プルミュエの匂い
* 匂いの記憶。4つの景色。
オーデコロンをつける男は嫌いじゃない。
香りが好みであれば、ちっとも構わない。
色香が漂うように、うまく感情を隠すために。
*1 ジュブルフカ
ズブロッカという名のウォッカ。
ポーランドのビアウォヴィエジャの森!で採れる、バイソングラスという 長い葉っぱが漬けこまれている酒がある。
ポーランドの発音なら、ジュブルフカ。
日本なら、桜の塩漬けの葉や 蓬が少し近い香りだろうか。
いや、それは優しすぎるな。
ちょっと独特の青臭い匂いだけど私はすきで、一時期よくBarで飲んでいた。但し、危険度数。
この匂いを想わせる男がいた。
それは、コロンではなく、本人のどこかから香る。
どこだっただろう、汗なのか、髪なのか、追及できなかったけど。
草の香りは、草食系なんかでは決してなくて、獣が肉の匂いを消すためのカモフラージュな草の役目。
すっきりしながら、相手を誘う甘めの媚薬。
重なる髪をすっと撫で上げる仕草。
飄々としながら、さりげなく視線を外さずに こちらを伺う目。
酔って、帰りの道を静かに歩いている。
知らないビルに腕を引っ張られて、深夜のエレベーター。
襲いかかる気配だけ作って、その実、手は出さない。
先に私が目を瞑る。そのままほっておかれる。
何もしないのかと目を開けた途端、降るようなプラスチックのキス。
降りてから、抱きしめられたら、仲間に気づかれるよ。
*
男の匂いが、記憶と共に付随する香りもろとも、一緒に蘇ってくることがある。
それは、彼自身の 幻の時もあれば、その頃の風景の場合もあるだろう。海ならば潮と共に。
街を歩いていて、ふと、あの人のオーデコロンに出逢う。
どこかで元気にしているだろうか。なんて想ってみる。
*2 バーボン
俺、匂いフェチなんだよね、という友人に、じゃあ、私はどう?とは聞く気はない。
そう打ち明けるからには、私の匂いもすき、であっても、知らんぷりをきめこんで、バーボンをお代わりしよう。
バーボンの香しい匂いが、こころを落ち着かせる。
氷のまわりに泡が立つ。指で弾くようにかき回す時、私の片頬に注がれる視線。わかっていて、気づかない振りを重ねる。
こいつとは、恋には落ちないのだ。
こいつは自由奔放に誰がしに惚れこみ、なぜか綺麗な人に好かれるやつなのだから、油断できない。
そんなの端から見てる方が、楽しいに決まってる。ちなみに聞いてもないのに、脇の匂いに弱いとのたまう。はいはい。
*
旅に出よう。 どこか1日では辿り着かない処がいい。
*3 プルメリア
私は甘めの香水が似合う。 ほんの少しだけ、耳たぶにつける。
最後の彼といた時は、お気に入りのシャンプーがあったから、あまり香水はつけて行かなかった。
イギリスで買ったパッションフルーツのシャンプーは、こどもっぽかったから、彼と逢うようになってからは、白い花を想わせる、可憐で濃密なものを選んでいた。
雫が垂れる濡れた髪をタオルで拭いてもらいながら、彼の言葉に耳を傾けていた。静かな心地で。
この香り、ずっと香水だと思ってたけど
シャンプーの匂いだったんだね。
すきなんだ、この香り。君の匂いだ。
この花の香りは、南国の白い花みたいだね。
ほら、どこかの海岸近くの庭に咲いてたような。
この頃の私は、匂いで遠くからでも蜜蜂を焚きつける、白い花になりたかったのだ。
彼が言ってるのは、あのプルメリアのこと。
旅した国の海岸近く、大きな木の枝に咲く白とピンクの堅い花びら。
あれは、もっと強く惹きつける、自信に満ちた女の香り。
プルメリア、フランス植物学者、プリュミエにちなんで。
私は舌を噛んでしまって、プルミュエになっちゃった。
あれは、毒を含んだ危険な誘いなのに、気づかずに虜になっていくんだよ。甘い罠。
*
彼との想い出は、つづく。 そして、途切れる。
*4 ビターな樹液
少年のような彼の仕草が心を持って行く。
この人、少し前までほんとの少年だったみたい。甘いホットケーキの匂いをまだ漂わせている。
彼のおでこの匂いがすきだった。
それは、皮脂にはちがいないのに、クンクンしておでこにキスした。やっぱり、すこし甘い。
英会話を教わったカナダの日系の先生が別れ際にくれたメープルシロップの香り。ちょっとダークな森の木々。
日本にはない、ビターな水滴を発掘する甘さ。あれに近い。
コロンなんかじゃない、君のままの匂い。
自分のおでこを擦ってクンクンしてみても、やっぱり、君のとはちがうね。
いつもおでこにばかりキスする私を、時々物足りなさそうにする、君の上目遣い。そこじゃないだろ。って言いたげに。
なかなか唇に到達しない私への復讐に、あなたが私の髪に顔を絡ませる。 くすぐったい。
君の髪の匂いがすきだ。薫る君。
でも、それは、ただのシャンプーの匂いだよ。
もっと、さりげなく、淡く、漂う
そんな秘めたものにこそ、あなたは惹きつけられて、絡み取られていくんだよ。私という罠にかかって。
*
出逢った頃の、さみしい 目が忘れられない。
だから、その孤独を、愁いを埋めてあげたくて、近づくために、見つめて、漂わせて、意識の中でこちらを向かせて。
ただ、そっと、あなたを抱きしめたかった。
<fin.>
「忘れられない恋」 第44話 プルミュエの匂い
香りの記憶はふと前触れもなくやって来るから厄介だ。
全44話(シリーズ4×11話)終わりました。ありがとうございました。
いつか「続・記憶の本棚」を書いてみたいと目論んでいます。