18 ロンドン④完
「面影を追い続ける男」 18 最終章 ロンドン ー再出発④ー
本当はとっくにわかっていた。彼女は自分で死を選んだのだと。
共に暮らしているうちに、こんな日が来るような気がしていた。一緒に居ても、いつも彼女は遠くばかり見ていた。男の方が巻き添えを食ったのだろう。
ずっと悲しみ続けることが、俺の唯一出来る彼女への愛の証明だった。
それは、この悲しみに終わりがあることを知っていたから。
まるで何もなかったような日々が、きっとまたやってくることを知っていたから。人間とはそんなものだ。いや、俺が冷たいのかもしれない。
だから、一日でも長く、一秒でも多く、哀しみの底にいたかった。
次の恋なんていつまでもしない。ずっと孤独で、一人を噛みしめて。
それがマリアに捧げる、鎮魂歌の代わり。
愛していた。たとえ彼女の方がどうであろうとも。はじめて真剣に愛した女だったから。
だが、同時に気づいていた。睦月が次第に心の隙間に入り込んでくることに。俺の方が必要としていく気持ちに。
否定しても否定しても止められない想い。彼女の言う通り、すきになる気持ちは忘れられない。そんな自分が腹立たしかった。
さよなら、睦月。君のためにも悲しみ続けるよ。この先も、次なんか捜さない。君は誰か見つかるといい。
*
生活はまた元に戻った。
毎晩、酒を飲み、ピアノを弾き、人々の話す輪の中に目立たないように溶け込んだ。
みんな俺の演奏が変わったとか、変わらないとか、いい加減なことを言ったが、俺はどうでもよかった。
時々ワインを飲むと、二人の女のことを想い出した。
一人は笑っている姿が、一人は泣いている姿が浮かんだ。もう笑顔を取り戻しただろうか?
月日が経っても、いつまでも俺は面影を求めてさまよい続けている。
まだ終わりは来ない。長い循環道路を走ってきたところなんだ。二周目に入るだけのことだ。
*
レコードに針を落とす。
今夜は、アメリカから有名なベーシストがやってくる。彼の音楽は心の糧だった。この音がいつだって俺を震わせた。
彼と共演することは、昔の俺の夢だったのに、今、曲を聴いても心が躍ることはない。
灯りを消さずに部屋を出て、暗闇の中で車のキーを回した。まだレコードは鳴り続けている。わかっている。今の俺に届くとしたら、それは音楽じゃない。
ヘッドライトを着けた時、歩道に円い月のような輪がぼんやり浮かび上がり、人のシルエットが近づいてきた。
その瞬間、俺は目を閉じ、自分に訊ねた。お前が求めているのは誰だ? 誰を待っている?
今、俺はやっと自分の心を真っすぐ見つめた。
そしてドアを開け、駆け寄り、やわらかな黒髪を抱きしめた。
<完>
< 前話 18 ロンドン③
⇒ 「面影を追い続ける男」 目次
*長い間の連載となりました。
おつきあい頂きまして、本当にありがとうございました。