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5 ティンタジェル 男たちの町④
「面影を追い続ける男」 5 ティンタジェル ー男たちの町④ー
また夢を見ていた。
机の上で頭を抱えて、何かを必死に思い出そうとしている夢だ。
ふと口笛の音楽で、俺は夢の淵から戻って来る。
何だった、この曲? 目覚めた瞬間から夢と同じ状況になっているな。
とてもよく知っている曲なのに。
秋の気配の街路樹と石段のあるイメージ。
澄んだ心地良い口笛の響きが、再び眠りに誘ってくる。また夢に落ちる。
俺はらせん階段を駆け下りる。降りる。おりる。
*
誰かのかすかな揺さぶりで起こされる。
「朝食もうすぐできます。シャワー浴びますか?」
あのバーテンダーだ。
昨夜はそのままベッドに潜り込んで泥のように眠ってしまった。
「ありがとう。そうするよ」
シャワーを浴びながら、さっきの曲を口ずさんでみる。
バスルームを出ると、部屋中に香ばしい匂いが漂っていた。
イギリスでの食事は閉口することが多いが、朝食はおいしかった。
空港内のカフェでも、朝食は頼んで損はない。
フライド・エッグ、ベーコン、ソーセージ。
ベークドされたマッシュルーム、ビーンズ、トマト。
トーストにマーマレード。そして紅茶。
中でも俺はなぜか焼いたトマトが好物だった。
日本では普通、ソースにするか、生のままサラダで出てくる。
「あなたは音楽をやっている人ですか」
「どうしてそう思うんだ?」
「『枯葉』のリズムの取り方、プロっぽいなと思って」
そうだ、オータム・リーブス、『枯葉』だ。
何度も演奏しているのに、題名を忘れるなんて。
「別にそういうわけじゃないさ」
そう。と言うと彼はその後ずっと黙り込んで、窓の外を見ていた。
「ご馳走さま。凄くうまかった」
食べ終わった皿を重ねながら、
「片付けたら、捜しに行きましょう」と彼は微笑んだ。
*
彼は部屋にあった黒い帽子の中の一つを被り、サングラスをかけて、部屋に鍵をかけた。
今日もビシっとアイロンがあてられた白いシャツを着ている。
きっと彼がアイロンをかける姿はこうだ。
すっと立ち、アイロンの蒸気を顔を近付けて確かめる。
熱した鉄からまっすぐ立ち昇る白い湯気の中で、優雅に丁寧に腕を滑らせている。
霧がかかった森の中にいるように静かな仕草。
それは一枚の絵のような美しい情景。シューっという音と共に。
「俳優になればいいのに。品のある貴族役なんかぴったりだな」
「昔ね、めざしていたんです。小さな舞台に出たりしていました。でも、どう演じても自分になってしまう。演じ切ることができなくて、何の役をやっても同じ。僕でしかないんです」
憂う瞳。彼はこの年にして、何度も挫折を味わった人間らしかった。
うまく生きていけない人。その方が輝いて見えることがあるのを知っているだろうか。
「店の方はいいのか?」
「夜までに戻れば大丈夫です」
俺は車のエンジンをかけ、指示通りの道を走っていく。
山頂の方角には、空いっぱいに薄い雲が出ていた。
太陽がその後ろに隠れて、うっすらした光の幕を作る役目をしている。
隣で青年がサングラスを上げたり下げたりしている。
「サングラスって、太陽を月に変えられるんです」
彼は思いついたように、そう呟いた。
よく意味がわからなくて、車を片隅に寄せて止まり、片手で貸してみろと合図した。
かけて見ると、光の幕が青白く映って、本当に満月の夜のようだ。
赤い光の色が黒いレンズによって漂白されて真白になる。
この国の空だから成せる術だと思い、故郷の月の夜の情景が、ふと思い起こされた。
「風を感じたい」
そう言う彼越しに、助手席の窓を開ける。
旧式なので、ハンドルをぐるぐる回さないといけない。
説明しても良かったのだが、反射的にもう彼に近づいて手を伸ばしてしまった。
吐息がかかってくすぐったいが、無表情のままでやり過ごす。
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