鋸鍬形(ノコギリクワガタ)
とある夏の日のことである。
夜の公園を、ぶらりと歩いた。もっとも、公園とはいえ、木々が鬱蒼として生えている、一種の林のような所である。
街頭はあるけれど、生粋の夜を照らすには暗い。私はその中を1人歩いていた。前を向いても、暗闇が広がっているだけなので、ただひたすら足元の道を見て歩いた。足元に見えるは、ただコンクリートのみである。落ちてゆく葉っぱも、木々の枝も、全て林の奥の方に払ってしまったらしい。都会の公園ではあるが、どこか郊外の小田舎を感じさせるようであった。
夏の、抱かれるような湿気を振り払うように歩いていると、ボトッとした鈍い音が、後ろから聞こえた。本能的に振り返ると、関東の赤土色をした、ノコギリクワガタが落ちていた。腹をむきだしにして、足をじたばたさせている。
私は何だが、爽快な気分になった。息苦しく、無機質な都会の公園に、今こうして目いっぱいに身体を動かしているノコギリクワガタがいる。自然な、あまりにも自然なノコギリクワガタをみて、私は何だか子供のような興奮に包まれて、それを家に持ち帰った。自然の象徴たる生き物を、プラスチックの箱に押し込めるのも、何だが誇らしげな気分になった。私はその夜、ぐっすりと寝た。
ノコギリクワガタを飼って、しばらく経った。私はその間、様々な雑務に忙殺されていた。とてもではないが、私はすぐそばにいるノコギリクワガタの世話を、もしくはその観察をする心身の余裕がなかった。気がつけば5日もの時間が過ぎていたのである。
5日目の夜、私はその虫かごを開けることに躊躇いを覚えた。私は今まで、気づいても気づかぬふりをしていた。何を今更、構う必要があるのだろう。一時の興奮に任せて、連れて帰ってきてしまったことを冷静に恥じた。それは余りにも冷静なものであった。
冷淡な手つきで、乾いた虫かごの蓋を開けた。クワガタは、木の葉に隠れて、ただじっとしていた。死んだ。私の頭にふと、この言葉が浮かんだ。その瞬間、クワガタがぴくりと動いた。生きている!私は急いでみずみずしいスイカをあげて、優しく抱かせる水気をこしらえた。生き生きと動き始めるクワガタを見て、私の胸に何かせまりくるものがあった。
私は今まで、乾いた都会人になっていたのだと気づいた。そしてこのせまりくるものは、この乾いた都会人を潤す涙だと思った。
ノコギリクワガタは、今でも元気に動いている。
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