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東海道シンポジウムin掛川日坂宿大会

今日のお話は、まちづくり系イベントの記録である。ホントに興味のある人しか伝わらないことばっかりだろうなあ。まだ完了していないけれど、なにが課題で、どんなふうに解決したのか出来なかったのか、という情報はどこかの誰かの役に立っても良いのかもしれない。きっと、未来の自分にとって必要な情報集積になるんだろう。そんな感じですかね。

東海道シンポジウムって何?

そもそも、ぼくだってナンノコッチャと思っていたのだ。数年前に友人の一人に誘われて参加したイベントだった。その時の説明だって、ホントにふんわりしたものだったから、「東海道シンポジウム」という名称から推察するしか無かったよね。ほとんど。

東海道宿駅会議というNPO法人がある。まずはここからだ。https://www.tokaido.or.jp/diary/index.html

NPOとしての発足は2003年ということだけれど、第1回目のシンポジウムは1988年だから、かれこれ30年以上前に始まった団体みたいね。

滋賀県にある「土山宿」でのこと。当時の青年経済人が数人集まって、「おらがまち」を元気にしようと知恵を絞っていた。そして誰かが「土山って宿場町」だよね、と言う。そして他の誰かが「宿場町としての歴史はまちづくりに活かせるんじゃないだろうか」と重ねる。「歴史でまちづくりってどうやるんだ?」「そもそも、宿場町の歴史ってどうなってる?」「待て待て。宿場町どころか、東海道ってなんだ。」

そんな会話が実際にあったかどうかは知らないけれど、街を元気にしたい人たちが「東海道の宿場町のことをもっと学ぼう」という目的で勉強会を始めたそうだ。

そうこうしているうちに「東海道には57の宿場町がある」ということを知り、それぞれに「街道文化」なるものを持っているということも知った。だとしたら、自分の街だけでなく「宿場町全てを繋げて学びあう」ことが出来たら何か面白いことが出来るのではないか。そう考えるようになったのは自然の流れだろう。

そんなこんなで、東海道シンポジウムが土山宿で開始されることになったのだ。(※と思う。聞いた話を脚色しとります)


東海道シンポジウム初参加

ぼくが東海道シンポジウムに初めて参加したのは「第31回東海道シンポジウムin石薬師庄野宿大会」だ。どこ?

知らんかったよ。ごめんなさい。でも、ほんとに知らなかった。

ぼくの友人がNPO法人の理事をやっていて、その彼からメッセンジャーをくれたのだ。「ねえ、若手が全然足りていないんだけど、ちょっと参加してくれない?とりあえず会員じゃなくていいから、うちの宿場町の名札でさ」とね。そうなのだ。掛川宿には会員が一人もいなかった。その時点で、ぼくらも全然若手じゃないんだけど?と思ったよね。若手って、多めに言って30代前半くらいまでじゃないの?ってね。

なんだかわからないままに、とりあえず参加してみることにした。理念云々じゃなくて、彼の情熱に応えるというのが参加の理由のひとつ。もうひとつは、何処だかわからないけどちょっと旅してみたいと思ったから。飲食店なんてやってると、あんまり遠くに出かけるきっかけがないからね。

参加してみたらびっくり。ぼくら二人が完全に浮いちゃうくらいに若手なんだもん。平均年齢どのくらいなんだろう。正確なことはわからないけれど、けっこう高い。当時の理事長が、1988年の発起人の一人なんだって。その間ほとんど世代交代というものをしてこなかったみたいだから、当然平均年齢が高くなるよね。友人が言っているのは、ぼくらの世代から働きかけて世代交代を促したいということだった。そして、それは理事長や発起人の方々の思いでもあるんだよね。現理事長も60代だけれど、ぼくら40代とその先への年代を超えた繋がりを仕組み化したい。だから呼ばれちゃったんだね。同い年だもん。


第33回東海道シンポジウムin掛川日坂宿大会

ホントは2020年開催予定だった。けど、新型コロナウィルス感染症の影響で1年スキップすることになったんだね。というのは、今の僕らにはわかりきった流れだけど、後々のためにあえて記録しておく。

さて、どういう経緯で掛川が選ばれたのかは知らないんだけどね。もともとは、なるべく同じ県での開催が続かないようにしていたらしい。離れたところの文化を知ることが出来るし、何よりあちこち行けて楽しいでしょ。だけど、30回を超えてくると未開催の宿場町が「静岡県」ばっかりなんだって。しかも、わりと真ん中の掛川が未開催。理事会なんて毎年掛川で開催してたらしいんだよ。ちょうど真ん中で新幹線駅もあるからって。なのにシンポジウムはやったことない。掛川宿で会員も入会したことだし(ぼくのことね)やる?という感じだったのかもしれない。これはぼくの想像。

実際のところは、ふたつのルートで開催依頼があった。もうどっちが公式なんだかよくわからないんだけど。理事長→理事会→副理事長→掛川市長というのがひとつ。副理事長と掛川市長が旧知の仲ということもあって、市役所主体で運営しようという流れがあったらしい。

それとは別に、理事長→理事会→ぼくという流れがあった。理事会に所属している友人からの情報ね。掛川日坂で唯一の会員ばぼくなんだから、こりゃなんとか頑張らなきゃなと思ってた。

別にぼくなんかが頑張らなくても良いんだけどさ。誰かの中に残るようなこと、作品を作るような感覚でね。ぼくが勝手に頑張ってみようと思っただけのことなんだよね。

そしたらさ。同じことをふたつのところで企画することになっちゃって。まいったね。ぼくが情報を掴みそこねた部分もあるんだけど、たぶん友人は「市役所に協力してあげて」というようなことを言いたかったのかもしれない。だけど、ぼくはそんなことを聞いた覚えはない(笑)


掛川で実行委員会を組織する

たまたま理事長がお店に来てくれた。副理事長と掛川で会合があってその足で来店してくれたんだよね。そこで、ぼくは初めて企画が重複していることを知った。

まだ年度始めだったからね。良かったよ。その場で副理事長の連絡先を教えてもらって、副理事長に電話。市役所の担当者を教えてもらって電話。お互いに情報共有して、一緒に「実行委員会」のような動きを進めましょうということに。

気がついたら、なんだかぼくが実行委員長になっててね。会社の利益には全く関係ないところに、労働力と資本を投入し始めちゃった。ぼくらしいと言えばそうだよね。単純に楽しいからやってる。

ちょっと「このシンポジウムをあつらえてやろう」というくらいのものである。

ただ、ぼくの能力の限界を超えているよね。普通に考えて、一人で200名規模のイベントを企画して招待するとか。無理ですよ。ホント。だから、あちこちの友人知人にお願いしまくって、楽しいと思ってもらえる人たちだけ参加してもらった。あ、一部分はガチンコでお願いしたからなあ。楽しんでくれているといいけど。


掛川日坂大会の使命

今大会では、いくつかの使命を帯びている。それは、理事会や理事長たちの思いだったり、掛川のメンバーの思いだったり、ぼく個人の考えだったりといろいろだ。

・年齢に関わらず、世代を超えた交流の仕組みの礎を築く

というのは、創業メンバーからの宿願でもある。今後も宿場町同士が繋がって交流することを継続していきたいよね。で、市町村単位ではなく面での繋がりをもって交流人口の拡大、経済交流の活発化につなげていきたいと思う。現時点の中学生や高校生に参加してもらって、面でつながる交流が出来るようになったらいい。行政単位を超えて活動することがデフォルトになるというのが、将来の構想だ。だから、今までの仕組みと変える。会員だけのシンポジウムから、市民が協力して構成するシンポジウムへ。現時点で、高校生と中学生の参画が決まっているので、これから仕組みづくりだよ。担当してくれている方々よろしくお願いします。


・「掛川モデル」というシンポジウム開催フォーマットを作る

前出の部分と少し重複するけれど。フォーマットを作るという作業が必要だと思っている。というのも、今までに行われてきたシンポジウムには定形がないんだ。過去を踏襲するということはもちろんあるし、新しいチャレンジをしてきたところもある。

だけど、毎回「なにもないところから始める」のが基本だ。過去大会の資料を探しても、ない。あっても「当日の進行」とかね。当日までに必要な準備だとか、資金だとか、人員確保だとか、そういったことの情報集積ができていないんだよね。

それは大会ごとに、運営主体が変動しているからしょうがない部分もある。市役所だったり、会員だったり、観光協会だったりとまちまち。その運営組織には資料が残っているのかもしれないけれど、まあほとんど無いっぽい。ということで、今回の掛川日坂宿大会では、実行委員会を組織するところから大会開催までの詳細ステップを記録しておくことにする。

掛川モデルにはひとつ特徴をもたせたいなと思ってるんだよね。今まで、わりと学術的傾向が強かったんだけど。もう少し実学に近づけたいなと。「学ぶための学びではなく、活用するための学び」とうのは、福沢諭吉先生の「学問のすゝめ」にある通りだ。これから先も東海道シンポジウムを継続していくとして、NPO法人が存続していくとしたら、ちゃんと活用することを前提とした学びの環境を整えたいんだよ。そして、ちゃんと活用しているところを発表する環境もね。そうすることで、これから先のシンポジウムが有効性を持って繋がりを生み出していくことになるんじゃないかな。という仮説を立てたのね。だから、しばらくは検証してみたい。


コロナ落ち着くまで、もう一回スキップしないのか?

ということは、よく言われる。確かに、掛川にたくさんの人に来ていただいて「アピール」「おもてなし」「お金を落としてもらう」ということを考えたら、それは平常時のほうが良い。落ち着いてから、全開でやるという考え方ももちろん正しい。だけど、ぼくは今この時期にこそ、あえてやるべきと考えている。

ひとつには「掛川モデル」の浸透。この状況下で積み上がった課題をデータ化出来れば、ひとつの資産になるよね。そして、時間軸に残るインパクトは平常時よりも大きいはずだ。名前が残るだけでも「認知度向上」には貢献することが出来る。リアル開催とオンラインのハイブリッド型を全力で考えなくちゃいけない環境だからこそ、生み出されるアイデアもあるだろうしね。少々追い込まれているくらいのほうが、いろんな仕組みを生み出す原動力になると思う。

もうひとつは「再招集」が可能だと考えること。例えばね。数年が過ぎて落ち着いた頃。そうだな、第35回とかの節目に「掛川で再挑戦」ということは有り得ると思ってさ。公式大会とは別に開催したら良い。この状況下ではまともな交流会(飲み会?)は出来ない可能性が高い。だから、交流会だけでもやり直すよ~ってことになれば、きっと人は集まってくると思う。それも「掛川モデル」を「全力」で作って「残す」ことが出来ればだけれど。


東海道シンポジウムin掛川日坂宿大会 開催概要

開催地 静岡県掛川市
開催日 2021年10月16日㈯~17日㈰

スケジュール概略
【10月16日】 シンポジウム&交流会
12:30-13:00 開場
13:00-13:15 開会・主催者(NPO理事長・現地代表)・市長挨拶
13:15-13:20 宿駅引き継ぎセレモニー
13:20-14:30 基調講演 小和田哲男氏
14:30-14:40 休憩
14:40-15:25 動画による掛川宿・日坂宿動画紹介 動画クリエイター・地元高校生
15:25-15:30 閉会挨拶
15:30-17:00 移動・街歩き(生涯学習センター~街なか)
17:00-19:00 交流会

【10月17日】 ツアー&ワークショップ
10:00-10:05 開会挨拶
10:05-10:15 講師・ガイド(川坂屋の会・地元高校生・中学生)紹介
10:15-11:55 ガイドツアー&スマホ撮影実践ワークショップ(班別)
11:55-12:00 閉会挨拶


今のところはこんな流れです。大筋が決まってきたところで、発足から今日までの細かな取り組みや課題、失敗なども記事にしてまとめようと思っています。それではまた

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