由緒正しき血統、選ばれし者
今年、挑戦する事をいくつか決めた。
その一つが「三国志」の読了だ。
小学生の頃、学校の図書室に置いてある漫画と言えば
「はだしのゲン」か「横山光輝の三国志」だった。
高校生の頃、兄が読んでいた吉川英治の三国志に挑戦し始めたが
今に至るまで何度も挫折して読了できていない。
そんなこんなで、今回もどこまで続くかはわからないが
挑戦してみる事にした。
劉備青年が母の為に、節約しまくって当時高価でちょっとやそっとでは
買えなかった「茶」を求めて洛陽船を待っているところから物語は始まる。
何回このシーン読んだか。
無事「茶」を手に入れて、一泊してから故郷に帰る予定だったが、そこを
その頃国中で略奪行為を繰り返していた黄巾族に襲われる。
街中が焼け野原の中、宿主の協力で逃れる事が出来た劉備青年は、
街から大分離れて誰もいないことを確認してから声高らかに
「黄魔鬼畜め、必ず倒してやる!」とか言ってしまう。
それを聞いていた黄巾族の上の方の人間が出てきて「今なんつった?」
と問い質す。「いえ、何も、、、」と劉備青年。「黄魔鬼畜とは俺らの事か?」と全部聞いてましたよと言わんばかりに聞く。
「心細かったので鼓舞する為に、声が大きくなりました」とか言い訳する。
このシーンも何度も読んだはずなのに、今まで全然感じなかった事が
今回初めて感じる事がでてきた。ジャイアンにからまれたスネ夫みたいやな、劉備。
読む時によって感じる事が違う事に気付いておもしろいなと感じた。
次のシーンもまさにその通りだった。
色んな人の協力を得て、あの後黄巾族に連れていかれた劉備もなんとか
母の待つ故郷に帰ってくる事ができた。
母にそのいきさつを話し「茶」を渡す。
元々、母は茶が大好物で生きてる間にもう一度飲みたいものだと漏らしたことがあり、それを聞いた孝行息子が命かながら買ってきたのだった。
中国のド田舎で蓆売りをしている劉備親子は貧しい暮らしをしていた。
ただ、父親の形見であり代々劉家に受け継がれている剣があり、それを肌身離さず劉備は持っていた。しかし、一連の難を逃れる際に命を助けてくれた
張飛に何も御礼を渡せず、その剣を渡す。蓆売りの自分より、武士の張飛が使う方が価値的だとの判断であり、「茶」もあったが母の土産だったので
それを優先したのだった。なんて良い奴なんだ劉備。
しかい、この事が母に逆鱗に触れる。
一度も母は怒ったことがないので、こんな側面もあるのだと初めて劉備は知る。
怒り過ぎて命がけで持ち帰った「茶」を川に投げ捨てる。
剣を手放した事がそれほど母の怒りにふれたのだ。
息子はわからない。泣きながら、教えてくれと母に懇願する。
そこで母は言う
劉家は今はこの田舎で身を隠し蓆売りをしているが
本来は前漢の帝・劉勝の末裔なのだと。今の後漢はこの前漢を打倒して
起ち上げた帝だから大きな声でそれは言えない。しかし、いつか
復権する機会をずっと待っている。今の暮らしは仮の姿なのだ。
あの剣は、要は血筋の証明であり象徴だったのだ。それを、「茶」を
優先し手放すとは何事かと。お前は心まで「土民」に成り下がったのかと。
息子をぶちまくる。
劉備は「幼少の頃から聞かされていた事を思い出しました」と言い出す。
そこまでは、理解できる。怒られて思い出したというのは。
「玄孫の血脈を忘れる事がありましょうか」
いや、絶対忘れてたよな。
母はそれを聞いて安心する。「ほんとうに土民になって朽ち果てていたかもしれない」と劉備は言う。
この母子のシーンはいつも感動していたのだが、今回は違った。
この母子、身分差別の意識半端ねえな。
村では心優しい、感じの良い親子だったのかもしてない。
でも腹の底では「土民」とは違うと常にあったのかなと感じてしまう。
いや、言いたいことはわかる。僕が屁理屈かもしれない。
民を救う意識は間違いなくあったんだろうとは思う。でも「土民」の僕としては、、、複雑だな。
こうした由緒正しき血統の話は、これだけじゃない。いや、ほぼ作品・物語の主人公は「かつての王族」だったり「魔王の血筋」だったりする。一見、どこにでもいそうな凡人の姿でこちらに寄り添ったり、油断させたりしておきながら実は、、、
て多くないだろうか?
または、眠っている力が尋常じゃないとか。最初は力がないから一生懸命努力して鍛錬に鍛錬を重ねて、そんな姿に共感して自分と重ねたりして応援していたら「ドカーン」キレたら宇宙最強の◯◯人になるみたいな。
人はそういった、自分にないものへの憧れをこうしたフィクションに求めるのだろうか。そう言う自分もたくさんのヒーローや主人公、そしてミュージシャン達の様に成りたいと願ってきた一人だ。
ただ、そうした種明かしの様な説明の時に思ってしまう。やっぱ「土民」は「土民」なんかなと。
そういう意味では豊臣秀吉や三菱創業者の岩崎弥太郎氏、松下創業者の松下幸之助氏なんかの話はとても魅力がある。またブロガーさんやYouTuberさん達の成り上がってきたストーリーも面白い。ちょっと壮絶なものも多いかもしれないが。
結局、あらゆるモノを自分と重ねて可能性がある方が良いと感じるんだという話。