![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168944343/rectangle_large_type_2_8a5b050694fe842a5968aac82fac9658.jpeg?width=1200)
でんぱ組.incとエンディングと私。
〇1月4日、5日のエンディング
今までアカウントを持ってはいたが全く書いてこなかった。
この二日間を終えた今、「この気持ちを何かのカタチで残しておかなくては」という気持ちが強くなった。今まで不精であった人に長文を書かせるエネルギーまでくれるとは、さすがはでんぱ組.incである。
仕事以外で長文を書くのは久しぶりなので、時系列バラバラだったり、表現がそぐわないものであるかもしれないが、すみっこに時々いたボッチおじさんオタクの戯言であるとご容赦願いたい。
つらつらと書き連ねていく。
・エンディングライブを終えて
でんぱ組が終わった。
昨日の解散ライブは息つく間もない怒涛の曲の嵐であった。MCはほぼなく、ひたすら曲をやる。これが答えだ、これが言葉だ、曲を聴きダンスを見ろ、最後はやれるだけ全部やる、といった様相であった。
最後の曲はサクラあっぱれーしょん。
「バイバイ、さよなら」と歌い切った後、長いアウトロの後、トロッコに乗り込んだ彼女たちは、泣きながらの笑顔で客席に手を振り、紙吹雪を撒き、退場していった。
その後のエンドロールでは、関わったすべての人をクレジットしていた。その幅の広さと長さから、彼女たちが築いてきた歴史を実感した。多くの人に愛され、皆に作り上げられたものだったことを、しみじみと感じ入る時間であった。
更にその中では現メンバーからの挨拶が流れる。ライブ中のMCが全くなかったが、ここですべてが回収された。
・ありがとうと、“ここ”にいるみんな
一人ひとりの心のこもったメッセージに、会場のそこかしこから「ありがとう!」「大好きだよ!」という声が飛び交った。でんぱ組メンバーからのありがとうに対する、会場に来た観客、配信で観ている人たち、そのすべてからのありがとうが交差していたように思う。
この時まさに『ここにいるみんなで、でんば組.incです』と言えた瞬間であったであろう。
いや、正しくはこの公演が始まった時か、この二日間の初日か、これまでのツアーに参加した人はその時か、接触した人はその時か、CDを買って聞いた人はその時か、配信で音源を聞いた人はその時か、YouTubeでたまたま聴いた人はその時か、最上もがの名前を聞いて「変わった名前だな」と思った人はその時か、有線放送などでたまたまその楽曲を耳にした人はその時か…
その時が忘れられてしまっていたとしても、すべての人が彼女たちでんぱ組.incに触れたその時、その瞬間に『みんな』に含まれたのである。
言ってみれば宇宙全体がでんぱ組.incであると言っても過言ではないだろう。
それ程の一体感が、あの瞬間にあったと確信している。
・照明
エンドロールがすべて終わり、今までにない大きなスクリーンに映し出される
『THE END』
の文字。
そして大きな拍手が鳴りやまなかった。しかし、誰もその場から動かない。
もしかしたら、まだ何かあるんじゃないか、もう一度歌って踊る彼女たちを観られるのではないか、まだ、終わらないのではないか、終わらないでいてほしい…
そんな気持ちが会場を埋め尽くしていた。全員が思っていたと思う。彼女たちを除いて。
照明がつく。
そこに
「本日の公演はすべて終了しました――――」
というアナウンスが無情に響く。
――――――終わった
全員がそう思った。
アイドル現場にお決まりの「やだー!」とは誰も言わなかった。全員がわかっていたのであろう、あれ以上の終わり方はないと。どこか納得したような、安心したような、晴れ晴れとした雰囲気が広がった。
皆すすり泣いたり、笑ったり、落ち込んだり、まさに悲喜こもごもであったが、誰しもが彼女たちの活躍が終わったことを噛みしめているようだった。
どこからか「ありがとう!」の声が飛んだ。あちこちから感謝の声が聞こえた。
例外なく私も叫んだ。「ありがとう!でんぱ組.inc!」
恥ずかしいとも思ったが、今言わないと一生後悔すると思った。
隣の方のコールに私の気持ちも乗り、とても盛り上げてもらえたので、感謝を伝えた。
反対の隣の方は「りあぴのありましたよ」と銀テープを渡してくれた。
ほぼ真後ろにいた男性の方の名札に『やすメタル』とあり、今日までの感謝を告げて握手をしてもらった。(これが最後の特典会である)(未鈴ちゃんとの間接握手と言っても過言ではない)
とても暖かい雰囲気が広がっていた。
・物販もエンディング
会場を出ると、駅に向かう人、物販に行く人と別れていた。
私は正直「もう活躍することのないアイテムを買うのは…」と思っていた。と思いつつも昨日はりあちゃんのアクスタ2種を両方購入していた。さらに、ガチャガチャを二回回し、りあちゃんとぺろりんのキラシールを自引きしていた。嬉しい。
もともとあまりグッズを買うタイプではない私である。
それでも「りあちゃんのビリビリアクリルバッジほしいな…」と思った私。一瞬迷った後、買わないで帰る方が悔いが残るだろう、と思い物販に行き購入した。
![](https://assets.st-note.com/img/1736158017-DUxCiwhLrsapg7vHG3JtR6de.jpg?width=1200)
もうライブに付けて行くこともないバッジを着ているニットに付けて、寂しくも嬉しい気持ちいっぱいで帰路についた。
・W.W.D ENDINGのMV
W.W.D ENDINGのMVが公開されたのが1月4日の23:00という、どうしたってそんなに回数が観られるものではないタイミングであったが、公開直後から20回以上は視聴した。
泣きながら。
映像はとにかく素晴らしかった。
すべて秋葉原、ディアステージでのロケ。CGもユーモアがあり笑えて、私はとても満足するものであった。
特にりあちゃんの表情が素晴らしい。推しだということを差し引いても素晴らしかった特に「いいことばっかじゃなかったな」のブーケを持った表情とUFOキャッチャーで取れるかハラハラしている表情と取れなくてみんなで崩れたところと
…とオタク特有の早口が発動しそうになったので、このあたりで留めておく。
この素晴らしいMVを観てから、やろうと決めていたことがあった。
聖地巡礼である。しかもエンディング当日に。
これは熱量の高い内に、そしてこれからどうしたって薄れていってしまう感情を、少しでも留めておきたかったのである。
・いざ秋葉原へ
京葉線で東京に到着し、山手線で秋葉原へ。久々のアキバ。
まずは聖地ディアステージへ。正直数回お店の前まで行ったのみで、訪問したことはないためうろ覚え。ナビを使用しながら向かう。
道中、ENDINGのMVを観ながら、自分がいけそうなところをスクショしてピックアップした。屋内のシーンであるゲーセンなどはわからないので諦め、外のみに絞ることにした。
すると、割とすぐに横断歩道の真ん中でりさちーが拡声器を持っているシーンで使われた交差点を発見することができた。写真を撮る。
![](https://assets.st-note.com/img/1736157843-OubAVR9qN8MIjZgf1Un0CdeS.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1736157915-RYE1SgWef8u5QybXOKFIDi94.png?width=1200)
そうこうしている内にディアステージに到着した。
SNSで見た通り、シャッターが取り外されており、ガラス張りとなっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1736157933-qV9TUxwKs31XRfHDcvY7SJQO.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1736157933-VUq6EPafBZzLFtuoNCQgsm7D.jpg?width=1200)
「あのシャッターは今あの幕張にあるのだなぁ…」と思うと感慨深かった。
(おそらくすでに舞台が解体され運ばれている最中であると思われたが)
一眼を構えて写真を撮っている人が一人いるのみであった。
引き続きロケ地を探すことに。
秋葉原に来たのは10年間で数回程度といった底辺オタクなので、右も左もわからない。が、持ち前の方向感覚と情景記憶力で、セガも万世橋の万世もなくなっていたが(いつの話だ)、
目指すべき方向はおおむねわかった。
万世橋だろうと踏んで行ったがどうも違う。緑の鉄橋はどこだろう。
スマホで検索し、ナビを頼りに歩いた。この時点でかなり疲労感があったが、すぐに辿り着いた。
![](https://assets.st-note.com/img/1736157863-lmYjUzt25SFK8wGv0MLnPZ7A.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1736157863-dObCkrMuzQjD1qUHg2X8aocp.png?width=1200)
ぺろりんがリボンをくるくるしているところだ。
そして緑の橋側からこちらにリボンをくるくるしながらやってくる未鈴ちゃん、ぺろりん達のアングルもわかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1736157958-nZIXKxVQBTMvuehPz6pwj4b1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1736157958-evzQux1lABKkpgWXraMUjfwn.png?width=1200)
同じアングルから写真を撮り、満足。いつかはここに彼女たちがいたんだなぁと思うと、何とも言えない嬉しい気持ちになった。これぞ推し活。これぞ聖地巡礼。
でもきっと、こういうことをするのはこれが最後なのだろうと思うと、やはり寂しい気持ちになったのであった。
・武装解除されたオタク
自宅に到着後、リュックにごてごてじゃらじゃらとつけていたぬいぐるみやキーホルダー、アクリルキーホルダーを外して机に置く。
ああ、もうこれらをすべてつけてどこかに行くことはないのだな
と思うとまた寂しい気持ちになった。
普段の生活でつけてもいいが、ちょっとアレな人に見られて近隣から浮いてしまうのは避けたい。こういったものはやはり祭りだから許されると思うのである。普段は一社会人として擬態しているが、ライブという祭りではそのメッキがはがされ、リビドーに忠実にあるがままのオタクとなっていた。
その機会はもうないのである。まさにエンディング。ひとりエンドロール。
これからまた一社会人に擬態して生きていくのである。
・メンカラ
荷物を片付けている中で、VIP特典の不織布でできた手提げを開けた。
するとそこから紙吹雪が。ミントグリーン、ピンクが入ってた。
(あえて言うが、緑ではなくミントグリーンである。たとえミントグリーンの紙吹雪はなかったと言われても、本当は緑にしか見えないとわかっていても、誰が何と言おうとミントグリーンの紙吹雪なのである)
これまで推してきた二人のメンカラが入っていたのは、もはや運命と言わず何であろうか。
またしても涙腺崩壊した。
・次
夕食をとりながら、YOUTUBEでまたW.W.D ENDINGを視聴する。さっきは大きな舞台で演っていた7人の集大成の曲。
配信から二日しか経ってない、MVは公開されて24時間経ってない、ライブでは2回しかやってない。
――――え?これもう歌って踊っているところ見れないの?まじ?
これである。
今までは、
ライブ→
最後に新曲発表・+なんならツアー予告→
終演後新曲配信・リリイベ日程発表→
リリイベミニライブではその曲をやる→
ツアー各公演でその曲をやる→
その間MIXや口上がファンの間で決まっていき、曲が完成していく
というのがお決まりな流れである。
初見では「ん-?」と思う曲でも、何度も繰り返し聞いたりライブでダンスと合わせてやっているところを観たりしていくうちに、だんだんと「良曲!」となっていくことも多々あった。
それが、ない。これで終わり。
そう思った時にまた寂しさがこみ上げてきた。もっと見たかった。
観たかったぞおおおおおおおおおおおおおおお。
そんな思いを抱えながら、いつも観ていたぺろりんチューブを観た。不変のおとぼけ、不変の可愛さがあった。客演するメンバーを観て嬉しい気持ちになった。
エンディングを迎えていない世界線に逃避つつ、床に就いたのであった。
おやすみ世界きゅん。
・一夜明けて
起床。今日から年末年始休み明けの仕事始め、しごはじである。
なぜかしら、秋葉原にいたの…
などということはなく、普通に自宅にいた。それはそう。
どうやらでんぱ組.incがエンディングを迎えてしまった世界線の1月6日であることを確認し、落胆した。夢ではなかった。
朝声を出そうとしたらカッスカスだった。声帯がエンディングだった。
昨日確かに「もうこれでおわってもいい…だからありったけを…」の気持ちで絶叫していた。制約と誓約でエンディングを迎えられる状態に成長にしたのだろう(喉だけ)。
100%を超えたひずみがやってきたのである。
身体的疲労ももちろんやってきた。この状態で仕事始めとは。強くてニューゲームしたかった。
そんなこんなで人と話すことを生業としているので、非常に業務に支障が出ている。電話は取らず、所内でおとなしくさぼっているのである。幸い年始ということもあり、急ぎ案件はないのでゆっくりさせていただきながら、気持ちの整理の時間に充てられている。ありがたき。
・感謝するぜ、これまでの全てに
兎にも角にも、昨日ででんぱ組.incは終わってしまった。メンバーのSNSのプロフィール欄も変更され、新しい道を歩み始めている。私もうかうかしていられない。彼女たちに恥じないような生き方をせねば。
特に励ましてもらった歌詞が二つある。
‘W.W.D’の「バカにしたってケッコーケッコー そんなん慣れっこどーぞどーぞ」と
‘ファンファーレは僕らのために’の「やれるやれる君ならやれるはずさ」
というところ。
『人の評価を気にせず、自分らしくあることに胸を張る!』
『きっと自分ならできる』
そう思わせてくれた歌詞である。
へんてこな歌と踊りでたくさんの人を元気づけてくれ、宇宙まで救ってしまったでんぱ組が言うのだから、これ以上の説得力はないだろう。
私が出会ったのは2015年であるが、この10年充分救ってもらってきた。
でんぱ組はなくなってしまったかもしれないが、人生に影響を与えた音楽は、いつ立ち戻って聴いても元気になれるものである。
これからもきっと、何か辛いことがあった時や挫けそうなときにでんぱ組を聴いて、また元気をもらうのだろう。
『だって私たちは、でんぱ組.incだから』
16年間ありがとう。とってもとっても大好きです。