彼女は悪女?天使?救世主?第1話

あらすじ
モテモテの17年間生きてきた私が好きになった男性に初めて振られた。
翔太の彼女が不細工で大女であると友人に知らされて愕然とする。
ある日、翔太を夢中にした恋子という謎の女を追っている田宮という
大学生と出会う。そして恋子の過去の容姿の変貌に愕然とする。
カメレオンのように変貌する興味を抱いた私は田宮とともに
過去の恋愛遍歴を辿る旅にでる。
恋子の魅力にはまっていく私、恋子のとの関わりによってほんとにしたいことを探す旅に出る田宮。それぞれの生き方をや価値観に気づき
再生していく物語

「ごめん、好きな人がいる」
全身膠着した緊張感と、震える声で勇気をふり絞って告白した返事に私はショックでその場に倒れそうになった。これは現実だろうか。夢ではないのか?私が振られる?中学、高校生となった今もモテ期続行中のこの私が振られたの?数えきれないほど告白されてきた。振ったことはあっても、振られるという出来事は私の十七年間の人生にとって想定外のことだった。自分で言うのもなんだが、私はかなり綺麗だと思う。
小学校から大人の男達や、上級生の熱い視線を感じながら生きてきた。
恋をした時に、古今東西小説家、詩人達が決まって言う
「恋に落ちる」と言う台詞。
私は恋に落ちるという感情を十七歳にして始めて知ったのだ。
それはある日の夕方、クラスメートの沢田彩と谷口由美と三人で
学校近くの軽食喫茶店「ブルーバード」でいつものようにパフェや
アイスクリームを食べてい時だった。
店の入り口を何気なく視線を移すと、数名の同校の男子生徒が三入ってきた。突然その一人の男子に私の視線は釘付けになった。次に身体に電流が流れた。一目惚れとはこういう感覚なのか。これが恋に落ちるということか。姿勢のよい立ち姿、整った顔立ちであることは遠くからでもはっきりわかった。その中の一人の男子生徒が私達の方に向かって手を挙げた。
「あら、雅人だわ」「彩知っているの?」「うん、私のボーイフレンド」と軽やかに言った。男子生徒達は近づいてくると空いた隣の席に座った。私の雅人と、他の二人は軽く笑顔を向けて席に座りコーヒーや、
ジュースを注文した。私は盗み見るように一人の男子生徒を見つめた。
愁いを帯びた表情ははるかに年上の男のセクシーを感じさせた。
まるで私が既に好きになっているであろうと思う表情と瞳で私を見つめた。瞳に誘惑されているような気がしてくる不思議な感覚、それが後藤翔太との運命の出会いだった。人生で初めて味わう強烈な想いは、雷に打たれたような衝撃だった。その日から私の生活のすべては後藤翔太に支配されてしまった。翔太以外のことは考えられなかった。恋の熱情容器はあふれ出しこのままでは自分の感情の重さを背負うことが耐えられないと感じた時、後藤翔太に告白した。そして返ってきたのが冒頭の台詞だ。ありえない出来事に遭遇した時、人は絶句して、言葉を失うものだ。
翌日、「ブルーバード」で私はショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートパフェを次々と注文して口の中に入れた。彩と由美が驚いた表情で、
「どうしたの?やけ食い?何かあったの?」
「砕け散ったのよ。私の恋」私は二人の顔を交互に見ながら投げやりな口調で言った。
「ついに後藤君に告白したのね」既に私の燃え上がる恋情を毎日のように聞いていた二人は好奇の表情を見せながら私を見ている。
「でも速攻断られたわ。好きな人がいるってさ」躊躇するような口調で彩が言った。「あの、実は雅人が一週間前に後藤君と彼女に会ったらしいの」「えっ、どこで会ったの?
「日曜日に原宿に買い物していたら偶然に翔太君と彼女に会ったんですって。翔太君に恋人だと紹介されたらしいの。雅人驚いていたわ。あまりにも不釣り合いすぎて」
「不釣り合いってどういうこと?」
「なんかふんわりしていて存在感があるのかないのかどう見ても不釣り合いカップだって雅人が不思議がっていたわ」
「それ本当の情報なの?」
雅人は彩の幼馴染だ。彩に惚れて猛勉強をして、
親に土下座して公立ではなく、授業料の高い私立高校に入学した今時珍しいピュアな純愛路線の男なのだ。
「でも不思議なの。一体翔太君、どこで出会ったのかしら?」
「何が不思議な感じなの?」
「ふわふわ浮いている感じって言ってたわ。それに」
「何?」
「名前が恋子っていうのよ。恋愛に子供、こいこ。その名前も不思議、ほんとかしら?」
「翔太君はその女性とどこで出会ったのかしら?どうしてその女性を好きになったのかしら」
その時、私はまだ恋子という一人の女性の魅力も危険性も、不可思議さも知らなかった。が、その時から坂本恋子の深みにはまる序章は始まっていたのだ。多分。数日後。その出来事は偶然に起きた。
第2話 恋子について謎のはじまり
金曜日学校の帰り、私と彩と由美のボーイフレンド雅人と渋谷の書店に
向かって歩いていた。煩雑に行き交う人々の中を歩いている時、
雅人が小さく叫んだ。
「あっ、あの子だ」
私と彩は雅人の方に視線を移した。雅人が前を見て近づいてくる
女性に声をかけた。
「こんにちは。僕のこと覚えていますか?原宿で後藤君といた時に会った
金城雅人です」
すると目の前の大女は叫ぶような大きな声で言った。
「ああ、あの時の翔太の友達。ええ、ええ、もちろん覚えています」
私は絶句した。この女性が翔太の彼女なのか。
なんという…八十キロ以上はあるだろうか?
なんとかめまいを堪えて再び恋子を凝視した。
翔太は大女が好みだったのか?雅人は私と大女を交互に見ながら言いづらそうに
「あの、翔太君の・・・」と言葉を濁した。
すると彼女は私の方を向き更に大きな声で言った。
「後藤翔太の恋人の坂本恋子です。恋する子供と書いてこいこと言います」
「恋子さん、素敵な名前ですね」私の声は震えていただろう。
「はい、自分でも気に入っています」
「あの、よかったら一緒にこの中にある喫茶店で休憩しませんか?ご馳走します」
何故誘ったのかわからなかった。咄嗟に出た言葉だった。
「いいんですか?」屈託のない恋子の声に私は頷き、
三人に視線を移すと無言で頷いている。
書店のビルの中に併設しているコーヒーショップに入った。
それぞれ好きなドリンクや軽食を注文して、恋子に言った。
「恋子さん遠慮しないで好きなもの何でも頼んでね。今日は私が奢りますから」
「いいんですか?嬉しいです」と言うと、
「えーと、ハンバーガー、ミックスピザ、バナナパフェと・・・
それからアイスココアをお願いします」
私はあっけにとられた。彩や由美達もただ絶句した表情で恋子を凝視している。
運ばれてきたドリンクを飲みながら私は恋子を観察していた。
「恋子さん、母性豊かで明るい雰囲気の方だからさぞ
男性にモテるでしょうね?」
「ええ、モテます。でも私は翔太一筋ですけど」
「翔太君もあなた一筋なのでしょう?」言葉が震えてくる。
「はい、全て好きだと言ってくれます」
恋子は満面の笑顔で言った。笑うと頬のが肉まんのように丸く盛り上がり鼻が隠れた。細く小さな目は瞳が見えない。
だぶついた脂肪がウエストにたっぷりとついている。
醜い。何故こんな醜い女を翔太は選んだのだろう
「お待たせしました」ウェイターが注文した品をテーブルに置いた
と同時にピザを片手に掴み一ピースを口の中に入れた。
そして一人前のピザを数分で食べてしまった。
口の周りにはケチャップがだらしなくついていた。
三人はあっけにとられていた。この女は一体何者なのだ!?
私はこの目の前のデブでブスの醜い女に負けたのだ。
何故?翔太はこの女のどこに惹かれたの?もはや女としてのプライドは崩壊寸前だった。 男達は女のどこに惹かれるの?
恋子は、人生が充実していること、恋人に出会えて幸せな日々過ごしていることを、とめどめもなく話し始めた。
「翔太はジェラシーが激しいんです。この前も友人とゲームセンターやカラオケで遊んでいたら、その中に男はいるかって聞くの、いるって言ったら怒って早く帰れ!って言うんです。なぜだと思います?」
知るかい…辟易し始めた三人は何も言わず下を向いている。
会話に参加したくないのがありありとわかる。
「私がナンパされるからですって」
恋子のこの不遜すぎる自信は一体どこからくるのだろうか。
太っているほど美しいと賛美する国があることを聞いたことがある
翔太の先祖のルーツを調べたいと本気で思った。
雅人と彩の顔を見ると必死に笑いを押し殺している。
その時、恋子の携帯の着信音が鳴った。
「翔太からだわ」
恋子はうん、うんと頷きながら首を上下に振りながら話し、
急に立ち上がると
「翔太から呼び出しがあったので失礼します。今日はご馳走様でした」
と、にこやかに笑いながら言い去って行った。全員顔を見合わせた。彩が
「今、一体何が起こったのかしら」と呟いた。
「私はあの大女に負けたのね。彼女のどこに魅力があるのかしら?
男の選択基準はどこなの?ねえ、ブスでデブで鈍くさい女のどこが男達の気を引くのか教えて」
もはや言葉も選べないほど気持ちは崩壊していた。
私は雅人に哀願調で言った。雅人はしばらく考えた後、
「あくまでも一般論だけど・・・まず、女性達が誤解していることは、
男達は綺麗だけを恋人に求めていないということですよ」
「嘘よ。私の周り男達なんて可愛い子がいたからナンパしたとか、
美人を連れていると、自慢できるとか言っているわ」
「勿論それもある意味事実ですけど」
「男の事実はいろいろあるのね。ああ、全く男は自己中な人種ね」
「それはお互い様じゃないですか。女性達もイケメンで、頭が良くてスポーツ万能な男がいいって言っているし」
「じゃあ、結局男は女に究極何を求めているの?」
「僕の父親が言うには男プライドを満足させてくれて自信をつけさせてくれる女性が理想の女性像だと言っていた」
「はあ?いつも褒めて欲しいって子供みたい」
「そう、男はいつまでも五歳の子供なんだっていつでも褒めて欲しい動物なんだよって。だからいつも母に褒めて欲しんだって僕に本音を漏らしたことがあります。僕も父の気持ちが理解できます」
私は強い口調で言った。
「馬鹿馬鹿しい、なんで気を使って男のプライドを気持ちよくなることばかりいつも考えてあげなくちゃいけないの」
「うん、そうだよね。それが一般的な女性の考えだと思うよ。でも男はプライドという服を着た生き物なんだ。優秀な男、完璧と言われている男程プライドが高い。プライドを傷つけずに褒めて、ありのままでいられる場所を与えてくれる恋子の存在は安らぎの場所になっているんだと思う。恋子さんは翔太君の求める何かの琴線に触れたんだと思うよ。なんか僕から見ても翔太って難しい男だから」
雅人は慌てて手のひらを左右に振り
「あくまでも一般論です。僕は彩一筋ですから」
と弁解するように言った。
容姿端麗ではなく男達や、翔太が求めていたものの正体は何なのだろうか。
その答えは恋子が解いてくれるのだろうか。
私は次第に恋子という女性に精神も生活も支配されていった。

ある日の月曜日の学校の帰り、
「ブルーバード」のドアを開けた時、
私は声をあげた。窓際に翔太と恋子の姿が視界に入った。
惚れている男の無防備な顔がそこにあった。
私は離れた席に二人を背中にして座った。
話す内容は聞こえないがゆっくりと語る独特の口調の恋子と、
楽しそうに笑う翔太の声が聞こえてきた。
その時、カシャッと音がした。若い男が携帯を向けて翔太と恋子の二人を撮っている。この男は何者?何故二人を撮るの?何度かシャッター音を押した後男は立ち上がり二人の方を睨みつけた後、店を出て行った。
私は直ぐに男の後を追った。
「すみません!ちょっとお話してもいいですか」
振り返った男は不機嫌そうな表情で「何か用?」と言った。
「さっき男女のカップルの写真を撮っていましたよね」
「ああ、見てたの?それが何かあなたに何か関係あるの?」
「どうして二人を撮っていたのか、差し支えなければ理由を
教えていただきたいと思って」
すると男は顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「あいつは悪女だよ、あなたあのしたたかな性悪女の知り合い?」
「・・・まあ知り合いですが」
男はバックの中から一枚の写真を取り出した。
スリムで笑顔が可愛いチャーミングな女性の写真だ。
「可愛い。今人気の女優Sに似ていますね」
「この女は一年前に僕の恋人だった女。さっき男といた女だよ」
私は写真を凝視した。適度に膨らんでいる胸、なだらかなウエストライン、
左の頬にえくぼも見える。男からの愛されオーラを全身から発している。
笑顔でピースサインをしている魅力的な女性が、恋子なのか?私は首を強く振った。
「信じられないわ。さっきの女性を見たでしょう?
まるで別人じゃない。誤解しているんじゃないですか?」
「そう、僕も初めは見た時に勘違いをしたと思ったよ。
だけど何度も調べて確認したんだ。やはり間違いないってね」
「でも今の彼女を見たでしょう?この写真と真逆じゃないですか。
気持ち悪いくらいに」
「そう、気味が悪いぐらいに別人だ。
でもあそこにいた巨大デブ女も、愛されオーラ全開のこの写真の女も
同一人物なんだ」
「信じられない。こんなに人は変貌できるものなの?」
「僕も信じられないさ。これほどまでに別人になれるなんて
女優でも真似できないよ」
「でも何故かしら?変わることで何の意味があるの?」
「僕はそれを確かめたくて追いかけている」
私の中に強烈な感情が芽生えていた。それは、恋子というひとりの女に対する言葉では言い表せない好奇心だった。
「彼女とはどこで会ったのですか?」
「大学の近くに昼休みによく行くカフェに恋子がウェイトレスのアルバイトをしていた。ある日、店を出ると恋子が追いかけてきて目の前にチケットを差出したんだ。友人がボクシングのチケット譲ってくれたから一緒に行かないかって誘ってきたんだ。チケットを見て驚いたよ。
それは、世界チャンピオン戦の人気プレミアムチケットだった。
ボクシング観戦が唯一趣味の僕には喉から手が出るくらいのチケットだ。
でも、後でわかったことだけど恋子はボクシングなどまったく興味がなかった。それが恋子の策略、手練手管のスパイラルにはまっていく序章だった」
「もう少し話の続きを聞かせてください」と言うと田宮も同意した。
二人は近くの喫茶店に入り、飲み物を注文してすぐに話の続きを始めた。
田宮は一口コーヒーを飲んだ後、
「マインドコントロールて知っている?」と問いてきた。
「聞いたことはあるけど、彼女と何か関係があるのですか?」
田宮は大きく頷いた。
「まさしく僕は恋子の手中に堕ちた。
知らない間にマインドコントロールされていた。巧妙な手口でね」
「巧妙な手口?」
「恋子は僕の好みのタイプを調べて近づいてきた。僕好みの外見、性格、僕の趣味、好きな食べ物までね。そうとも知らずに僕は、好みのタイプに出会った衝撃と興奮で会うたびにどんどんのめり込んでいった。
恋人がいても恋子に惹かれていくのを止められなかった」
「恋人はあなたの心変わりにきづかなかったの?」
「勿論、次第に不審に思っていたよ。ある日、詰問された時、
恋子に夢中になっていた僕ははっきりと言った。運命の女に会ったってね」
「なんて残酷な言葉」
「そう、残酷な言葉だ。でもどうしょうもない程に恋子に惚れてしまった」
「それから恋子とは上手くいったの?」
「半年くらいまでは天国だった。だけど、ある日突然僕の前から消えてしまった。その日から僕の暗黒の日々が始まったのさ。あなたは男に惚れたことがある?」
あなたは男に惚れたことがある?」
「好きになった事は何度もあるわよ」
「好きなるということと、惚れるということはまったく違うものだよ。今までの価値観が一変するんだ」
「一般論として男性にとって恋愛は生活の一部に過ぎないと言っているわ」
「僕も恋子に出会うまではそう思っていたさ。
むしろ恋に夢中になっている友人を馬鹿にしていた」
「そんなあなたが彼女にはまったのは何故?」
「たとえば観たいと思っていた映画の誘いや、食事の好みの一致は
よくあることかもしれない。しかし、彼女のすごいところは僕の心理を理解していたことだ。僕は時々独りになりたい時がある。そんな時には素早く察知して距離をおいてくれるんだ。
それに僕は妙なところが潔癖だ。それが原因で過去の恋人と別れてきた。
居酒屋の箸が使えない。外のトイレで大きい方が出来ない。
他人と同じ皿のおつまみを食べられない。恋子は気難しい僕の性格を理解して受け入れてくれた。彼女と過ごす時間は至福の時だった。この女しかいない、結婚しようと思った。しかし、ある日突然僕の前から消えてしまった。そして恋子を探す旅が始まったってわけ。興信所に有り金はたいて依頼もした。その結果が見つけたのが彼女だった。それを知った時は衝撃だったよ」
「そして恋子の変貌には何か秘密があると思ったのね」
「うん、興信所で調査結果を聞いた時に、僕と同じように恋子に溺れて廃人同様になった男がいる。僕は精神を壊されたけど、その男は家庭崩壊になったらしい」
「家庭崩壊?」
「そう、離婚した後でも、恋子を狂ったように探しているらしい」
私は身体中がゾクゾクとしていた。恋子の中に棲んでいる魔性に強く惹かれていた。 
「もっと、その男のこと詳しく教えて?」
「名前は橋口洋次 、歌舞伎町のレッドというBARの常連らしい」
「そこのバーに行ってみたい。恋子に狂った男に断然興味が湧いたわ
「女一人夜の歌舞伎町は危ないよ」
「じゃあ用心棒でついてきてよ」
田宮は大袈裟に瞳を大きく開いて言った。
「君って意外と無防備で無鉄砲なんだね」
 
土曜日の夜、田宮と待ち合わせをして歌舞伎町へ向かった。
ブラウンのワンピースにオレンジのルージュの唇が、
大人びた雰囲気を醸し出している。今夜は十七歳の高校生ではない。
BAR「レッド」のドアを開けると二人に気づいたバーテンダーが
カウンターに手招きをした。私はレモンスカッシュを頼み田宮はロックウィスキーを注文した。
テーブルの前に差出されたグラスを取り喉に流す。
強烈な炭酸が喉を刺激する。私はゆっくりと店内を見渡した。
二組のカップルの話す声と、女性三人の笑い声が聞こえてきた。
カウンターの隅に独りで飲んでいる中年の男がいる。
三十代後半だろうか。表情に疲労の色が見える。男が私の方を向いた。
直感だった。橋口洋次?田宮は私を見て頷くと
立ち上がり男の側へ行った。
「あの、突然すみません。坂本恋子さんを知っていますか?」」
橋口の表情が明らかに変わった。
「恋子?君は恋子を知っているのか?恋子は今、どこにいるんだ」
男は驚愕し表情を歪ませた。
「君は恋子とどういう関係なんだ」
「同じように恋子の行方を捜しているということです」
橋口は飢えた小動物のように空を見つめ言った。
「恋子は僕のすべてだった。離婚して恋子と暮らすつもりでいた。しかし、突然消息不明になったんだ」
突然消息不明になる。田宮と同じだ。
「恋子とどこで知り合ったのか教えてくれますか?」
橋口の顔が少し緩んだ。
「恋子は僕の経営する会社に入社してきた。」
「容姿は?たとえば、すごく太っていたとか」
「いや、まったく、普通の体型だった」
どういうことだろうか?今の恋子は巨漢大女だ。
橋口は未練と執着をたっぷりと含んだ口調で言った。
「あんなに可愛い女に会ったことないよ。もうたまらなく可愛いんだ。
今まで生きてきて守ってやりたいと思ったのは始めてだよ」
「それから二人はどうなったのですか?」私は身をのりだす。
「恋子と毎日デートを重ねた。会社への情熱も家族への愛情も薄れてきて
いつしか、恋子と一緒にいる時だけが僕が僕でいられる場所になっていた。プライドも理性もなくなった。だけど、ある日突然恋子は僕の前から消えた。僕は半狂乱になって探したよ。履歴書に書いてある本籍地の長野県の軽井沢市役所にも行った。でも怪しい言動で窓口で断られたよ。住所を探しても見つからない」
橋口はグラスを口に運ぶと一気に喉に流した。
「僕がほんとに求めていたものが何なのか。地位も名誉も金もいらない。ただ愛が欲しかっただけだった。その真実の殻を恋子に破られてしまったんだよ。」
橋口は泣き始めた。声を出して泣いている。大人の男がひとりの女性の存在を失い人目もはばからず泣いている。私は呆然と見つめていた。
その時、腕を掴み田宮が小声で呟いた。「出よう」
田宮はカウンターに一万円札を置くと私の腕を掴み出口に向かって足早歩いた。バーを出て点滅する交差点を渡った時私は安堵の表情を浮かべた。
「恋子の周りで何が起きているのかしら。恋子って幼い時どんな子供だったのかしら。今どこに住んでいるのかしら?
今だって、仕事をしているのか、学生なのか何も知らない。誰も恋子の生まれも、家族の存在も、知っている人がいない。彼女は一体何者なの?」
私は大きく溜息をつき夜空を見上げた。隣の田宮が独り言のように呟く。
「恋子の故郷のに行ってみないか?」
田宮は泥酔していた橋口から軽井沢の住所を聞き出していた。

第2話:https://note.com/mute_holly8157/n/na43107311810
第3話:https://note.com/mute_holly8157/n/n66a3ebdc05e0

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