13 アイル・オブ・スカイ 背中③
「面影を追い続ける男」 13 アイル・オブ・スカイ ー背中③ー
バスを見つけて乗り込んだ。
空は二層になり、雲のように煙のように流れている。
上空は青く澄んだ帯で、下空は山に沿って平行に灰色の帯が広がっていた。この風景は個性的だ。(景色に対して使う言葉ではないかもれしないが)
こんな緑色があったのかと思うような淡いグリーンの滑らかな山。表面がつるつるした生き物のようだ。太陽が反射した海のように光って、目がよく開けられない。
「ロンドンで見たターナーの絵は、こんな風に空が迫ってくるようだった」
俺は、テートギャラリーによく一人で行った話を彼女にした。彼女になら、話のニュアンスが伝わる気がしたから。
*
ターナーのコレクションは別館にあるんだ。俺はいつも気が焦るような夕刻に行くことにしていた。
気に入った絵はもう決まっている。ちょうど入口から三部屋目のベネチアの夕暮れの空の絵。部屋の中央のベンチに腰掛けて、その絵だけを眺める。
しばらくすると、閉館を知らせる係員が、奥の部屋から順番に見学者を出口に誘導し始めるんだ。
それはうまく言えないけど、程よい歩調なんだ。速過ぎず遅すぎず。
みんな顔は絵を追いながら、名残惜しそうに後ろ向きに歩く。
部屋は一つずつ閉ざされ、最後には出口の扉も閉じる。
その瞬間、俺の中が例えようもなく静かな音を立てて、きりがつく。
夕闇の中、一緒に閉め出された人の波に紛れて地下鉄の方に歩いていく。
誰かの会話やため息が聴こえてきて、自分の気持ちが畳まれていくのがわかるんだ。今、その気持ちを思い出していた
睦月は、わかるなんて簡単に言わなかったが、瞳の色で俺の話をちゃんと受け止めてくれたのがわかった。
*
道に沿って二つの湖が現れた。ここでバスを降りて歩いてみようと提案した。彼女は大丈夫と言って、自分の荷物を渡さずに背負った。
ロッホ・ファダとロッホ・リーザン。それが湖の名前だ。ロッホというのが、この土地の言葉でレイク(湖)のことらしい。
水面は大地を映した砂色をして、逆転して大地を覆ってしまいそうだった。
歩くたびにサクサクと霜柱が音を立てて割れた。それは林の日陰に入っていくほど固さを増し、崩れるのに時間がかかった。
彼女はどんなに待っても壊れなくなった固い地面の上をそっと走り回る。木と木の間をすり抜けて、時々ザクッという音と共にバランスを崩しながら、冬の冷たさを遊んでみせた。
「ね、見て。霜の花が咲いてる」
彼女の手の先には、枝と枝の間に溜まった氷の結晶が咲かせた霜柱の集合体が並んでいた。
バラの花くらいの大きさの氷の欠片を一枚一枚はがす指先を、細くて綺麗だと思って眺めていた。
最後の花の芯は、コトリと音を立てて落ちた。
「寒いね」「寒いね」
二人同時に声を立てた。
「静かだね」「静かだね」
続けざまの二重奏に目を見合わせて笑い合った。
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