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恩返しという名の重荷。一番の恩返しとは?

おはようございます。

昨日は大腸内視鏡の検査結果を聞きに行きました。検診結果は”異常なし”。術後7年目にして「もう検診は終わりにしましょう」と主治医に言われたので、喜んでいいのか?悲しいお別れなのか?感情の整理がつないまま「先生も頑張ってくださいよ」と、なぜか上から目線で主治医を励ましてしまった、まこちゃんです。汗

さて、今回は「恩返し」という言葉が持つ本来の意味と、その捉え方について考えてみたいと思います。「永年お世話になった会社に恩返しをすべきだ」。そんな言葉を耳にすると、少し胸がざわつくことはありませんか?

確かに、これまでの経験や成長の機会を与えてくれた会社や人々に感謝の気持ちを抱くのは自然なことです。でも、「恩返しをすべき!」という言葉が持つ響きには、どこか違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。

恩返しは「したい」と思うもの

恩返しという言葉には、感謝の気持ちが自然と行動に繋がるという前提があります。たとえば、誰かに助けてもらったとき、「ありがとう」という気持ちが湧き、自分も何かお返しをしたいと思う。それが本来の「恩返し」の姿です。

しかし、「恩返しをすべきだ」と言われた瞬間、その行動は義務や責任のようなものに変わってしまいます。感謝の気持ちから生まれる純粋な行動ではなく、「やらなければならない」というプレッシャーや罪悪感に駆られて動くようになってしまうのです。

こうなると、恩返しという行為そのものが持つ温かさや喜びが失われてしまいます。本来、自発的であるべきものが、無理やり求められるものになった瞬間、それは「善」ではなくなってしまうのです。

長年働いた自分にも「お疲れさま」を

長く勤めた会社を辞めるとき、多くの人が「お世話になった会社に申し訳ない」と感じたり、「何か恩返しをしなければ」と思ったりするかもしれません。でも、ちょっと考えてみてください。

あなたはその会社で何年も働き、多くの時間と労力を注ぎ込んできましたよね?その結果として、会社もあなたから得た価値や成果があったはずです。つまり、あなたと会社はお互いに支え合い、対等な関係で成り立っていたと言えます。

それなのに、「恩返しをすべきだ」という言葉だけが強調されると、自分自身の努力や貢献が軽視されているような気持ちになることもあるでしょう。

むしろ、このタイミングで大切なのは、自分自身にも「お疲れさま」と声をかけてあげることではないでしょうか?

長年頑張ってきた自分自身への労いこそが、次のステップへ進むために必要な心構えなのです。

違う道で続ける「感謝」の形

退職して新しい道を選ぶことは、これまでお世話になった人々や組織への感謝を否定するわけではありません。むしろ、その新しい道で得た経験やスキルを活かして、間接的にでも恩を繋げていくこともできるのです。

たとえば、新しい環境で成長した自分が、将来的に古巣の会社や同僚たちと再び関わる機会を作ることだってあるでしょう。

また、自分自身が新しい場所で輝く姿を見せることで、「あの人が頑張っているなら私も」と周囲に良い影響を与えることも立派な恩返しと言えます。

つまり、「恩返し」は必ずしもその場で完結するものではなく、自分らしい形で続いていくものではないでしょうか?

自分自身への「恩返し」も忘れずに

最後にもう一度強調したいのは、自分自身への「恩返し」の大切さです。

これまで頑張ってきた自分には、新しい挑戦や休息、そして次なるステップへ進む自由があります。それこそが、自分自身への感謝を示す行動ではないでしょうか。

「恩返し」という言葉には確かに美しい響きがあります。

でも、それが義務として押し付けられる瞬間、本来の意味から遠ざかってしまいます。だからこそ、自発的な感謝の気持ちを大切にすること。そして、自分自身にも優しくすること。それこそが、本当の意味で心地よい「恩返し」になるのではないでしょうか。

あなたがこれから選ぶ道、その先で輝く姿こそが最大の恩返しかもしれません。共感やエピソードなどありましたら是非ともコメント欄から教えて頂けますと手を叩いて喜びます👏👏👏笑
それでは今日も素敵な一日をお過ごしください。では。

イッテラッシャイ!

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