フリータームートの暴力制裁の幼少期について【2.5日目】
前回に引き続き、幼少期の話です。前回の記事は原因を追及しました。
「何言ったってぼくのせい」
確かに言葉にすることが苦手だったぼくは、遊びたい子がいてもちょっかいを掛けて気を引こうとしたり、話しかけたいけど自分から行くのは無理だから相手の視界に入ってふざけてみたり言葉より行動で表現していました。
学生の頃はほめられたり、怒られたりするのが仕事という感じがしませんか?今思うと。けどそれに対して、違う時は違うと言える力がどうつくかを試される時期でもあったなと今だから思います。
自分にとってプラスでも、マイナスでもはっきりということって相手に伝えなきゃいけない。間違ったままそのままにしてしまうと、誰かが不満に思ったり、自分にとってよくない状況がいずれ訪れます。
環境が人を育てるし、どんなに歳をとっても変わることもできます。自分の意思があれば!ここが大切です。
今自分自身それができているかと言ったら全くできていません。
むしろ今だに怒られても黙ってることもあるし、違う時は違う、その場で自分で間違えたなと思ったら謝りますが、まだまだ相手に伝えることはできていません。でも言えなかった分行動で示してやろうってなります。
努力とか真面目とかそういうものなのかはわかりませんが、負けず嫌い精神で次認めてもらえるように行動はしています。
殴り書きのように自分が思ったことを書きましたが、結論から言うと。
①子供の頃の記憶って重要
②年齢じゃなく人は経験で歳をとる
③替わろうとする気持ちが大切
悩んでいる方がいたらコメントください。話し相手になります。笑