18 ロンドン①
「面影を追い続ける男」 18 最終章 ロンドン ー再出発①ー
ロンドンに戻ったのは夕刻だった。俺は自分の部屋に帰る前に、エドワードの家の方角に向かった。
明日、陽の当たる場所で会うよりも、夜の中で戻ったことを知らせようと思った。
部屋の呼び鈴を鳴らした。
彼のアパートメントは静かな住宅街の一角にあり、繁華街にせわしなく位置する俺の住居とはまるで違い、人らしい暮らしがあった。
だが俺はここに数時間もいると、整った広い部屋よりも、狭くて何もない自分の部屋に戻りたくなるのだった。どこでも順応できる方だが、なぜかここは落ち着かなった。
彼は留守だったので、扉に寄りかかってしばらく待ってみた。だが、なかなか帰って来る気配がなく、車に引き上げて待つことにした。精神病棟で夜勤をすることは滅多になかったはずだ。どこかのパブで飲んでいるのだろう。
久しぶりのロンドン。まだ心の揺れは軽震だった。
*
車の窓を叩く音で目が覚めたが、外の明るさにすぐに目を開けられなかった。結局、朝になってしまったらしい。エドが何か喋っている。
ドアを開けると、彼は俺に助手席に座れと言い、自ら運転席に乗り、車をスタートさせた。
「真っ先に行かなくてはいけない場所があるんだ」
彼はそれだけ言うと、まるで一人でいるかのようにまっすぐ前を見つめたまま、何かを深く考え込んでいるようだった。
一時間ほど走っただろうか。彼は着いたよ、とドアを開けた。
「ここは」
「そうだ、お前たちが式を挙げるはずだった教会だ」
サリー州コンプトンにある小さな赤銅色の教会。ここをドライブの途中に偶然見つけた俺たちは、結婚を決めた時にすぐこの場所を思い出したのだった。
この教会は、俺が知っているイギリスの他の教会のどこにも似ていない。中の壁は日本の苔庭の色に近く、壁面がケルトの組紐文様と無数の顔のレリーフで埋め尽くされている。
異国の匂いがする。彼女が俺の内面みたいだと言った。
そして、教会なのに珍しくステンドグラスが一枚もなかった。たった一枚の細長い窓から洩れてくる光だけが神々しい。土から力を与えられた精霊たちの世界のように。
「彼女はここにいるよ。もうずっと」
エドが中庭に続く扉の前に立ち、手招きした。
庭には一本だけ、細い枝を持つ木が以前と変わらずにあった。今にも飛び立とうとする小鳥の形をした枯葉が数枚、枝に引っかかって残っている。
エドが地面を黙って指さした。四角い大理石に文字が彫ってある。
『マリア・キャンベル 1983-2011 ジャズ・シンガー』
俺は目が見えない者のように、一文字一文字を指先で撫でて確かめた。
『歌う天使、ここに永遠に眠る』
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