ぼんやりマズロー
マズロー君の五段階欲求説云々の話を見るたびに、なんだか慰められるような気持ちになる。
足りないと思うことはあまりない。苦しい、つらいと思うことは多いけれど、欲しいと思うことはあまりなかった。
この「傷つけたい」という欲求だけは、どこから来たのかよく分からないし、ちゃんと説明されていないような気もするけど、まぁいいや。
私の考えでは「支配したい」という欲求に基づいていると思うし、この支配欲っていうのはまぁ、ちょっと複雑なもんで、2、3、4全部繋がってるようなものなんじゃないかなぁと思う。まぁマズロー君の持論に従うならね?
いや……「支配している自分でありたい」なら5なのかな。ま、どうでもいっか。
んでんで。何がそんなに慰められるかと言えば、自己実現欲求とか、超越欲求とか、ちょっと普通の人には馴染みなさそうな欲求はさ、私には理解できるんだよ。どっちかっていうと、超越欲求の方が分かりやすい。
自分自身のことはもうどうでもいいから、この体と心を使って、世に何か貢献したい。
自己実現の方がちゃんと常にできているかって言われたら微妙なところで、こうやって自分の好きなように文章を書き続けてるのがそれに該当するのかもしれない。
まぁ全ての行動が欲求に基づくものと考えれば、私がこうやって人に評価されないのが分かっているような文章を書き続けるのは、そうでないとちゃんと説明できないしね。
でもさ、時々、愛情が足りないと思うこともあるし、人から褒められたくて仕方がないと思うときもある。人の精神って不安定なものでさ、私はあくまでそういうのって段階なんじゃなくて、別領域にある問題なんじゃないかなぁって思う。
ともあれだよ? 私みたいな人間って本来今までの社会じゃ全く受け入れられないタイプの人間だったんだよね。
働きたくないし、興味は広いけどすぐに飽きる。目標を立てるのは嫌いだし、すぐ人を好きになるけど同じようにすぐ失望する。
まぁ女の子だから、別にそれでもかわいいからいいよって、江戸時代とかでも言われたかもしれないけど、何にしろこんなに生きやすい時代は今までなかったんだろうなぁとは思う。
自己実現、ねぇ。なんかなぁ。それだけじゃ物足りないんだよね。やっぱり、何か成果が欲しい。
多分まだ満たし続けられていないんだろうね。どうだか知らないけど、私は私らしい自分をもっと保ってなきゃいけないんだろうね。なかなか難しそう。
その結果役立たずだったら、まぁ仕方ないよね。役割が余ってなかったり、たとえあっても潜在的な能力が足りない場合は、諦めるしかない。それが世の道理だし、それについて悪く思ったり、悪く言っても仕方ない。
みんながみんな偉大なことを成し遂げられるわけじゃない。みんながみんな、自分らしく生きられるわけじゃない。
だからさ、私はもう何でもいいけど、それなりにぼんやり生きていくよ。
時々頑張るし、時々誰かと恋をして、時々泣き叫んで世を呪って、お布団の中にある幸せな思い出で心を暖める。
生きていくこと自体はそんなに難しくないんだろうね、この時代。
私はいったい何なのだろう? まぁ分からないままでも構わないさ。