で効率よく収録するのか、プロミュージシャン達と制作スタッフは技術と知力と感性を磨く事を手探りで続けていた。
洋楽の良いミュージシャンの新譜が出ると、我先に買って聴き込み、そのサウンドや音質を共有するのは当然の事だった。仕事が終わって飲みに行くと話題のほとんどは最近出たアルバムと、必ず聴かなければならない欧米ミュージシャンのネタであった。聴いてなければ相手にされなかった。
やがて24chアナログレコーダーが普及を初め、トラックが8chも増えピンポン用の2トラックの確保が楽になったと、エンジニアが喜んでいた時代へと続いていく。
*写真は1980年LA。とあるスタジオの副調の機材群。真ん中辺にあるのが24chのアナログマルチレコーダー。
そんなスタジオを6時間使用すると30万円近く、ミュージシャンのギャラ併せるとほぼその倍額が予算から消えていく事になるわけで、全員が必死だった。
よくリズム録りを、1テイク、2テイクでOKするというのは、プロのミュージシャン達の新鮮な感覚がそこに集約されるというのもあるが、当然時間(お金)との戦いがあるのも否めない。
そんな中、リズム録りでのスタジオの支配者は日本の場合プロデューサーでもディレクターでもなく、アレンジャーとエンジニアとプロミュージシャン達だった。
プロデューサーやディレクターは、居るには居たが、彼らの仕事はそれ以前のコンセプトワークと楽曲決めや、直しが最重要であり、リズム録りのスタジオではベテランほど口を挟まなかった。
写譜屋が普及するまで、アレンジャーが時には徹夜で仕上げた、(といってもマスターリズムしかない)譜面をコピーし、セロテープで貼り付けミュージシャンとスタッフ分用意するのが、スタジオでの僕ら制作アシスタントの最初の仕事だった。
その間にエンジニアはスタジオアシスタントとドラムやアンプへのマイキングを行い、各ミュージシャンのサウンドチェックを手際よく終え、楽器の鳴りとピークレベルを確認する。
ミュージシャン達が副調(コントロールルーム)に揃い(聴く価値がある場合は)作家やSSWのギター一本、ピアノ一発の曲デモをワンコーラス流す。
自分が選んだそのミュージシャン達がどんな演奏をするのか、何ができるのかを熟知しているアレンジャーは譜面の注意点を必要に応じて各人に確認し「まあ○○○みたいな感じ」と軽く雰囲気を伝え、スタジオのアシスタントにドンカマのテンポを指示する。
一部始終を聞いているベテランのエンジニアは何気なく卓のイコライジングの再調整を初め、ほっとくといつまでも喋っているミュージシャン達を「じゃ、やろうか」とスタジオへ追いやり、アレンジャーも大抵同録するミュージシャンなので歌い手(仮歌)を伴って一緒に入り、さりげなくレコーディングが始まる。
お金を払う側(プロデューサーやディレクター)は、録音する楽曲がどんなアレンジで、どんなリズムトラックとなるのかスタジオで1テイク取るまで、ほとんど想像出来ない。ましてや仕上がりなど先の話だ。
譜面のキメが難解だったり、行き方がちょっと普通じゃない場合は軽く練習したり確認するが、大抵いきなりテープを回して録りだしてしまう。
1テイク録って副調でみんなで聴いて、各ミュージシャン達がアレンジャーの意図を理解し、雰囲気をつかんで、自分が表現すべき事を把握して「じゃ、もう一回やろうか」となると、よくスタジオマジックと呼ばれるものが生まれる。
1テイク目でも何も問題のないプレイをする一流ミュージシャン達が、その曲を「判ってしまった」後の演奏はグルーヴが連なり、自分たちの技術と感性をここぞとばかり表現し、さらに磨きが掛かった素晴らしいテイクをテープに残せるのだ。
ごくまれにわざと違うコードを弾く場合や、譜面には無いキメをあうんの呼吸でやってしまう事もある。そんなこんながスタジオマジック。
アレンジャーは演奏終了後、何事もなかったかのように「聴いてみよっか」とOKである事を伝え、みんなで副調に戻り、そのテイクを真剣に聴き、ブレイクでのドラマーのフィルににやりとし、笑顔で
「じゃ次の曲行くけど、どっか直したい人は?」となる。
当時そんなスタジオでの感じは、LAでもNYでも同じだったはずだ。
そしてアレンジャーは、ふと思い出したようにスタジオのど真ん中に座っているディレクターに、
「あ、いいですよね?」
と尋ね、むろん望んだリズムトラックが出来るのを判っているからこそ、そのアレンジャーに依頼した経験値の高いディレクターは「もちろん」と更なる笑顔で答えるのだ。
プロ同士の連係プレイとスタジオマジック、顔を見合わせてやるレコーディングだから残せた素晴らしい演奏音源の誕生である。
時折、入ったばかりの意気揚々としてるが音楽をよく判ってない若手ディレクターが担当で、
「えと、もう1テイク良いですかね?」
となるとスタジオ内が凍り付くのだが、その後どうなるかはまたいずれ。