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16 ヨーク②

「面影を追い続ける男」 16 ヨーク ー鍵盤②ー


 中はちょうど礼拝中で、中央から奥には観光客が入れないようになっていた。
 四角い木の椅子には、一つずつ織られた布のクッションが載せられ、寒い日に備えている。音を立てないようにその椅子に座り、天井のステンドグラスを仰いだ。
 それは太陽の光を受けて荘厳に輝き、教会の中央に向かって、薄いヴェールのスポットライトを落としていた。

 ソールズベリーのカテドラルで見た時、ストラトフォード・アポン・エイヴォンのトリニティ教会で見た時、ステンドグラスは哀しみの色にしか見えなかった。
 だが、今こうして見上げる先には、幸せの象徴のように俺たちを包み込もうとする別の輝きがあった。それは室内中にこだまする賛美歌のやわらかな音色が作り出した幻想なのかもしれない。

 天井からキラキラ光る欠片かけらが降ってきた。スローモーションで舞い降りてくる。
 俺は何度も瞬きをしたり、目を細めたりして確かめてみたが、欠片は次から次へと落ちてきて、床で砕け、飛び散り、粉々になって、そして跡形もなくなった。
 睦月も周りの人々も、目を閉じて祈っている。俺だけが不思議な欠片を見つめていた。

 今まで遭遇した幻と決定的に違っていたのは、心の奥底にふわりと残る安心感だった。いつも感じていたあの虚脱感から潜り抜けて、重かった殻を破り、春の風の中に立っているような心地。

 自分の存在ははっきりしたもので、俺は生きているという強い思いがみなぎってくる。時が経ち、苦しんで、わからなくて、そんな日々はもう忘れてもいい。
 誰かにそう言われているような気がした。

 明日からまたスタートを切る。もう過去に引きずられずに、まっすぐ未来だけを見て。
 俺は目を開けた睦月に向かって笑いかけた。彼女も特別な者に対して、特別に微笑むように、俺の目を見た。

 賑やかなピーター・ゲートの店を覗きながら、この街のややこしい言葉の説明をした。
「この街では、ゲート《gate》が通り《street》のことで、バー《bar》が門《gate》の意味なんだ。ここはつまり、ピーター通りということなんだ。さっきの城門にはバーって書いてあっただろう?」
「詳しいのね。ここにも演奏しに来たの?」
「ああ」

 そう答えた途端、自分の後ろに黒く長い影が伸びていくような気がして、振り返って足元を見た。実際には真昼の太陽な真上にあり、影はとても短かった。

 そうだ。まだ終わっていない。新しい未来を思い描くためには、もう一箇所だけ訪ねなくてはならない場所がある。
 睦月と待ち合わせする場所を考えていると、彼女は一緒に行きたいと言い出した。

『ハーフ・ムーン』の名の看板が見えた。半月のマークがなつかしい店に足を踏み入れる。昼は陽気なパブで、夜になるとステージで楽器たちが奏で出すジャズ・バーに変わる。

「ここで二年前くらいに歌っていた女性を知らないかな」
 俺は店主を呼び止めて訊ねた。
「ああ、ブロンドの?」
「いや」
 俺は一呼吸置いてから、「ブルネットの」と言った。

「そんな歌手いたかな? 覚えていないな」
 去ろうとした俺の後ろから睦月が「ブロンドの人なら知ってるの?」と言ったので、俺は振り返った。
「ウォルム・ゲートの『サーティ』で見かけたって噂だけど」

 すぐに彼女は無関心な顔をしたが、俺は右ポケットの中で、わざと見せなかった写真をつかんだ。




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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。