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夜汽車の蛍


南半球の南十字星、サザンクロス。
かつて十字架座と呼ばれた、いちばん小さい星座。

あなたはみんなに人気のロマン星。
北十字星、ノーザンクロスの対極に光っている。
さそり座が山麓に沿って寝そべる夜空。

そんな南十字星とまちがわれてばかりのニセ十字星。
私は南十字星より先に君を見つけ、哀れみのまなざしを届ける。

あれにだまされてはいけないよ。
南十字星とちがって正式な星座じゃないんだから。
誰が決めたの? 偽物だなんて。
同じように空に光って、こっちに手を振っているのに。

それはまるで、私の恋を責めるかのようでした。
あなた、己惚れているんじゃない?
彼はとっくに誰かのものなのに、奪うなんて、できっこないのに。

夜汽車で追いかけて来た君。私はずっと先を行く。
追いついても、もう逢わないよ。
私は、他の人と、つま先まで痺れるような時を過ごす。

ペルー、マチュピチュ。
空気が薄くて、天国のような場所。
草原に寝転んで、どこまでも遠い空を見上げてみる。
アルパカのような雲が行き交い、ぱくぱく口を開ける。
 
ここがこの世の楽園だとしたら、ずっと身を委ねていよう。
私の傷だらけの心を、あたたかい絵の具で修復してほしい。

縦笛ケーナの響きは、どこまでも心地いい。
ふわふわの雲を呼び寄せられる魔法かもしれない。
代わりにリャマがこっそり顔をのぞかせる。

めざすはとんがり魔法の山、ワイナピチュ。
ここを登る時には、ゲートで名簿に名前を連ねる。
下界に戻れぬ人がいたら捜しに行くために。

一歩踏み外せば、転がり落ちる崖の道。
ここまでと休憩する石を決めて、少しずつ辿るように登る。

頂上は険しく、たった一枚の岩の斜めがけが載っている。
巨大な石の座布団にすがりつくように座るのがやっと。
思い切って立ち上がると目がくらむ。
気を抜くと一気に麓まで真っ逆さまに転がっていってしまいそう。

次の日、私の名前を名簿で確かめ、山を登りはじめる君。
本気で追いつく気がないのね。
それとも、そんな時間を楽しんでいるの?

神聖なる山の頂上を確かめた、その夜のこと。
私は生まれてはじめて飛ぶ蛍を見た。
異国の果てしない連峰の中。季節は春だった。

一人で参加したツアーの中で最年少の私を
ロクに話を聞かず勝手にカメラを構えてどこでも行ってしまう私を
みんな末っ子のように可愛がってくれた。
特にツアーガイドは、心配そうに。

一日の終わりには、必ずみんなで星を見に外に出た。今日も楽しかったね。
そしていつも、南十字星とニセ十字星の二つを探す。

十七日間の長い旅の後半にさしかかったここで
私たちの前に突如現れた、光る浮遊体。

最初は遠くの山の中を蛇行する、車のヘッドライトの列だと思っていた。
でも、こちらに徐々に近付いてくる。
車じゃないなら、夜道を歩く人たちかしら。
細い懐中電灯をいたずらにくるくる回してやってくるような錯覚。

蛍は一つではなく
気がつけば数えきれないほどたくさんになり
光をゆらゆらと発していた。

あまりに美しいとかえって作り物のようで
誰かが誕生日に用意したサプライズなのかと疑ったくらい。
空から吊るされた糸のついたお星さまのようにね。

自分の周りにその空の星たちが落ちてきて、くるくる回っている。
私も同時に宇宙遊泳。土星の輪っかの氷の一粒。
仲間に入れてと、誘い、誘われ。
 
誰かが「ほたる、きれい」と言うまで
私にはそれが蛍だと、わかっていなかった。
手でそっと掴みたかったけれど、こわかった。

エチオピアオパールのごとく、碧く妖しく光る。
これが本物の蛍なの。

私は、ツアーガイドの男と目を合わす仲になっていた。
みんながいる時にも、そっと目で合図を送る。
山頂のホテルは部屋数が少なく女性と相部屋だったけど
麓に降りればまた一人部屋に戻る。
また、ガイドが部屋をノックするかもしれない。

うまくいかない恋をあきらめるために来た旅に
余計な色をつけてしまって、どうなるというのだろう。

最愛の人がもうそこまで追いかけてきているのに。
追いかけてきても、仕方ないのに。
覚悟もないのに、なぜ来たの?

夜汽車の窓には、ほたるが映っていた。
あなたは、私のことを、どこまで慕っているの?

そっと唇を重ねて確かめようとした私を、あなたがたしなめた時
さみしさだけが、永遠に残った。



「雨と僕の言の葉」 第13話 夜汽車の蛍
 ペルーで魔法のような日々を送ったことは
 私にとって忘れられない1ページになりました。

 


> 第14話 薔薇色の頬に

< 第12話 視野の蛍

💧 「記憶の本棚」マガジン


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水菜月
いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。