6 バース 水の揺らめき②
「面影を追い続ける男」 6 バース ー水の揺らめき②ー
広場で拍手が起こった。
一輪車に乗った男が、火の点いた松明を空中で回している。器用だな。
周りに集まった人々の瞳に炎が映って、生き生きとした表情を作り出す。
日曜日の広場ではこうした大道芸人たちが、自分たちのパフォーマンスを見せに来る。
何処からやってくるのだろう。限りなく続く鍛錬の末に積み上げられたその成果を披露するために。
ふと、彼らの日々に思いを馳せてみる。淡々と同じことを繰り返す毎日を。
一輪車の男が観客の一人に松明を渡し、自分に向かって投げろと指示していた。彼は怖々と投げられた火をうまくキャッチし、さらに拍手が大きくなった。
*
その輪から少し離れたところでは、老人がチェロを弾いていた。
顔は緑色に塗られ、紫のくたびれたタキシードと帽子を身につけている。
シャガールの絵から飛び出して来たようにふさふさの顎髭を生やしていた。
流れてくる音楽が心に忍び込んで来る。
フォーレの曲が得意なようで、愁いを帯びた洗練された短い曲を次々に奏でていく。
ロマンス、セレナード、シチリアーノ。
空気に色が付いていくようだ。
*
熱心に聴いていた女の子が、びっくりするくらいチェロ弾きの前に出てきたので、周りが一瞬ざわめいた。
指先がどこを押さえるのかを確かめるように、顔を近づけて見つめている。
ふわふわした長い黒髪。
華奢な体に、その背中の倍はある派手なリュックを背負っている。バックパッカーなのだろうか。
彼女は演奏が終わると、チェロのケースにコインを入れ、何かチェロ弾きにささやいた後、バース・アビーの中へ入って行った。
俺は反対の方角に歩き出した。
三日月道路《ロイヤルクレセント》まで、上り坂をゆっくり歩く。
サリー・ラン・バンの温かいサクサクしたパンを食べて満足して、市場で買った林檎が袋から溢れそうになったあの時。
この辺りは、よく彼女と腕を組んで散歩した道だ。
このままずっとそばにいられたら、と意識した頃。
俺がいつもジャケットの右ポケットに本を入れていたから、彼女はいつも左側から腕を絡めてきた。マリア。
クレセントは、同じ造りの優美な家々が、三日月の形をした道路に揃って並んでいる住宅街だ。
そのカーブを辿りながら、俺たちが束の間暮らしていた円形通り《ザ・サーカス》まで歩く。
腕にかかる重みがない分だけ、そこまでの距離も縮まったように感じる。
*
赤や黄色の車が円を描いて止まっていると、まるで紅葉のようだ。
通りに囲まれた小さな緑地には、相変わらず大きな木があった。
葉が生い茂り過ぎてやっとのことで支えている幹を、窓からよく観察したものだった。
手を伸ばして、木漏れ日をつかみたい。
当然のことだが、今その窓には別の人の住む気配があった。
選ばれた花の種類がまったく違う。彼女なら選ばない。
ここから近くの教会を改造したクラブに毎晩通っていた。
昼にのんびり起きて、午後は散歩して、夕方から演奏する毎日。
まだ店が開くまで時間があった。
同じ道を辿っても意味がないことを知りながら。
エイヴォン川に沿ってカーブした道を抜けると、パルトニー橋に出る。
石の建物が夕陽を浴びて金色に輝き、その光は川へと反射している。
川は夜のモーターウェイのようにオレンジの強い光を放ち、彼方へ流れていた。
その上に一歩足を置けば、次の街へ自然に運ばれそうな気さえする。
光る水面に、懐かしさが込み上げる。
いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。