「つまらない」と思うことについて

 多分この言葉はnoteを気分よくやっている人の何割かにぐさりと刺さってしまう言葉だと思う。と、同時に、誰もが他人の文章を読んでいて、時に感じてしまうことのひとつだと思う。
「この人は正しいことを言っている。でもそれだけだ。つまらない」

 もちろん、正しいことは全てつまらないというわけではない。ただ、自分が比較的多く知っている分野の入門的な部分を見ると、人はそう感じてしまうものなんだと思う。

 そのときそのときで自分が感じたことを率直に語っている人を見て、それを私は「何を当たり前のことを」とは思わない。それに対しては「たしかに~」と、気楽に共感できるし、くだらないとかつまらないとか、そういう退屈を感じることもあまりない。退屈を感じるとしても、それは分かっていてその退屈を楽しんでいるのだから、それを否定的にとらえる理由はない。

 対して、知識的なものに関してはつまらなさを感じることが非常に多い。noteでは心理学や哲学について語っている人が多いから(多分、多いわけじゃなくて、私の趣向がそういう方向に向かっているから、そういう記事がよく表示されているだけだと思う……)そこで持論を展開するわけではなく、ある注目している哲学者の紹介をしている記事を見ていると、つまらないと感じることがとても多い。ただこれは間違いなく「私だから」そう思うのであって、皆がそう思うわけではないし、もっと言えばもし私がその哲学者について全く知らなければ、私自身が「面白い」「興味深い」「ためになった」と思う可能性は高い。つまり、その記事は「いい記事」なのである。

 「面白さ」「つまらなさ」とは奇妙なもので、それを見るタイミングや本人の知識量によって大きく変動してしまう不安定なものである。質のいいものに「つまらなさ」を感じることもあれば、質の悪いものに「面白さ」を感じることもある。
 大多数が感じる「面白さ」を分析、予測し、そこに合わせていくことはそれほど難しくはなく、人気を得ることは、分析能力が高く、媚びるのに抵抗がない人にとっては、比較的容易なことであると私には思える。ただ、各個人の感じる「面白さ」を分析し、その人を楽しませるコンテンツを産み出すのは、容易ではないと思う。
 大多数の趣向に合うものを作るよりも、個人の趣向に合うものを作る方がはるかに難しい。
 ある意味、子供の好みを熟知して、子供をいつも喜ばせる料理を作れる母親は、その子供にとってどんな料理人よりも優れた料理人である、ということである。

 アマチュアとはいえ、物書きは物書き。人に読んでもらうために書いている。自分が読んでもらいたい相手が喜ぶようなものを書いていたい。

 そうでない人が「なんか言ってること普通過ぎてつまらないな」と思ってしまったり「難しくてわけわからない」と思ってしまうことは、仕方がないこととして割り切るべきだと私は思う。私自身、大衆向けのものは口に合わないことが多いし、だからといって大衆向けのものの質のことを悪く言うつもりもない。それは「誰に向けられているか」ということが違うのが問題なのであって、善悪や高低の問題ではなく、趣味と相性の問題である。

 生きていれば「面白い」と思われることも「つまらない」と思われることもよくある。今私が言ったようなことも、誰かにとっては「当たり前すぎてつまらない」ことであり、また別の誰かにとっては「よく分からなくてつまらない」ことなのだと思う。それでいいのだ。

 それに人は「面白さ」だけでものを判断するわけじゃない。料理は味だけでなく、見た目や匂い、食器の色や形、一緒に食べている人が誰かということも重要であるように、文章にもいろんな要素がある。


 「つまらない」と思われることを恐れないようにしよう。もし自分が誰かにとってつまらない人間であるなら、その誰かにとってつまらない文章を書き続ければいいのだ。それが個性というものであり、そうでなくては届かない思いもある。
 私は個人的に「面白さを追求した文章」よりも「結果的に面白くなった文章」を好む。その過程で、ガラクタがいっぱいできてしまったとしても、構わないと思っている。人間の人生はそれほど貴重なものじゃない。誰かの時間を無駄にしたって構わないのだ。
 というか私は、時間を浪費することに喜びと楽しみを見出す人に読んでもらいたいのだ。つまらない文章を読んで「時間を無駄にした」と思ってしまう人は、私の文章を読むのにふさわしくない。そんな余裕もなければ器も狭い人は、私とは相いれない。どちらが悪いとかじゃなくて、ただただ相性がよくないのだ。

 「つまらなさ」は悪でも罪でもない。それはあくまでひとつの感想であり、人が自分を見てそう感じても、自分が人を見てそう感じても、それは自然なことなのだ。
 面白いコンテンツがあふれんばかりに存在する現代社会だからこそ、自分自身の「つまらなさ」に絶望しないようにしよう。
 つまらないことは悪いことじゃないのだ。

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