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祖母の鏡台

母方の祖母はとても綺麗なひとでした。
もう長いこと、老人ホームで夢うつつに過ごしているようですが、
わたしの記憶にあるその人は、真冬の椿のように艶やかな印象の女性です。

本名に一文字も入っていないのに、若い頃のあだ名は「ひとみちゃん」。
目がとても大きいから、という理由だったそう。

そんな華やかな顔立ちの祖母はおしゃれが大好きで、
それはたくさんのお化粧品やアクセサリーを持っていました。

幼い頃、祖父母の家に遊びに行くと、わたしはよく祖母の鏡台で遊びました。
まず、三面鏡というものが面白くてなりません。
一番古い「自分の横顔」の記憶は、間違いなく祖母の三面鏡でした。

鏡台の左手にはアクセサリーボックスがあり、ガラスの戸を開けると色とりどりの首飾り。
ネックレスやペンダントというべきかもしれませんが、幼いわたしはまだその言葉を知らず、今でも祖母のアクセサリーは「首飾り」や「耳飾り」という印象です。

派手な顔立ちの祖母にふさわしい、大きな石が連なる、華やかな首飾り。キラキラと輝く金色の耳飾りや腕輪。まるで物語の宝物のようなアクセサリーの数々に、どきどきしながらこっそり触っていたものです。

老人ホームに入るようになるまで、出かける予定がなくても当たり前に毎日お化粧をしていた祖母。
口紅はいつも赤みの強い派手な色を選んでいましたが、とてもよく似合っていて、大人になってもなかなか赤い口紅が似合わないわたしは羨ましいと思っていました。

わたしもおばあちゃんのように、派手なきれいな顔立ちなら良かったのに。

何度そう思ったかわかりません。
母は身だしなみ以上のおしゃれに興味を示さない人ですが、顔立ちは祖母とよく似て、娘のわたしから見ても華やかな、綺麗な人です。
対してわたしは、父親似の地味顔。
年をとってもなお豊かな祖母の睫毛を見ては、あれくらいの量が、長さがあったら…と歯がみしてばかりでした。

それなのに、最近では鏡を見ているとき、ふと「おばあちゃんに似てる」と思うことがあります。
もちろん、目の大きさも睫毛の量(長さ)も変わりませんが、頬骨の高さや口元に、ふと祖母や母の影を見るようになったのです。

ああ、わたしはあのふたりと血がつながっているんだ。

そんな「あたりまえ」のことに、ふっと気持ちがほぐれ、あの大きな鏡台でアクセサリーを見つめている幼い自分に還るような気がするのです。

宝箱のような鏡台。
宝物のようなアクセサリーとお化粧品。
大輪の花のような祖母と、祖母に髪を整えてもらっている幼いわたし。
それは幼かった頃、無邪気に「きれいなもの」にときめいていた記憶。
今となっては、その記憶自体がキラキラと輝いているようです。

わたしもいつか、あんな赤い口紅が似合うようになるだろうか。

鏡を見ながら、そんなことを思ったりもしています。


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