浅ましさや愚かしさはどこまでも私を追いかけてくる

 私もう疲れたな。

 欲しいものもないし、何をやっても面白くないし。

 誰と一緒にいても、心は冷めてるし。楽しいのは最初の三十分くらいだけ。話が止まり始めたり、どっちかが喋るのに疲れてきたら、私はもう逃げたくなってる。


 関係ない話なんだけど、佳人薄命って言葉あるじゃん? 私思うんだよね。女って、年をとれば必ず醜くなるから、生まれつき美しくて周りから大切にされてきた女って「醜くなってでも生き抜く」っていう強い気持ちがないんじゃないかなぁって。

 私はそんな佳人ってほどじゃないと思うけど、その気持ちはあるかな。醜くなってでも、生きたいって思えるかな。
 醜い、か。外見は正直どうでもいいんだ。あんまり私は、それにこだわってない。一度習慣にしちゃえばやめる方がむしろ難しくなるから、それを惰性で続けてるだけ。別にブスになったって、何とも思わんよ。変な男に絡まれなくて済むなら、それはそれでよし。
 でもなんか、いい男を見つけた時に、自分がブスだからっていう理由で諦めるのは嫌なんだよな。
 相性が良くなかったとか、そもそも好みじゃないとか、そういうのは仕方ないと思うけど、もうそれ以前に「努力不足」って言われるのは、耐えられないと思う。耐えられないっていうか、ただ嫌だ。私、人に努力不足だって言われるの嫌いなんだ。嫌だから、限界までやろうとしてきた。なんだか馬鹿みたい。努力が一体何になっただろう?
 私は自分の今までの努力が何に変わったのか分からない。そもそも今の私にどれだけいいところがあるかも分からない。どれだけ褒めてもらっても、なんだか自分で自分を褒めているときのような空しさに襲われる。

「あなたはいい子だよ」
「人とは違う視点を持てている」
「色んなことを知っている」
「優しくて気遣い上手」
「賢いのにでしゃばらない」

 もう嫌だよ。そんなの演じてるだけだ。あぁ、その言葉にも「そんなことないよ!」っていう、あの無責任で明るい言葉が返ってくる。でもどうだ? 矛盾してるじゃないか。
「あぁそっか、私って優しくて賢いいい子なんだね!」なんて素直に認めて、明るく生きることなんて、できるわけない。というか、出来たら出来たで、君たちは「あの子はちょっと生意気になった」なんて思うじゃないか。私は知ってる。みんな、自分より優秀な人間が落ち込んでいるのを見るのが好きなんだ。私を遠目から眺めて舌なめずりする連中には、吐き気がする。

 ずっと目を逸らしてきたけど、私のお母さんは、私が苦しんでいると幸せそうな顔をする。
 「人の不幸は蜜の味」っていう言葉は、私には理解できない気持ちなのに、お母さんは平気で口にする上に、私自身に対してさえ適用する。
 悪い人じゃないのは知ってる。優しい人であるのも知ってる。でもなんでそんなに精神が貧しいのか、私には分からない。

 心が醜くなってまで生きていたいかと聞かれると、私は迷ってしまう。ううん。迷った時点で、私は、心の奥底でこう思っていることを暴露しているのだ。
「心が醜くなるくらいなら、死んだほうがマシだ」
 しかし、こんな言葉を言えるほど私の心はもともと清らかではないのではないか? 私は知ってる。私は知ってるんだ。私はそんなに綺麗じゃない。
 汚れてしまったのではなくて、元々汚れているのだ。私の中には、腐ったものがたくさんある。


――

 じっと目をつぶる。言葉を浮かばせる。何もない。何も浮かばない。私の言葉は全部宙に消えていくだけ。
 くだらなくて、かき消す。
 「私は」なんて言葉が出てきた時点で「それじゃない」。
 私はここに描かれているほど苦しんでいない。

 いや違うだろう? ここに描いたから、苦しまずに済んでいるんだ。でもそうやって書くことで逃げているんじゃないか?
 「逃げちゃだめだ」なんていう考えは、人を追い詰めるって分かってるだろう? 立ち向かうべきこともある。もっといえば、立ち向かい方は無数にある。私のこれだって、そのうちのひとつなんじゃないか?
「そんなのは醜い自己正当化だ」
 息苦しいな。いつも思う。あなたはどこから出てくるの? どうして生まれてしまったの? 生まれてこなけりゃよかったのに。
「お前はそれを他者にも思うんだろうな。それがお前の本性だ」
 だから何なの? だってそうじゃん。生まれてこない方がよかったような、醜い人間はたくさんいる。どうしようもなく、腐った人間がたくさんいる。私は、彼らの人生まで肯定することはできない。
「肯定も否定もしなければいいだろう? お前は自分が不快に思うゴキブリや蚊に対しては、そうじゃないか。どうして人間を同じように扱えないんだ?」
 分からない。そこに、自分の影を見ているのかもしれない。自分の中に、同じものがあるから憎まずにいられないのかもしれない。
「許してやることだ」
 あなたがそれを言うの?
「私しか言えないことだ。私は、お前を許せない。だから、お前が私を許さないといけない」
 そんなのおかしいよ。
「おかしくはない。いつから、個と個が平等であるべきだなんて思ったんだ? 許し合うなんてことは、この世の道理ではない。ウサギがトラを食うことがないように、食ってはならぬように、この世には不平等の定めがある。この世には、不平等なままでなくては調和がとれないことがいくらでもある」
 じゃあ、私は我慢して、あなたは好き放題するっていうの?
「そうではない。ただお前は、お前の意志で許さなくてはならない。私の代わりに、お前が、私と、誤謬と、偏見と、嫉妬と、憎しみを、許さなくてはならない。お前にしかできないことだから」
 私には分からない。あなたが何を言っているのか、私には分からない。
「お前は許すしかないのだ」
 それが分からないから! 許すって、どうやればいいの? 「許します」って言えばいいの? 何度言ってきたと思う? なんど「仕方ないね」って笑ってきたと思う? 何度、それを本気で思ってみたと思う? ダメだったじゃんか! 結局隠された憎しみは、別の形になってまた帰ってくる! 許すって、なんだよ。隠すのとは違うのかよ。私には分からない。私には分からない。
「理解することだ」
 理解?
「そう。理解することなんだ。許すということは。お前は、この世の悪の全てを理解すれば、もう悪を恐れる必要もないし、もっといえば、悪なんてものがこの世にないことを、頭だけでなく、心と体で理解できるようになる」
 分からない。
「だから、分かるようになるんだ」
 でもそこで分かっても、それが「分かったつもりになっている」ことになるだけなんじゃないの? どうせ私の限界は、世界の限界じゃないから、どれだけ理解しても、理解が足りることなんてありえないのに。
「だとしても、近づくことに意味があるんだ」
 せっかくここまで、悪に触れないで生きてきたのに? 醜さを避けて生きてきたのに? 今更醜さを知れっていうの? 自分以外の? いやだ! なんでそんなことをしなきゃいけないんだ! 私は連中の気持ちなんて、考えたくない。考えたくないよ。心が汚れる。醜くなる。私は醜くなりたくない。
「それがお前の本音だろう? あぁ。でも俺はこう思う。お前が健康に生きるためには、お前は醜くならなくてはならない。お前自身の心の醜さを受け入れて、それがただ在るものとして捉え、許さなくてはならない。そうでなくては、お前の苦しみは終わらない」
 それなら私はまだ苦しんでいたい。
「それは単なるわがままだ」
 あなたは治療者なの?
「おそらくは」
 私には分からない。


――


 心臓が痛い。自分の心の奥深くに切り込んでいくのは、消耗する。これを見て、他の人はどう思うのだろう? さっぱり分からない。
 これがどのように書かれたのか、彼らは想像できるのだろうか? 私にも分からないのに。そもそもこれにどれだけの意味があるだろうか。

 心臓が痛い。

 フロイトか誰かがやっていた心理療法のひとつ、自由連想法に近いものだと思う。頭の中をこう、ぎゅっと縮めて、目を細めて……ダメだな、うまく表現できない。

 でも……こんなに体に負担がかかるものなのだろうか。頭も体もふらふらだ。別に大したことをしたわけでもないのに。

 私には、自分の気持ちが分からない。分からなくなった。元々、分かっていなかったことに気づかされた。何度目だよ。ここで「何度目だよ」っていうのは私のプライド。つまり「それに今初めて気づいた」というように思われたくないから、わざわざ、何度も何度も思い知らされていることをアピールしているのだ。

 まったく、浅ましいことだ。私は浅ましい人間だ。

 逃げることなんてできやしない。浅ましさや愚かしさはどこまでも私を追いかけてくる。

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