自分のコト | 4児の母になるまで
自己紹介記事を少しずつ書いています。noteのプロフィールには「FIREを目指す4児の働く母」と書きました。今回の記事は、私が4児の母になるまでの話。
子宮外妊娠〜1人目の出産まで
小さい頃は「幼稚園の先生」になりたかったくらい、元々子供は好きでした。高校の同級生によると当時から子供は3人欲しいと言ってたそうです。早く結婚して子供が欲しいと思っていました。
29歳で結婚後、卵巣が腫れて婦人科に通った時期があり、治るのを待って不妊治療を始めました。初めはタイミング法、少しして人工受精に進みました。そして子宮外妊娠。卵管に着床していたため開腹して片方の卵管を取りました。
生理が再開し、すぐに転院して高度治療に進みました。夫の精子の状態が悪く、顕微授精をすることになりました。身体への負担が少ない方法を希望し、自己注射はせず内服と点鼻薬だけだったので、採卵は一度に2〜3個だったと思います。
何度目かの挑戦で無事着床し33歳の時に出産しました。陣痛促進剤を使っての計画無痛分娩予定でしたが陣痛が進まず、最終的には帝王切開による出産でした。
顕微授精〜VBACへ
2人目への強い希望があったので、1人目の出産後、生理が再開してすぐに不妊治療を始めました。1人目と同じく顕微授精で、何度か失敗もしましたが、幸い数回で着床に至り、35歳で2人目を出産しました。
自宅の近くに新しく病院ができて、そこはVBAC(帝王切開後の経膣分娩)にトライできる病院でした。1人目は、なかなか陣痛が強くならず、最後は胎児の心拍が弱くなって帝王切開になっていました。2人目も似た状況で心拍が弱くなったのですが、先生がお腹の上に乗って赤ちゃんを押し出す!という手法が取られ、無事に経腟分娩で生まれました。帝王切開と比べると、出産後はかなり楽だったと思います。
まさかの自然妊娠
2人の不妊治療は、仕事と両立することも大変でしたが、何よりもうまくいかなかった時のストレスが強くて、些細なことで喜んだり落ち込んだり、頭が治療のことでいっぱいになり、感情の起伏が大きくて辛いなと感じていました。
3人目は、もちろん欲しかったのですが、治療をしてまで…と思っていたら、なんと!自然に授かりました。卵管が片方しかないので難しいと思っていましたが、この頃までに夫の仕事が変わって、深夜早朝の業務から外れ規則正しい生活になっていたので、それが良かったのではないかなと思っています。2人目出産から2年後、37歳で3人目を出産しました。
4人目が欲しくなる
子供は3人と思っていたのですが、子供達が大きくなってくると、家に赤ちゃんがいないことが、とても寂しく感じるようになり、いつしか4人目が欲しいと思うようになっていました。
既に40歳になっていたので、できればラッキーくらいのマインドで過ごしていたところ、幸い自然妊娠することができて、41歳で4人目を出産しました。
4人目はお腹の中でなかなか育たなくて、高齢出産だからかなと心配もしましたが、無事に元気に生まれてきてくれました。小さく生まれた分お産は軽く、出産後の回復も1番早かったと思います。
4人目が大きくなっても、もう1人、とは思わなくなりました。今は4人の子供達との毎日を本当に楽しんでいます。4人の子供がいる分、4倍人生を楽しめていると思います。1番上は高校生なので、家族揃って暮らせる時間も残り少なくなってきました。なお一層、毎日を大切に過ごしたいなと強く思っています。
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