思考の放棄と保留は違う

 思考を放棄しているのに「これは保留してるだけ」という人もいるし、思考を保留している人に対して「それは思考の放棄だ」と批判する人もいる。
 この二つは全く違うものであり、重要な事柄でもあるので、ちゃんと区別しようね。


●思考の放棄について

 放棄とはつまり、投げ捨て、価値のないものとして見なすということである。
 その場合、自分が辿ってきた思考の道筋も、仮の答えも、批判の言葉も、全て無価値だと見なし、考慮しない。
 「思考の放棄≒判断の確定」ではない。
 「思考の放棄≒考えるのをやめる」でもない。
 たとえばどんな物事でも、「どのようにやめるか」というのは一通りではない。終わり方は常に重要な事柄である。
 「有終の美を飾る」という言葉もあるように、ものごとの終わり方はちゃんと意識して、丁寧に締めなくてはならない。
 たとえば仕事を辞める時、ほとんどの仕事はその前に引き継ぎの業務があるし、自分が退職した後も職場のことをある程度配慮するのも常識だ。もしいきなり仕事場に行かなくなって、何の連絡もとらないとしたら、まさにそれこそ「仕事の放棄」である。
 思考の放棄とはその類比をもとに考えていい。いきなり何の規則も義務感もなく「やーめた!」と全てを投げ出してしまう。そういう思考のやめ方を、私は軽蔑する。
 やめる時は、せめてきりのいいところでやめた方がいい。また最初から考え直しになるのは馬鹿馬鹿しいから。

●思考の保留について

 物事を一気呵成に仕上げてしまうことは、中々できることではない。大抵はゆっくり、着実に進めていくものである。
 思考も同様であり、ひとつの問いに対してその場で答えを出そうとするのは、考えるという作業に対する侮辱でもある。
 陶芸において、小一時間粘土をこねて形を整えただけで「できた! 完璧!」などと言うことが陶芸に対する侮辱に近いのと同じである。
 思考にも多くの形式と道筋があり、その場で即座に導きだせるようなものはほとんどない。即座に導き出しているように見える人も、ほとんどの場合は別の時にその長い道のりを歩み終えているものである。
 思考は迷路のようなもので、どれだけ時間をかけても出口にたどり着けないこともある。同時に、しっかり道を覚えておけば、すぐに抜け出せるものでもある。
 そして、その迷路の途中で、綺麗なものを拾うこともある。それを人は「知恵」と呼ぶ。知恵は現実に応用可能であるし、直接的にコミュニケーション能力の向上に役立つ。
 思考の迷路に何度も潜っていくにあたって、思考の保留というのは必須スキルであると私は思っている。
 これは自分がどこで考えるのかやめたのかということについて、しっかり印を残していくことであり、次に思考を進めるうえで同じ場所をぐるぐる回り続けてしまわないためのコツでもある。

 思考のやめ方はたくさんあるし、それぞれ異なった利点がある。ただ「保留」というやめ方は便利なので、とりあえずやめ時を見失ったり、衝動的にやめたくなった時は、放棄するよりも保留ということで、どこでやめたかをしっかり記憶にとどめるか、あるいは文章にして残しておくのがいいと思う。
 続きから考え直せるように、準備して終えること。


終わりに

 これは備忘録のようなものです。自分自身で読み直して、しっかり心に刻むためのものでもあります。
 でもこうやって書いてみると、私ってやっぱり考えるのが好きなのだなぁと思います。
 答えを出し続けることが何の役にたつかは分かりませんが、いずれきっと素敵な実をつけるだろうと、そんな気がしています。

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