ちがい
わたしは じぶんのタイミングで 掃除をするのがすき
三女は 自分のタイミングで おままごとを くりひろげるのがすき
むかしは わたしも 空想世界をつくって おままごと をほぼ1日遊んでるのがたのしかった
お互いわかりあう
その好きさ は 相手にかなわないかもしれないけど、
あのヒトの 「すき」 のこの部分は わかるなぁ
その人の「すき」を認めることなんじゃないかな
そのものをすきにならなくても、そのひとがすきなものであそんでいることを認める、理解する
こうして自己受容がひろがるだけなんじゃないかな
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?