「このクリエイターの人気記事」問題
みんな多かれ少なかれ思っていることだと思うけれど、くっそ雑に書いた記事にたくさんスキがついて、丁寧かつ慎重に書いた記事に全然反応がない、よね。
あるいは、自分の中での恥部というか「なんでこんなこと言ってしまったんだろう」って後で読み返して思ったものに限って、なぜかたくさんスキがつくということも。私、そういうの、何か月経ってもずっと気になっちゃって、仕方なく下書きに戻すこともある。
わけ分からないんだよね。
時々「私の一番劣った部分しか、彼らは共感できないのかもしれない。そうであるならば、それは彼らの一番優れた部分と、私の一番劣った部分が重なっているということであり……つまり、私たちの間には、どうしようもない能力的な差があるということなのでは?」と思ってしまう。
あまりそういう考えは品のいいものではないし、傲慢だし、好きじゃない。正しかったとしても、私はそれを支持したいとは思えない。
何はともあれ、私はどうやら人からの評価はほんの少しで満足できる人間みたいで、数人の人が私を褒めてくれていたら、それ以上を求めようとは思わなくなる。
だから実のところ、私にとって「いい文章」が評価されないことは、それほど苦じゃない。苦なのは、私にとっての「くだらない文章」が、その「いい文章」よりも目立つことなのだ。それは私が誤解される原因になる。
本音を言ってしまおう。私は、私の「このクリエイターの人気記事」が嫌いなのだ。noteをはじめて九か月くらいで八百記事くらい雑に書いたけど(本当に雑に!)(嘘八百!)その成果が「このクリエイターの人気記事」だと思うと、私は気分が悪くなる。
こんな、誰にでも書けそうなしょうもないものが、私の書いた文章の代表面をしているという事実に、なんだか腹が立つのだ。
この「しょうもなオールスターズ」よりは、三つか四つしかスキがついてない私のお気に入りの方がずっと価値がある、と思う。
「何が違うんだろう」と考えて比べてみた時、はっきり言えることがひとつある。スキがたくさんつくのは、比較的表面的で、分かりやすい記事だ。言い換えれば、薄っぺらくてしょうもない記事だ。
少なくとも私が書いたものの中で、目立っているのはそういう記事だ。私が、疲れている時か、あるいは退屈している時、適当に書いたような記事ばかりに、たくさんスキがつく。
多分この文章も、そういう文章に近い気がする。
ふだんならどうでもよすぎてすぐに考えるのをやめて、書くところまでいかないような、そういう話を試しに書いてみて、実験がてらぶん投げたような、そういうやつ。
ま、正直、どうでもいいんだよ。
多分だけど、私はいつか自分の言いたいことをちゃんとまとめて、しかるべき形にするだろうし、それまではこういう風に色んなやり方で色んなことを言ってみて、練習と実験を繰り返すだけなんだ。
明確な目標も目的もないけれど、なんだか最近、未来の自分の姿がおぼろげにだけど見えてきたような気がするんだ。にゃん!