うつになったり骨折したりした夏
はじめに
2023年6月から8月にかけて、自分を見つめ直す機会ができたので、その時感じたことを振り返りながら書いてみます。2ヶ月以上を振り返るので結構長いです。
ほとんどの人にとっては何の役にも立たない独り言ですが、もし似た境遇の人がいたらこんなヤツものうのうと生きているんだなくらいに感じてもらえたら嬉しいです。
自分について
睦月という名前ですが、もちろん偽名です。1月生まれでもありません。
高校卒業後、1年浪人したので社会人3年目の26歳です。
自分の性格はよくわかりません。真面目と言われることが多いですが、そうでもないです。たまにボケます。
反抗したり自己主張するのが苦手です。この性格が知らぬ間に自分の首を絞めていたのかなと思います。
趣味はツーリングです。休みの日には山道をバイクで駆け回って現実から逃避しています。一人でも複数人でも、それぞれ違った楽しみがあります。
今後はバイクについても魅力を書いて記事にしてみたいです。
他にはコーヒーを淹れたり、実況動画や配信を見たり、お酒を飲んだり、何かしらの手段で時間を潰しています。
趣味があったから、かろうじて自分を保つことができたのかなと思っています。
これ以上自分を語ると長くなるのでまた今度。
自分、うつになる
今年の6月中頃、自分はうつになりました。
職場でパワハラを受けていたわけでも、過剰労働をしていたわけでもないです。
それでもなんとなく生きづらい、周囲の人が当たり前にできていることができない。
そんな状況を危機的に思いながらも、自分が変わるしかないと言い聞かせて頑張ったつもりでしたが、実際はただ時間が過ぎていくだけでした。
ミスの連発、相手の話が理解できない、文字を読んでも頭に入ってこない、生きていて申し訳ないなどなど…今思えばかなり異常でした。
そしてついに先輩や上司に呼び出され、精神科の受診を勧められました。周囲から見てもよっぽどだったのでしょう。上司に今の自分の心理状況を説明している時、自分の中で何かが切れたのか、情けなくも泣きじゃくってしまいました。やっぱり異常ですね。
そういった経緯で、自分は職場に勧められたメンタルクリニックを受診をすることになりました。
はじめての精神科受診
まずは電話で受診予約。職業柄病院と関わることは多かったのですが、自分のこととなると変に緊張しました。
精神科はいつも混み合っているイメージでしたが、電話受付の方に「早くても…3日後ですね」と言われ「逆にそんな早くていいの!?」となりました。
問診票を書き、順番が来て診察室へ。物腰柔らかいおじいちゃん先生でした。受診の経緯や、いつ頃から不調か、今の気持ちはどうかなどを話しました。そのときも泣いてしまいました。
個人的には抑うつ状態とか、適応障害とかかなと考えていましたが、医師の口からは「うつ病ですね。8月末まで休みましょう」と。抗うつ剤と頓服の安定剤が処方され、定期的に通院することになりました。
戸惑いはありましたが、とにかく職場へ報告。その日から2ヶ月以上の療養が始まります。
走りまくった夏休み🏍️
突然降って湧いた夏休み。学生よりも長い夏休み。どうやって過ごそうか、休んだ方がいいのか、動いた方がいいのか、職場は大丈夫だろうか、いろんな思考がぐるぐると回ります。とはいっても最初の1週間くらいは薬の副作用で気持ち悪くてロクに動けませんでした。断薬してしまう人の気持ちも理解できる。
うつになったことは家族と何人かの友人に話しました。救いだったのは、みんな重く受け止め過ぎず、ゆっくり休みなと前向きな言葉をかけてくれたこと。高校の時に一番仲が良かった腐れ縁の友人にはLINEで一文字だけ「草」と返されました。案外それくらいがちょうど良かったのかもしれません。
薬の副作用が和らいで、何かしようと思った時に真っ先に浮かんだのはバイクの事でした。夏は山のベストシーズン、せっかくだから後悔のないように走りまくろうと。今年の夏はとんでもない暑さでしたが、山まで行くとだいぶ和らぎます。日中は山を走り、気温が下がったら自宅に帰る生活を繰り返していました。
ちゃんと測っていないけど、2ヶ月で2500kmくらい走りました。バイクに乗っている間は余計なことを考えられないので、メンタル的に結構いいのかもと思ったり。
バイクのスキルアップをしたいなと思い、思い立って大型バイクの教習に申し込み。今年の酷暑の中、丁寧に教えてくださった指導員の皆様には心から感謝です。
転職するとしたら二輪の指導員も興味あるな…
お恥ずかしながら卒検に一度落ちました。検定コース最後の最後の一本橋。これを渡ればおそらく合格。しかし緊張で余計な力みが入り、あえなく脱輪、一発アウト!!
そんなこんなで大型二輪の免許を取得。乗れるバイクの幅が増えました。
このままではバイク馬鹿になってしまうので、そろそろ頭を使うために図書館に通いはじめました。もともと読書は得意じゃなかったのですが、自分に関係する本なら読めるかなと思い、精神疾患に関する本をパラパラと読んでみました。うつになりやすい人の特徴にほとんど当てはまり、うつになるべくしてなったのだなあと思いました。
こんなかんじで2ヶ月間、自分の好きなことに時間を割くことを心がけました。
突然の悲劇
医師から伝えられた休養期間は8月末まで。体調はおおかた回復し、復職に向けた産業医面談。上司同席のもと、自分の今の状態を話し、無理せず徐々に職場に戻ろうという話で落ち着きました。
それまでは良かったのですが、帰りに思いがけない出来事が襲います。
自転車で勢いよく転倒したのです。
何が起こったか自分にもわかりませんでした。歩道と車道の段差に乗り上げてしまったのかな…
前方に体を投げ出され、一番最初にアスファルトに挨拶をしたのがまさかの右手(利き手)の指。
幸運であったのは車道にコケたけど後続車がいなかったこと、肩、膝は打ったけど頭は打たなかったこと。
通りがかった自転車のお兄さんに「大丈夫ですか!?」と言われるも、半笑いで「大丈夫です」と答えることしかできない。絶対に大丈夫じゃない落ち方をしたのに。
そのまま歩いて整形外科へ。指のレントゲンを撮り、医師の診察を受けます。
かろうじて指は動かせたので、あわよくば捻挫で丸く治らないかな…と甘い考えを持っていましたが、医師の口から発されたのは残酷にも
「骨折です。中指から小指の3本が折れています」という言葉。
かくして夏休みの最後の1週間は右手を固めた生活を強いられました。最後に行きたい場所があったのに…もちろんバイクも乗れません。
右手縛りの一人暮らしは案外楽しかったです。生活できないことはない。ただ、通勤に支障をきたしたので、しばらく実家に帰ることにしました。
骨を折った瞬間に浮かんだのが「あ、バイク乗れねえや」だったので、やっぱりバイク馬鹿です。
復職とこれから
9月1日から、職場に復帰しました。うつ病のことははっきりとは伝わっていなかったみたいです。皆さんの注目はメンタルよりも包帯ぐるぐる巻きの右手だったので、逆に良かったかな。
しばらく有給休暇を使いながらの時短勤務。無理しないでとは言われるけれど、あんまり業務量は変わっていないので、仕事の密度だけ爆上がりした感じです。
休職前とどっちの方が楽なんだろうか。
この先のことは正直わかりません。また休むことになるかもしれないし、転職するかもしれないし、案外軌道に乗って仕事が続くかもしれない。もう受け入れるしかないかなって心境です。
前述した通り、二輪の指導員に興味があります。バイクは人生を変えるとまではいかないけれど、鬱屈したモヤの中から強制的に脱出できる。車では味わえない爽快感がある。それと同時に事故が命に直結するとても危険な乗り物だからこそ、正しく楽しむ方法を人に広めたい、浅はかかもしれないけれど、そんな動機が自分の中にあります。
休職して少しだけ前向きになったかなと思います。自転車で吹っ飛んだ時でさえ、うまく着地できたなと自分を褒めることができました。休みの日にダラダラすることにも罪悪感を感じなくなりました。今までは休んでも遊んでいても後悔の念に駆られていましたが、その日のありのままを認められるようになりました。
復職して早々に迷惑をかけていますが、一つ一つ、最初から積み重ねていくつもりでやっていくしかないと思って開きなおって生きます。(“開きなおって”は精神科受診で何回も言われた言葉です)
まとめと関わってくれた人への感謝
以上がざっと振り返る、いつもと違う今年の夏です。
心身の不調は案外簡単に現れるけど、それを他者に伝えるのは難しい。
他の人はもっと頑張っている、自分より辛い境遇の人は他にもいる、甘えてはいけない、そんな考えがいつしか脳裏にこびりついて修正が効かなくなる。自分の一連の不調は一言で表すとこんな感じかなと思います。
生育歴を振り返ればもっと出てきそうだけど、今更これ以上深掘りしてもなあって感じです。
探せば1人くらいは自分と同じような境遇の人はいると思います。そんな人に伝えたいのは案外道はどこにでもあるということです。高速道路が混んだら下道に降りればいい、綺麗な国道もいいけど険しい山道を走るのも案外楽しい。とりあえず生きて帰ってこれれば道中はなんであれ儲けもんだと思います。2ヶ月アホみたいにバイク乗って気づいた人生訓です。(たぶん誰かがどこかで既に言っている)
この2ヶ月を振り返ると、本当に友人に支えられたなと思います。
ツーリングに行ってくれた中学のバイク仲間、三峰に同行してくれた友人、その日の出来事を気兼ねなく話すことができた友人。休みの期間で1人の時間が増えたからこそ、友人のありがたみを感じました。ワンピースみたいな「仲間だァ!!!」的なノリは苦手だけど、フラッと寄りかかることができる友人がいたことは本当に幸せなことだったと思います。誰もみてないと思うけど、ここに感謝を述べさせていただきます。
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