ムジカ・ムンダーナ
ずっと読みたいと思っていた小川哲さんの小説、先日ゲストにお迎えすることになり、長編を読む前に、気になったものからパラパラと読み始めたのですが、、、。
ムジカ・ムンダーナ、、、これ、私のこと???って思うくらい、
おこがましいんですが、、、震えました。
私のこと?って思ったのは、
「なぜ私は娘にピアノを伝えたいんだろう」って、
ずっと自問自答しているから。嫌がっている子供に、ピアノを教えるのは虐待なんじゃないかっていつも葛藤というか、苦しんでいます。
この小説、私の解釈ですが、、、
主人公の父親は作曲家で、「音楽は宇宙の真理である」ということを、
子供に伝えたかった。でもそれは厳しい修行の時間を超えないとわかるものではない。子供に5時間くらい1音を弾き続けさせる。ポーン、違う、その音じゃない。ポーン、そうじゃない。母親が出てきて「もうやめて!狂ってる。」みたいな・・・。小説の中ではそれを5時間くらいやっているイメージ。
私は5時間はやっていませんが、近いことを精神的には子供にやってしまいそうで自分が怖い。(やってないよ、でも多分圧を感じさせているかも)
この父親は、なぜ音楽への思いを自分自身の探究で終わらせればいいのに、
子供にまで強要するんだろうか。子供に才能を感じたからだろうか。
私にとって宇宙の真理は音楽、ピアノだとしても子供は違うかもしれないじゃないか。子供が自分で見つければいいじゃないか。わかっているのに、
でも、自分も親から受けたこと、受け継いだことを伝えたい欲から逃れられない。本当にエゴだとわかっている。一刻も早くやめなければと思いながらやめられなくて、苦しい。
小説の中では、主人公は、亡くなった父親の面影をもとめて、父親がかつて訪れた、フィリピンの島に行く。そこは、「音楽が通貨」とされている珍しい島。
この島は私にとってはバリ島だ。意味合いは違うかもしれないけど。音楽が生きること、暮らすことと分けることができない島。私もピアノを学んだあとガムランに出会ったときに受けた衝撃に近くて、なんだかこれも自分のこと???となった理由の一つ。
私がガムランを再開したのは、実は子供が生まれたからだ。子供に音楽家になってほしいいうつもりはまったくなくて、例えてみれば、自然のある世界を体験してほしい、というような気持ちではあるんだけど、これも親のエゴなのかもしれない。
父親殺し、母親殺し。よい母親だったと一言では言えない、いろいろな思いを克服して大人になってもらうしかないのか。こういう連鎖を自分で断ち切らないといけないのか。ずっと悩んでいます・・・。