【思考実験】本当の優しさについて

 ちまたで言われてる「優しさ」とは、たいていの場合において「優しい人だと思われること」を意味する。
 お年寄りが電車の中で立っていたら率先して席を譲り、友達が困っていたら積極的に相談に乗る。常に誰かにとって自分が有益であるように見えることが、優しさという徳である、とされている。

 さてここでひとつ、思考実験をしてみよう。

 一週間、誰もいない無人島でふたりきり。
 ひとりはあなた。もうひとりは同性の障碍者。
 その人の容姿はあなたの好みに合わず、言葉もほとんど通じない。自分勝手さはあまりなく、無害である。常にぼーっとしており、頼みごとをしても、たいてい問題を増やすだけに終わる。
 食料は十分にある。問題も全てあなたひとりで解決できる程度のものしか起こりそうにない。一週間後、助けが来ることは確定している。

 さて、もしこれが「テレビの企画」であったとき、あなたはどうするだろうか?
 どうやってふたりでその状況を切り抜けるだろうか? 

 同時に、もしこれが単なる遭難事件であったとき、あなたはどうするだろうか?
 どうやってふたりでその状況を切り抜けるだろうか?


 ここに自分自身にとっての優しさの本質がある。その「優しさ」がどれだけ無関係な第三者の目を必要としているか、ということを明らかにする。
 優しさはひとつのアピールなのだろうか? それとも……

 さてこれについての解答は各個人で考えるべきことだが、先例ということで私自身の見解を例示しよう。

●それがテレビの企画であった場合
・できるだけ自然に振る舞うようにする。
・悪い感情が表に出ないように気を付けつつ、できるだけその人の欲求を満たすよう苦心する。
・何か善い感情や、善い思い付きはできるだけ口に出し、めんどくさくても善い行いは積極的に実行しようとする。
・時々は怒ったり悪態をつくことで、人間らしさをアピールする。決して演技してばかりではないのだと、自分自身にも言い聞かせる。
・できるだけその人と友情を育もうと努力する。
・できるだけその人でもできることがないか探し、役割を与えてやる。
・いかにその一週間をうまくこなすかということを考える。

●それがテレビの企画でなかった場合
・無駄なエネルギーを使わないように、あまりその人と関わらないようにする。
・見捨てるのは忍びないから死なない程度に面倒を見る。
・基本的に何も言わない。
・愚痴や悪態は声に出してスッキリする場合は声に出すが、そうじゃない場合は余計苦しくなるので我慢する。
・常に早く終わってくれと考えるし、終わった後のことを想像して自分を慰める。
・終わった後のことを考えて、できるだけその人に愛着を持たないようにする。
・終わった後のことを考えて、できるだけその人から愛着を持たれないようにする。

〇相違点
・明らかに対象への関心の程度に変化が見られる。
・活動のエネルギーの総量自体に変化が見られる。
・言葉の用い方に変化が見られる。

〇共通点
・基本的に余計な問題は避けようとする。
・その人に対する好感度にあまり差はない。
・その人に危害を加えたり、不正に利用しようとしたりはしない。


 さて、優しさとは何であろうか? 
 私自身の場合ではこのような結果になったが、人によっては全く相違点がなかったり、あるいはもっと極端な相違点が出てくることだろう。

 人から優しい人だと思われるための優しさと、純粋に他者を尊重したいという優しさ。
 人の優しさとはこれらの混合物であり、どのような比重になっているかはその人の個性によると思われる。


終わりに

 自分自身の感情や行動の原因と理念について追及していくのは、有益であると思われます。
 セルフコントロール能力、コミュニケーション能力の向上が期待されます。
 あと、こういうことを普段からやっていると、よい話題になります。
 仲のいい友達や恋人に「あなたならどうする?」と投げかけて会話が弾むと、互いへの理解が高まりますし、関心や好意の向上も見込まれます。
 さらに、こういった簡単な思考実験はアイスブレイクに利用することもできるでしょう。
 思考実験は道具を必要としない知的な遊戯です。みんなもやろう!

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