【追記あり】R-1グランプリの吉住のネタは左派のデモを揶揄しているか?
3月9日に行われたR-1グランプリ2024で、芸人の吉住が披露したコントが左派のデモ活動を揶揄したとして賛否を巻き起こした。このコントに対し、ある者は左派のデモ活動に対する揶揄だとして面白がり、またある者は左派の社会運動を揶揄した冷笑主義だとして批判した。果たして、このコントは左派を揶揄したものなのだろうか。問題となったコントは、吉住演じるミズシマメグミというデモ活動家が、結婚に反対する交際相手の両親にデモ活動をして結婚を認めさせるというものである。しかし、メグミは必ずしも左派的主張をしていない。それどころか、メグミは右派的な家族観を持っていることがうかがえる。
デモ活動家が結婚のあいさつに
このコントは、メグミが交際相手のナオキとともにナオキの両親に結婚のあいさつに向かうところから始まる。メグミは直前に参加したデモ活動で使った看板やメガホンを持ってきていた。メグミのデモ活動にナオキが協力していることがわかると、ナオキの両親は結婚に反対し始める。結婚に反対されたメグミは、応援に駆けつけたデモ仲間とともに、ナオキの両親に対してデモ活動を行い、結婚を認めさせた。
メグミの参加したのは汚職した政治家に対するデモ
メグミの参加していたデモ活動は左派によるものとは言い切れない。メグミが参加していたデモ活動は汚職した政治家に対して辞職を求めたものだ。これには左派も右派も関係ない。現実の政治でいえば、自民党の裏金問題を批判しているのは左派だけではない。裏金問題を受けて、岸田政権の支持率は急落している。朝日新聞が2月に実施した世論調査では、自民党の裏金問題に関する派閥の幹部の説明について、自民支持層でも「十分ではない」が9割を占めた。「政治とカネ」の問題に怒るのは左派だけでない。
メグミの右派的な家族観
メグミのナオキの両親に対する要求は、右派的な家族観を思わせる。メグミはナオキの両親に「結婚を認めろ。墓を継がせろ。介護は任せろ」と要求した。メグミは、結婚したら夫の家の墓を受け継ぎ、夫の両親を介護すると言っているのだ。このような家族観は現代の左派の価値観とは相容れない。もしメグミが左派ならば、夫の両親の介護を妻の役割だとは考えないだろう。さらに、夫婦別姓を主張してもおかしくない。夫の家の墓を継ぐということは、結婚して夫の苗字に変えるということになる。メグミが左派ならば、夫の苗字に変えるのではなく、選択的夫婦別姓が認められるようになるまで事実婚で済ませるかもしれない。
火炎瓶は左派も右派も使う
左派によるデモ活動を揶揄した表現として指摘された火炎瓶も、メグミが左派だという根拠にはならない。なぜなら、メグミは火炎瓶を投げられる側だったからである。メグミは家に瓶が投げ込まれたとき、一瞬で火炎瓶だと判断し、伏せるように呼びかけた。そして「落ち着いてください。心当たりはあります」と言った。メグミは火炎瓶が自分に対して投げられることに心当たりがあったのである。さらに、投げ込まれた瓶は火炎瓶ではなく、メグミのデモ仲間の手紙の入った瓶だった。たとえ火炎瓶が左派がデモ活動に使う武器の表現を意味していたとしても、メグミは火炎瓶を投げる側ではなく、投げられる側だ。そもそも、火炎瓶は右派が使ったのが始まりという話もある。火炎瓶は、右派も左派も使うのだ。よって、このコントの中の火炎瓶の表現は、メグミが左派である根拠とならない。
左派も右派も座り込みをする
メグミがナオキの両親に対して行った座り込みも、メグミが左派だという根拠にはならない。たしかに、座り込みは左派のデモ活動で行われる印象がある。しかし、座り込みは左派だけが行うものではない。河村たかし名古屋市長は2019年に、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の再開に抗議するために座り込みをした。「表現の不自由展・その後」には昭和天皇を題材にした作品があった。これに対して河村市長は、「日本国民に問う! 陛下への侮辱を許すのか!」と書かれたプラカードを掲げて再開に反対したのだ。河村市長は現在、日本保守党の共同代表を務めている。日本保守党は、その名の通り右派的な主張をする政治団体だ。つまり、座り込みは左派も右派も行う。よって、このコントの中の座り込みの表現は、メグミが左派である根拠とならない。ちなみに、メグミの座り込みの姿は、河村市長の座り込みの姿とよく似ている。
右派のデモを揶揄した可能性
吉住のコント披露後の発言には、右派のデモ活動に言及をしたかのように受け取れるものがあった。吉住は、コント披露後に司会の霜降り明星の粗品から感想を聞かれ、「フジテレビらしいお笑いができた」と発言している。フジテレビでデモといえばフジテレビ抗議デモである。フジテレビ抗議デモとは、フジテレビが2011年頃に韓国ドラマを多数放送したことに対する抗議のデモである。これらのデモ活動には「在日特権を許さない市民の会(在特会)」のような排外的主張をする右派グループも参加していた。吉住の「フジテレビらしいお笑いができた」という発言に対し、粗品は、「そんなことないわ。何の話してんねん」と応じた。この反応からは、粗品がフジテレビ抗議デモのことを思い浮かべていたことがうかがえる。
とはいえ、これは深読みだ。あくまで、そうとも読めるということである。もちろん、吉住の発言は別の意味だった可能性もある。吉住は、「フジテレビらしいお笑いができた」の前に、「ポップなネタができたみたいで」と言っている。当然、吉住のコントはポップとはいえない。だから、粗品は「どこがやねん。なかなかエッジ効いてたよ」とツッコんでいる。吉住はツッコまれたあとも、「ポップなネタができたかな」と重ねた。この流れを見ると、「フジテレビというテレビ局自体がまとうポップなイメージにあったネタができた」という意味で「フジテレビらしいお笑い」と表現したボケだったのかもしれない。もしくは、フジテレビでデモといえば……という単なる連想からのボケの可能性もある。いずれにしても、吉住はこのときずっとボケ続けているため、発言の真意はつかみにくい。ここまでくるとコントの中身とは離れてしまうため、フジテレビ抗議デモのことは横に置く。
メグミの家族観は設定からの逆算
メグミの右派的な家族観は、コントの設定から逆算して導かれたものでないかと私は考える。このコントの面白さは、デモ活動を交際相手の両親に向けてしまうメグミの常識のなさにある。では、そのデモ活動でどんな主張をメグミにさせるのがよいか。交際相手の両親が結婚に反対することに対するデモ活動なのであるから、当然メグミは「結婚を認めろ」と主張することになる。さらに、「墓を継がせろ」や「介護は任せろ」という現代の価値観と異なる主張をしたほうが、意外性が増して面白さが際立つ。結果的にそれらの主張が右派的なものだったのではないか。
吉住の2本目のコントは警察の冤罪を批判したもの?
吉住が2本目に披露したコントにも同じことが言える。吉住が2本目に披露したのは、交際相手の窃盗事件の捜査を担当することになった警察の鑑識官が、捜査の過程で交際相手の浮気に気づき、交際相手に対して、「お前を犯人に仕立て上げてやる」と脅すというコントである。このコントを数々の冤罪事件を起こした警察への批判と読むこともできる。しかしそれよりも、犯罪の捜査現場に恋愛関係を持ち込んだらどうなるか、というところから発想したと考えるほうが自然だろう。もちろんコントには、作り手の思想が反映される。吉住は、このコントを作る過程で現実に起こった冤罪事件や、冤罪事件を描いたフィクションなどを参照したのかもしれない。しかし芸人がコントを作るのは、やはり見た人を笑わせるためだ。
見当外れの批判は表現の萎縮をまねく
以上のことから、吉住のコントが左派のデモ活動を揶揄したものではないことがわかる。このコントが左派のデモ活動を揶揄したものと誤解された背景には、デモ活動は左派が行うという思い込みがあるのではないか。しかし、デモ活動は左派だけが行うものではない。日本では右派が外国人を差別する主張をするデモ活動を行っている。川崎市が民族差別的な言動を条例で禁止したあとも、外国人差別はなくなっていない。デモ活動のやり方にも同じことが言える。火炎瓶は左派だけが使うものではないし、座り込みは右派も行う。そもそも、メグミは火炎瓶を投げられる側であった。このようなことを考慮せず、コントの一部を切り取って、特定の政治的主張を見い出すような行為は、芸人やテレビ番組の表現に余計な萎縮を与えるおそれがある。コントを批判するのは自由だ。しかし、批判するならその内容をしっかり見たうえで批判すべきである。
※2024年3月17日14時20分に、見出しと「右派のデモを揶揄した可能性」の項を追記しました。
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