自分自身のことだけを考えていると抜け出せない苦痛に陥る
「なんでそんなことをしたのか」
「それに何の意味があるだろうか」
「私はこの先どう生きるのだろうか」
私の心を苛ますのは、私の自己中心主義だ。
「それは私のためになるだろうか?」
「それは私のためになっただろうか?」
「彼らは私に何をしてくれるだろうか?」
「私が……私に……私の……」
こういう考えに陥ると、抜け出すのは難しいし、人生に耐えることも難しくなる。
「どうせ死ぬのに」
行きつく先はその言葉。そして人生は絶望だなどと言い始める。
でも実際のところ、それは誤りなのだ。どこで間違えた?
もちろん、一番最初。
「私という人間は、まったくの無価値である。しかし私が産み出したものが無価値であるとは限らない!」
そのひらめきは、いつも私を憂鬱から回復させる。今この瞬間世界がどのようであれ、未来はまだ決まっていない。
私が今絶望しているからといって、この先も絶望し続けるわけじゃない。
それは現実逃避ではなく、むしろ現実に即した判断保留である。
私にはまだできることがある。それが何なのか分からないけれど、私は自分にできることをやり続けるだけなのだ。
うまくいかなかったら、私が不出来だったというだけのことなのだ。
私が不出来であるというだけで不幸になるのは、私と私の周りの人間だけ。そして私たちに価値なんてないんだから、不幸になったって別にいい。
だから、不安になる道理なんて少しもないのだ。
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