もう、嘘はつかないで 第3話
「でも、経理のほうは・・・」
「しばらく経理の仕事はいいから」
と言うと、デスクの引出しを開けて煎餅を取り出すとがぶりとかじった。
バリッと割れる音が部屋に響く。
「まったくどいつもこいつも、気に入らないわ」
バリバリ、バリバリ、煎餅の食べる音が騒音のように耳に響いてくる。
米田は、口の中に残っている煎餅を砕きながら、
「永田レイのスケジュールを教えるから一週間尾行してちょうだい。その間の経費は自由に使っていいわ」
「でも、私は尾行はしたことがありません。専門の方に任せた方がよろしいのではないでしょうか」
「ああ、だめだめ、過去に私立探偵を使って尾行調査をして痛い思いをしたのよ。プロだからって尾行が上手いとは限らないとわかったの。特別手当を支給するから上手くやって」
してほしいのでもなく、しなければいけないのだ。米田にはそう思わせる高圧さと支配的な空気を出す特技ともいえる能力がある。これも才能のひとつなのだろう
「ああ、わかっていると思うけど、このことは誰にも秘密よ。墓場まで持っていって」
河原崎は相変わらず直立不動で微動だにせずに立っていた。
まるで二人の会話を窓の外側から聞いているようだ。
この能面男は感情の波も一ミリも動かないのだろうか。
米田はまた煎餅を口に入れた。
米田が小太りなのは煎餅好きのせいだろう。
私は不可思議な物体を見るようにしばらく米田を眺めていた。
レイは規則正しくテレビ局や、ロケ現場から自宅へ帰宅していたが、
尾行を初めて四日目にいつもと違う行動をした。テレビ局内の収録が終わると、ひとりで駅へと歩いて行く。
素顔でファストファッションを装ったレイの姿は日頃のオーラが消えて、
群衆の中に違和感なく溶け込んでいる。帽子と眼鏡で変装しているのは私の方だ。レイは山手線に乗り、東京駅で降りると高速バスのロータリーへと歩いて行く。停車している鹿島神宮駅行きのバスに慣れた様子で乗り込む。
私はレイが奥の席へ座るのを確認してから前列の座席に座った。
走り出したバスはビルや広告の画面から景色が緑色に変わっていく。喧騒の空気から清々しい空気が変化していくのを感覚で感じた。
終点の鹿島神宮駅に着いた時にレイは軽く運転手にお礼を言って降りた。
私は距離をとりながらレイの後を追った。5分程歩いて行くと一軒の家の中へ入って行った。「柳橋」と彫刻刀で彫ったような表札を見る。
中を覗いた。大きな平屋の家と松の木や季節の花々が鮮やかに咲いている。
家の離れた場所に倉庫のような建物もある。
その時、後ろから男の声が聞こえた。
「あんた何してんだ?」
私は驚いて振り返った。
「うちに用事があんのか?ずっとうちの中見てだっぺ」
日焼けした中年の男性が私をジロジロと見た。
「あの・・・」
言葉にならない。
その時家のドアが開いた。永田レイだ。
「とうちゃん、どうしたんだ」
「ああ道子帰ってたのか。この人がさっきから家の中を覗いてんだ」
私を見た永田レイが驚いた表情をしたがすぐに、
「あっ、私の友達、今日帰るって連絡したから会いに来てくれたんだ」
「なんだ、そうか」
レイの父親は何事もなかったように家の中へ入って行った。
レイは私をしみじみと見つめながら
「社長から頼まれたんでしょう。あの人がやりそうなことだけど、ここまでやるとはね。呆れたわ。あの人誰も信じていないのよ。経理の部屋もガラス張りでいつも監視されているでしょう?
自分以外の誰かが何をしているのかいつも疑心暗鬼で生きている人。
社長命令とはいえ、田舎まで私を尾行してくるなんてあなたも大変だね」
と同情するような表情で言った。
テレビや雑誌で観る永田レイは洗練された雰囲気の都会的風貌の女性だ。
顔立ちも整っていて長身で見栄えがするクールビューティを売り物にしている。しかし、今、目の前にいるレイは煌びやかな世界に生きているレイではなかった。田舎の素朴な女性にしか見えない。
「近くの神社があるの。散歩しよう」
私とレイは厳かで、清々しく、静寂な神社を二人で歩いた。
厳かで、清々しく静寂な神社を歩いた。
「私はこの土地が大好き、ここにくると木からたくさんエネルギーをもらえて元気になるの」
と言い胸を突き出して大きく息を吸った。。
「ここの空気は美味しいんだ。あなたもやってみて」
私は天井に向かって大きな口を開けて空気を吸い込んだ。
「気持ちいい~。空気が美味しい」
「あはは、ヒロトと同じこと言っている」
「ヒロトさんもここに来たことがあるのですか?」
「社長に内緒で時々来ていた」
レイは空を見上げた。
「今頃ヒロトはどこにいるんだろう」
「ヒロトさんはレイさんにも何も言わずにいなくなったのですか?」
「何も言わずに突然いなくなったわ。彼は自分の悩みを誰にも言わなかったけど、社長との関係が原因じゃないかと私は疑っているの」
「どうしてですか?」
「社長は猜疑心が強くてタレントを常に自分が管理していないと安心できないの。特にヒロトには監視が厳しかった。キャンプ場まで尾行されていたらしい」
キャンプ場?あの時尾行されていた?ヒロトと大野と三人で行ったキャンプを思い出した。
帰り際にレイは苦笑いをしながら、
「社長にどんな報告をしても私はかまわないわ。だいたい反応はわかっているから」
私が怪訝な表情をすると、
「そのうちわかるわよ」
と言うだけだった。
一週間ぶりに会社へ出社すると、米田が待ち構えていた。
「お疲れ!」
相変わらず大きな声だ。河原崎が軽く会釈をする。傍にいつもいる河原崎は米田の声を聞いて頭が痛くならないのだろうか。
私は一週間尾行してまとめた作成書を渡した。
作成書をめくりながら、ある日のスケジュールの記載してある箇所で視線を止めた。
「この日午後からオフだったでしょう?」
「はい、テレビ局の収録がおわって自宅に帰ってから外に出ていません」
レイが実家に帰ったことは米田には言いたくなかった。レイとの神聖な時間を米田に介入してほしくなかった。
「ほんとに何もなかったの?」
猜疑心に満ちた表情で全身を舐めるように見る。
「はい、何もありませんでした」
と言った途端米田の表情が極端に変化した。
「考えてみれば、オファーも最近少ないし、レイにそれほど愛着も未練もないわ。もう、どうでもよくなったわ」
これが一週間尾行を命令して結果報告した返事だろうか。
永田レイの苦笑した意味が理解できた。
怒りというよりもやるせない気持ちが膨らんでいく。
米田は幼子のように、
「煎餅食べよーっと」と言い、
引出しから煎餅を取り出し食べ始めた。バリ、ゴリ、バリ。口の中で割れる煎餅の音が部屋に響く。その光景は奇異としか云いようのないものだった。
私は呆気にとられていた。
この独特の感性と思考と関わるには、河原崎のように無感情になることで自分自身を守る以外にないのかもしれない。
社長室から出る河原崎に、
「社長と一緒にいて疲れたことってありませんか?」声をかけると、
私をじっと見て一言
「さあ、どうでしょう」
と言うとスタスタと歩いて行った。
私は直立不動でロボットのように歩く河原崎の背中をしばらく見ていた。
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