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ごんぎつねの死闘〜韓国からの刺客

4年生の担任をしていた時、韓国から転校生を迎えた。非常に聡明で、日本語も堪能だった。
詳細は、忘れてしまったが、国語の授業でバトルをさせるのが楽しかった。
小学校4年生の国語の単元で超有名な「ごんぎつね」。もはや、すべての国民が知ってるであろう教材ではあるが、例によってロクに教材研究もせず、思いつきで討論を行なっていた。

賛成か反対か

その頃始めていたのは、教材文を読んで「疑問に思ったこと」「自分の考えをみんなに問うてみたいこと」を書き出して、クラスで投票して、その時間の学習テーマを決めて話し合うという形。
座席を教室の両サイドに分けて置いて、面と向かって意見を言い合い、相手を言い負かす。
授業が始まると、今日のテーマについて、賛成か反対かを表明して、自分の座席を動かし、戦闘開始。
そんな中、

心の境界線

という名言も生まれ、「ごんと兵十はどこで理解し合えるのか」ということが大きなテーマとなっていた。
韓国からの転校生は、流暢な日本語を駆使して、華麗に論戦に参加し、いつしか主導する立場になっていった。時には、「わかりました。私の意見が間違っていたと思います。」と清々しく敗北宣言をするなど、私も感心することしきり。
あるとき訊いてみた。どうして君は、そんなふうに弁が立つのだろう?
すると彼女は、こう答えた。

答えのない話し合いをお父さんとしてるからかな?

お風呂とかに入って、「宇宙に終わりはあるか」とか「どっちが偉いか」とか、正しい答えが決まってないことについて、話してるって、教えてくれた。
なるほど、家庭の中でそんなふうな言語環境があると、こういう聡明な子が育つのかと感心した。
エビデンスのない「なんとなくこう思う」というふわっとした意見は、相手にされなくなった。
結局この話は、ごんが天涯孤独であることや反省に基づいた行動であったことの背景は全く理解されることなく死に、兵十は何一つ理解せずに物語が終わったという結論で授業を終えた。
途中から彼女に影響された女の子が主な対立相手となり、単元の終盤に近づくに連れて、授業中は真剣な表情で議論を戦わせ、授業後は二人が教室の中央に歩み寄って、笑顔で握手をするようになった。
韓国からの転校生は、議論の面白さを学級にもたらした。

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