【朗読Bar原稿】ジャスタウェイ~世界最強の証明~
朗読Bar出演時原稿
公演日:2024年9月4日
当時読んだ内容をほぼそのまま掲載しております。
ジャスタウェイ 世界最強の証明
競馬は「ブラッドスポーツ」と呼ばれることがある。競走馬の能力は、血統と密接に関係があると考えられているからである。そして、能力とは別に、血縁関係がもたらすドラマに、競馬ファンはロマンを感じることがある。「親子2代制覇」「一族悲願のG1勝利」等々・・・馬は言葉をしゃべらないが、時折、人間の気持ちを汲み取ったかのように奇跡を起こし、その走りで感動を与えてくれる。だから競馬が生み出すドラマにファンは惹きつけられ、こうして語り継がれていく。
「ハーツクライ」という馬がいた。3歳のデビューから1年は大きな結果を残せなかったが、4歳以降に覚醒。「ディープインパクト」という、当時の日本競馬で絶対王者と呼ばれていたライバルを、国内で唯一破ったことのある競走馬だ。海外のG1も勝利し日本の競走馬の代表として活躍した彼は、引退後に種馬となり、その遺伝子を多くの子供たちが引き継いでいった。
今回お話しするのは、そんな「日本のハーツクライ」の魂を継いだ競走馬が、爆発的な末脚を武器にライバルたちとしのぎを削り、ただ目の前の道を進み続けて、世界へと挑んでいくお話。
2009年3月。北海道のとある牧場で彼は生まれた。ハーツクライの子供として生まれた彼は、茶褐色の馬体に、「流星」と呼ばれる額の白い模様が、十字の形をしているのが特徴的。大人しい性格をしていて、育成していたスタッフからも「いかにも伸びしろがありそうな雰囲気」があると言われていた。裏を返せば、父と同じ晩成型と考えられていて、実際、同じように苦労を重ねることとなる。
まだ馬主が決まってない彼は、翌年、「セレクトセール」と呼ばれる競走馬のセリ市に出されることになった。他の馬たちが数億円単位で取引が行われるなか、彼は1260万円というかなりの安値で落札。当時、まだハーツクライの子供に活躍馬がいなかったことや、がに股で特徴的な歩き方からそこまで速く走られないだろうという評価もあったことから、セリになっても人気が出なかった。
そんな彼を購入した馬主の名前は、大和屋暁(やまとやあかつき)。実は大和屋は、複数人で共同出資を行う「一口馬主」という形で、過去にハーツクライに関わっていた。ハーツクライのレースに感動した大和屋は、彼の子供を持ちたいと考え、個人馬主資格を取得。見事、ハーツクライの子供の馬主となり、この馬が大和屋の競走馬として初めてデビューすることとなる。
アニメの脚本家をしていた大和屋は、競走馬には自分が担当した作品のキャラクターから命名しようと考えていた。「一見カッコ良さげで、ちょっとアホくさいキャラクター」から選ばれた名前は、「ジャスタウェイ」。「Just a Way」「その道」という意味で競走馬名を申請したが、理由が理由だけに、当初はネタ馬として取り上げられていた。
2011年。ジャスタウェイは7月にデビュー戦を勝利。レースの終盤に加速する末脚が素晴らしいことから今後の活躍が期待された。しかしその後は、重賞と呼ばれるG3以上のレースに出走するも3連敗。2012年2月に行われたG3アーリントンカップでようやく重賞初制覇。出走した13頭の内、最後方でレースを進めながら、最後の直線で他の馬を全てごぼう抜きするド派手な勝ち方を見せつけ、同世代で争うG1戦線に名乗りを上げた。
しかし、晩成型と言われていたとおり、ここから彼の苦悩の日々が続く。
生涯に1度、3歳馬だけが挑戦することが出来る世代限定G1に挑むこととなったジャスタウェイ。まず彼が挑んだのは5月に行われたG1 NHKマイルカップ。しかし、ジャスタウェイの末脚は届かず、6着と敗れた。
次に挑んだのは、同じ月に行われたG1日本ダービー。3歳馬達の頂点を決める一戦は、ディープインパクトを父に持つディープブリランテが勝利し、ダービー親子制覇を成し遂げた。ジャスタウェイは後方からの追い込みが不発に終わり、11着の惨敗だった。
その後、夏の間を休養に充てて成長を促し、秋以降は世代を超えた年上の馬たちに挑戦を始める。10月のG2毎日王冠。G1馬6頭を含む多くの実績馬たちを相手にジャスタウェイは後方からメンバー最速の末脚で猛追するが、わずかに及ばず2着と惜敗した。
勝ちきれないなりに実績を重ねたジャスタウェイは、G1秋の天皇賞に出走。前目のポジションをとってレースを進めるが、年上のエイシンフラッシュに後方から差し切られ、ジャスタウェイは連敗を重ねた。
同世代のライバルたちは活躍し、年上相手にG1勝利を挙げる者もいる一方、ジャスタウェイ3歳のシーズンがひっそりと終わる。当時のジャスタウェイは、後半の優れたスピード能力を持っていたが、体が弱く、レースの前後で体調を崩すことが多かった。また精神的にも弱く、馬体もゆるく、一流の競走馬にはまだまだ及ばなかった。それでもスタッフは辛抱強くケアをして、彼の成長を待った。父と同じように、年を重ねるごとに本格化することを願い、その道を一歩ずつ進んだ。
2013年。4歳になったジャスタウェイは、昨年敗れた秋の天皇賞へのリベンジを最大目標として、G2、G3のレースで実績を積むことにした。しかし、1月から3月の3戦を3着、5着、8着と勝利からさらに遠ざかってしまう。管理するスタッフは、この後予定していたレースを全て取止めて牧場で休養させ、ジャスタウェイのさらなる成長を促した。まだ道半ばで、このまま右肩下がりに終わっていいはずがない。ジャスタウェイは、必ず、強くなる。
そんな思いが通じたのか、牧場から帰ってきたジャスタウェイは急成長を遂げる。
元々筋肉が薄くて華奢な体系だったが、筋肉量が増え、メリハリのついた逞しさが出てきた。そして切れ味のよい加速力はさらにパワーアップ。ようやく本格化したジャスタウェイ。後方から直線一気に追い抜く自身のレーススタイルのように、先を走る同世代たちに巻き返しを図る時がついに訪れた。・・・かのように、見えた。
休み明けの6月に挑んだG3エプソムカップは、スタートで出遅れ、最後方で進み、最終直線で急加速して先頭に並びかけたところでゴール。写真判定の結果、ハナ差、わずか3cmの差で2着。
8月のG3関谷記念では、再び出遅れて最高方。前を走る馬たちをさばきながら最速の末脚で追いあげるも届かず、2着。
そして迎えた秋のG2毎日王冠では、前年の秋の天皇賞で勝てなかったエイシンフラッシュと再度対戦。最後の直線、他のメンバーよりも頭一つ抜けたスピードで駆ける2頭だったが、ポジションの差でエイシンフラッシュにわずかに及ばず、2着。
3戦連続2着である。ようやく馬体が本格化して、すべてのレースで、メンバー随一の加速力を見せつけるのに、どうしても勝ちきれない。能力だけではなく、惜敗し続ける姿まで父に似てしまい、気づけば、最後に勝った時から1年半もの月日が流れていた。
進み続けるその道は険しく、栄光の光にはまだ届かない。「あと一歩が足りない銀メダリスト」という世間の評価。しかし、魂を込めて進み続けるその脚は、一歩一歩力強く、確実なものだった。
ついに、目標としていたG1秋の天皇賞が近づく。ただ、G1初勝利に向けた道に立ちはだかるのは、実績充分のライバルたち。その中でも、一番人気を集めていたのは、ジャスタウェイと同世代の女王、「ジェンティルドンナ」だった。
当時、父ディープインパクトの最高傑作と呼ばれた彼女は、前年に行われた3歳限定の雌馬だけが参加できる3つのG1を全て制覇した、史上4頭目となる「三冠牝馬」。その勢いのまま挑んだG1ジャパンカップでは年上の牡馬たちを蹴散らしてG14連勝を飾っていた。その後もレースで毎回上位を争う安定した走りから、このレースはジェンティルドンナで決まりだろうと誰もが思っていた。
対するジャスタウェイは1年半以上勝ちが無く、勝ったレースも世代限定G3。馬主の大和屋も「これはさすがに無理だろう」と半ば諦めていた。
しかし、勝負に絶対はない。父ハーツクライが絶対王者ディープインパクトを破ったように、作戦一つで結果が大きく変わることだってある。ジャスタウェイも、スタートギリギリまで勝つための努力をした。己の能力を信じ、G1で勝つために。その道の先にある栄光目掛け、ついに火ぶたは切られた。
これまでの敗因の一つにスタートの出遅れがあったジャスタウェイだが、直前まで練習をしたおかげで、好スタートを切ることができた。目標としていた中団よりやや後ろのポジションを取り、落ち着いたレース運びを行う。レースは逃げ馬がやや早い流れで引っ張り、ジェンティルドンナが2番手で追走。そんなライバルたちに惑わされず、ジャスタウェイは後方でスムーズな競馬を続け、仕掛けどころを待った。
終盤のコーナー、馬郡が徐々に詰まってくる中、最後の直線勝負でスムーズに抜け出すため、ジャスタウェイは前を走るエイシンフラッシュの外側の位置を選ぶ。舞台は整った。あとはその力に賭けるだけだった。そして、最終直線、苦しくなってきた先頭にジェンティルドンナが迫る中、馬郡の外を回るジャスタウェイの前に、道ができた。
「さぁ、トウケイヘイロー!トウケイヘイロー!粘る粘る!
ジェンティルドンナ!ジェンティルドンナ!外からジェンティルドンナ!
外からジャスタウェイ!!!」
騎手のゴーサインでスイッチが入ったジャスタウェイは、他の馬が止まって見えるほどの爆発的な末脚で抜け出した。それはまるで、居合抜きのように、先頭に立ったジェンティルドンナに鍔迫り合いをする間も与えず、一瞬で置き去りにした。
「外からジャスタウェイ!一気に躱した!
ジャスタウェイ先頭!ジェンティルドンナ2番手!
ジャスタウェイ先頭!ジェンティルドンナ2番手!
3番手コディーノ!外からエイシンフラッシュ!
ジャスタウェイだ! ジャスタウェイだ!! 突き抜けた!突き抜けた!
ジェンティルドンナ2番手!
ジャスタウェイ!!この破壊力!!!
G1まで届きました!ジャスタウェイ、福永祐一!!
この破壊力!G1まで届きました! 完勝です!!!」
先頭に立ってからもジャスタウェイの勢いは止まらず伸び続け、最終的には2着のジェンティルドンナに4馬身、約10mもの差をつけての勝利。約1年8か月振りの、文句のつけようがない圧勝劇は、かつて父が有馬記念で絶対王者ディープインパクトを破ってG1を初めて勝利した時と同じように、ディープインパクトの子供である絶対嬢王ジェンティルドンナを破ってのG1初勝利となった。そしてジャスタウェイは、ハーツクライの子供で、初めてのG1馬となったのだ。
歩み続けた道の先につかんだ栄光。しかし、ここは「その道」の果てではなかった。レース後、大和屋は兼ねてからの夢を実行することを報道陣に明かした。その夢は・・・ジャスタウェイで、父ハーツクライと同じ、ドバイのレースに挑戦すること。走り続ける道は、世界へとつながっていた。
2014年。ドバイの前哨戦として挑んだ1月のG2を完勝し実力を見せつけると、これまでのレース内容が評価され、世界の競走馬の格付けである「ワールド・ベスト・レースホース・ランキング」で、世界3位タイにランクイン。日本競争馬のトップとしてドバイへと挑むこととなる。
3月。ドバイのメイダン競馬場に総勢8頭の日本馬が集結するなか、ジャスタウェイは「日本の総大将」としてG1「ドバイデューティーフリー」に出走。相手は世界の猛者たち。世界3位とはいえ、ジャスタウェイに対する評価は決して抜きんでたものではなかった。
しかし、関係ない。ジャスタウェイは、目の前の道をただひた走るだけだった。
スタートで少し後手を踏み、馬郡の後ろ側での追走となったジャスタウェイだが、海外馬の中でも有力視されていたウェルキンゲトリクスをマークして、最後に馬込みの外側を回って抜け出す、天皇賞と同じ作戦を実行することにした。レースはやや速いスピードで進み、最終コーナーを回った直線コース。馬郡を抜け出し、前を狙ったウェルキンゲトリクスが、加速して先頭の馬を捉える。レコードタイムに迫るスピードで先頭に立ち、乗っていたジョッキーも「勝った」と思った。
その瞬間。ジャスタウェイの異次元の末脚が、炸裂する。
「第4コーナーから直線。残り400切りました。
トウケイヘイロー。並んでいったのはハンターズライト。
さらにはウェルキンゲトリクス。
“外からジャスタウェイだ!”
ジャスタウェイ!300を切って先頭!
さぁ、鞭が入った!抜けたジャスタウェイ!福永祐一、200を切って!
1馬身、2馬身、3馬身リードをとった!
ウェルキンゲトリクス2番手。その後、3番手争い、これは接戦!
独走だ!ジャスタウェイ! ジャスタウェイ!!
『世界のジャスタウェイ』ゴールイン!!!」
「ジャスタウェイ、ドバイデューティーフリー圧勝!
恐るべしちから。世界No.3のそのちから。
この一戦で証明してみせました!」
完ぺきな走りをしたウェルキンゲトリクスを相手にもせず一気にかわし、6馬身以上、約15m以上も突き放し、今までのコースレコードを2秒以上更新するほどの圧勝。彼のレコードは、いまだに更新されていない大記録だ。
このレースが評価され、ワールド・ベスト・レースホース・ランキングでついにジャスタウェイは単独トップに輝いた。日本の競走馬で1位になったのはディープインパクト以来で、単独1位は日本競馬界初の快挙。つくづく、ディープインパクトを倒すことに縁がある。
4歳の秋に覚醒し、5歳の春にドバイの地で世界にその名を知らしめる、まさに、父ハーツクライそのもの。日本のジャスタウェイが世界のジャスタウェイとなった瞬間だった。
そして、大和屋の「ハーツクライの子供でドバイのレースに勝つ」という夢を、初めて所有したジャスタウェイが一気に叶えてくれたのである。
でも、彼らの道は、まだまだ終わらない。
日本に戻って休養し、次に挑んだのはG1安田記念。G1勝ちの経験がある馬が9頭も出走する中、ジャスタウェイは断然の1番人気。世界No.1の凱旋レース。誰もが、彼の勝利を信じて疑わなかった。
だが、レースは簡単に勝てるものではない。絶対は無いと、ジャスタウェイ自身が知っている。
降りしきる雨の中、レースがスタート。いつものように中団付近に位置をとって追走し、勝負所で抜け出しを狙うジャスタウェイ。しかし、その「いつもどおり」を、打倒世界一を掲げるライバルたちが許さなかった。いつもは自由にポジショニング出来ていたのが、今日は他の馬に囲まれ身動きがとれず、雨によって芝が荒れてきた内側のコースを終始走らされる格好となる。徹底的なマークとぬかるんだ足元で、ジャスタウェイは思うように走れない。
最終コーナーを回りきる直前、各馬のスパートに合わせて外側に抜け出そうと試みるが、他の馬に進路が塞がれてしまっていた。道が空くまで待つか、別の道を進むのか。一瞬の判断が命取りになる状況の中、ジャスタウェイは内側へと進路を切り替えた。
そこは、何よりも険しい、茨道だった。
内側の芝は雨でぬかるみ状態が悪く、さらに前を走る馬郡の間を縫うように走らなければならない。だが、勝つためには、進まねばならない。
ジャスタウェイは何度も脚をとられてしまう。展開が向いた他の馬が先頭争いをする中、バランスを崩し、馬郡に飲まれそうになる。世界王者の苦戦する姿に、乗っていた騎手も、レースを見ていたスタッフも、諦めそうになった。
だが、ジャスタウェイは諦めてなかった。
ここまで、つらく険しい道を、一歩ずつ、確実に走ってきた。
どんなに苦しくても、諦めない気持ちは、誰にも負けない、世界一のものだった。
態勢を崩しながらも、何とか馬郡を抜け出し、先頭に徐々に迫っていくジャスタウェイ。ゴールまで、わずか100m。その差が徐々に詰まり、壮絶な追い比べとなる。
「さぁ先頭ダノンシャーク。グロリアスデイズ。
そして間からは懸命に12番グランプリボスも追い込んでくる、
グランプリボス追い込んでくる。
そして、その内側からは10番ジャスタウェイ!
さぁ!残り100m地点になって、グランプリボス、グランプリボス!
その内10番、ジャスタウェイが2番手!
3番手ダノンシャーク、内を突いて11番のショウナンマイティ!
さぁ、前2頭並んだ!ジャスタウェイか、並んでゴールイン!!!」
最後の最後の最後、捉えたかジャスタウェイ!
一旦抜けたグランプリボスを、どーでしょう、
ゴール寸前かわしたか!?」
ゴール手前で先頭をとらえたジャスタウェイ。ゴール後の勢いはジャスタウェイにあったが、決着の瞬間はほぼ並んだ状態であった。写真判定の結果は、わずか十数センチのハナ差で、ジャスタウェイの勝利となった。
前走までの爆発的な切れる脚を見せつける勝利とはならなかったが、苦しい中でも一歩一歩、確実にその道を進んできたジャスタウェイの真の強さを見せつける、象徴的な勝利と言えるだろう。
重賞4連勝、その内G1レースを3勝。世界最強を証明したジャスタウェイの勝利は、この安田記念が最後だった。
秋には、フランスの凱旋門賞へ挑戦するが、8着。帰国後に挑んだG1ジャパンカップでは2着。そして、引退レースとなったG1有馬記念では、同じくラストランとなったジェンティルドンナと再戦。結果は、ジェンティルドンナが有終の美を飾り、ジャスタウェイは4着となり、その現役生活を終えたのだった。
引退後、ワールド・ベスト・レースホース・ランキングの年間ランキングが発表され、ジャスタウェイは2014年の年間1位を獲得。もちろん、日本の競走馬では初の快挙となり、名実ともに世界No.1の競走馬となった。間違いなく、日本が誇る名馬の一頭として、父と共に語り継がれていくだろう。
ジャスタウェイは現在、種馬として自身の、そして父の遺伝子をさらに残そうとしている。彼の子供からG1を勝つ馬も出ており、血の物語は、さらに続いていく。
そして、オーナーの大和屋はジャスタウェイの活躍で億万長者になれた。それを元手に新たにハーツクライの子供を買おうとしたが・・・以前よりもハーツクライの血統が値上がりして、そう簡単に手が出せなくなってしまった。その原因の1つは、もちろん、ジャスタウェイ。嬉しいような悲しいような。現在はジャスタウェイの子供を管理し、第二第三のジャスタウェイにその夢を託そうとしている。
父が紡いだ縁に導かれるように、己の道を突き進み、ついには父をも超える強さを世界に知らしめたジャスタウェイ。最後に彼を象徴する一文をご紹介する。
日本中央競馬会発行の広告、「名馬の肖像」より。
「その道の彼方に」
いま爆発の機は訪れた。
すべてを烈風で吹き飛ばし
紅蓮の炎で焼き尽くせ。
そうだ斬り込む時は来た。
銀の刃を振りかざし
魂の咆哮とともに突き進め。
もう立ち止まることはない。
坂を駆け上がった
その道の彼方にある
遥か世界の頂点を目指せ。
おわり
参考レース
2013年 天皇賞(秋)
2014年 ドバイデューティーフリー
2014年 安田記念