【朗読Bar原稿】大逃げのロマン~57秒4~
朗読Bar出演時原稿
公演日:2024年7月31日
当時読んだ内容をほぼそのまま掲載しております。
大逃げのロマン 57秒4
みなさん、競馬を見たことありますか?
競馬は、決められた距離とコースをスタートからゴールまで走り切り、その着順を競う競技。簡単なように聞こえるが、勝つためには様々な駆け引きが行われている。各馬のペース、コース取り、仕掛けどころ、そして競走馬の特徴を生かしながら、その時最適な戦術を実行してレースは展開する。
競馬における戦術は大きく4つ。スタートから先頭に立ち、レース全体のペースを作りながらそのままゴールまで走り切る「逃げ」 逃げる馬の後ろに位置取り、前方でレースを進めて終盤の要所で先頭へと躍り出る「先行」 馬郡の中団から後方で控えて、レースの後半にペースを上げ、ゴール前で他の馬を交わしていく「差し」 前半は最後方に控え、徐々にトップスピードまで上げた後半にまとめて抜き去っていく「追い込み」
サラブレッドたちは、それぞれの個性にあった戦術を、勝つために実行する。
今回は、「逃げ」の戦術を得意とした馬たちの中でも、2番手以下を大きく引き離す「大逃げ」を得意とした馬たちのお話しをします。最初から最後まで先頭を譲らない彼らは、自由か、孤独か。
「大逃げ」とは、スタート直後から常にハイペースで走り、大きなリードを確保して逃げ切る戦法だが、1000m、2000mを常にその速さで走り切ることはできず、後半にはばてて追い抜かれてしまう特攻戦術になることがほとんどだ。
しかし、時々大きな波乱を巻き起こすことがある。
人気馬がハイペースに巻き込まれて道連れにされたり、それを警戒した馬たちがペースを上げるタイミングを逃してまんまと逃げきられることもあった。
そのため、大逃げを打つ馬たちは、見るものに強烈な印象を残し、愛される存在となっている。
一生懸命に逃げる姿が多くの人に愛された馬としてまずご紹介するのが、小さな逃亡者「ツインターボ」だ。ツインターボはとても小さな馬だった。しかし、その小さな馬体が、スタートするとロケット花火のように飛び出し、ペースなんて単語を微塵も感じさせない壊滅的な大逃げを打つ。そしてゴールの遥か手間で大失速し、あれよあれよと追い抜かれ、最後は歩いてゴールを通過する。成績も振るわないこんな馬がなぜ人気なのか?それは、小さな馬体で一生懸命走る姿と、その直後の急激な逆噴射が、ツインターボの大逃げという「様式美」として、見ているものを魅了してきたからだ。そして「どうせバテて歩くんだから」と油断していたライバルたちを置き去りにして、ヘロヘロになりながら強豪たちを破って大金星を決める。そんな姿を見たいから、ファンは彼を応援する。
ツインターボが大逃げを決めたレースは2つ。1993年に行われた七夕賞と産経賞オールカマーだ。七夕賞は7月に福島競馬場で行われる距離2000mのレース。出走馬に逃げ馬が多くいたため、 先頭争いが激しくなった結果、レースは序盤から超ハイペースになった。ツインターボは競り勝って先頭に立つと、スピードを緩めることなくどんどんペースを上げていく。流れが速いまま、ツインターボは中間地点の1000mを先頭で通過。
通過タイムは・・・57秒4。2000mの一般的な1000m通過タイムは60秒前後。そこから約3秒も速いラップは、もっと距離の短いレースでしか見ることができない。明らかに異常なハイペース。滅茶苦茶なペースに徐々にばててくる各馬。もちろんツインターボも徐々にペースが落ちてくるのだが、エンジン全開で作った大きなリードはなかなか縮まらない。そして、コーナーを抜けた最後の直線。ツインターボはぶっちぎりの先頭で、バテバテになりながら懸命に走る。
福島競馬場の全ての観客が、がんばれと叫ぶ。
「さあ直線コースに入った あと200メートル余り
ツインターボ鞭が入った 懸命に粘る
外からアイルトンシンボリ ツインターボ!アイルトンシンボリ!
内からダイワジェームスはまだ3番手!
そしてスナークベスト それからハヤブサオーカンだが差がある
吼えろツインターボ! 全開だターボエンジン! 逃げ切った!!
ツインターボが勝ちました!」
ヘロヘロになりながら、ツインターボは先頭のままゴールイン。2000mの逃亡劇が決まった福島競馬場は歓声と拍手であふれ、彼の偉業を讃えていた。
ツインターボが達成したもう一つの大逃げはここから2か月後。中山競馬場で行われたG3オールカマー。先ほどよりも少し長い2200mの舞台で、3番人気、準主役にもなれないツインターボの逃亡劇が始まった。
スタートからどんどん加速し、いつものとおり派手に先頭に立ったツインターボは、2番手以降を大きく引き離す。しかし、七夕賞のように無理に追ってくる馬おらず、1番人気のライスシャワーを各馬がマークし、ツインターボは完全に無視されていた。
しかし、これはツインターボ陣営の仕掛けた罠だった。
いつものように大逃げをしたと見せかけつつ、中盤でスピードを抑え、1000mのラップタイムを59秒台と、ツインターボにしては抑えめにしつつ、リードを保ってスタミナを温存していた。「ターボについていったら巻き添えを食らう」という心理を逆手に取ったのである。
そうとも知らずに走る各馬。見た目はハイペースで逃げているように見えるためか、観客も大盛り上がり。今日はどこで逆噴射するのか。それとも連続で逃げ切るのか。そんな期待と思惑が渦巻く中、3コーナー、4コーナーと先頭を走るターボに逆噴射は起こらない。
「してやられた!」ついに各ジョッキーがターボの作戦に気付き、追いあげようと鞭を入れる。すでに最終直線へと入ったターボに届くのか。
「ツインターボが大きく逃げる!ツインターボが大きく逃げる!
そして!ライスは現在4番手!ライスシャワーは現在4番手!
さぁ、200の標識に、ツインターボがかかる!
ツインターボが200の標識を切った!
先頭ツインターボ!そしてホワイトストーンが伸びる!
ホワイトストーンが伸びる!ハシルショウグン!
その外を通って!ライスシャワーは届かないか!?
ライスシャワーこれはもう無理!
11番のツインターボ! 見事に決めたぞ!≪逃亡者≫ツインターボ!」
大観衆の目の前で完成した逃亡劇は、前走の無茶苦茶なハイペースによるものではなく、頭脳戦を展開しての快勝だった。ゴール板を駆け抜けた後のツインターボは、まだまだ走り足りないと主張するように、スピードをなかなか落とそうとしなかった。
2戦連続の勝利で大逃げの魅力を存分に知らしめたツインターボ。残念ながら、中央競馬での勝利はこれが最後だったが、彼がスタートするたびに、場内は大きな盛り上がりを見せる。たとえ「逃げが壊滅している!」とか「ツインターボの先頭はここで終わり!」とお約束あつかいされても、彼の大逃げは、多くのファンを魅了するエンターテイメントだった。
次にご紹介するのが、影さえ踏ませぬ快速馬「サイレンススズカ」。
彼も大逃げを得意とした競走馬であったが、先ほどのツインターボとは大きく異なる。様式美とされたツインターボの玉砕覚悟の大逃げに対して、サイレンススズカの大逃げは、圧倒的な速さを生かした最速の機能美。スタートから飛ばして大きく引き離してもほとんどスピードが落ちることなく、少し息を入れたあとの最後の直線にはさらに伸びて他の馬を置き去りにする。どこまでも先頭を譲らない稀代の逃げ馬。しかし、彼は最初から活躍していたわけではない。
デビューしてからの1年は特に目立った成績を収められなかったが、とある騎手との出会いで大きく変わった。日本競馬界のレジェンド、武豊だ。伸び悩むサイレンススズカの能力を見出した武は、調教師に自らタッグを組むことを直訴。スピードを抑えず、とにかく逃げる競馬に活路を見出し、快進撃を始めた。
1998年の初戦で超ハイペースの大逃げで2着以下を大きく離して圧勝。連勝を重ねて続く4戦目、G2金鯱賞では、前半58秒台のハイペースで6馬身以上の差をつけて逃げながらも、そこからさらに突き放し、最後には11馬身差、約25m以上の差をつけての勝利を収めた。あまりの強さに、最終直線に入ったところで既にスタンドからは拍手が沸き起こるほどだった。
その強さに、速さに、多くのファンが魅了された。ファン投票で出走馬が選ばれる6月のグランプリ、G1宝塚記念にも出走が決定。そして、並み居る強豪を抑えて見事勝利。年明けから5連勝で、ついにG1のタイトルを獲得した。
夏の休養を挟んだ後、秋の最初のレースG2毎日王冠。いつものようにスタートから超ハイペースで逃げ、前半1000mは57秒7というハイラップ、そして最終直線ではさらに加速してゴール。2着の馬が影さえ踏むことができない完ぺきな大逃げ。彼より先頭に出る馬は、もはやいなかった。
そして迎えたG1秋の天皇賞。東京競馬場、芝2000mのこのレースが開催されたのは11月1日。1枠1番に入ったサイレンススズカは断然の1番人気。
この頃の秋の天皇賞には「1番人気の馬は勝てない」というジンクスがあったが、当時のサイレンススズカの勢いは本物で、アメリカへの遠征を計画するほど、国内では敵なしだった。今日も1着を取ってさらに1を増やすだろう。
スタートが切られると、いつものようにサイレンススズカは飛び出し、凄まじいスピードで逃げる。中継しているカメラをいっぱいにひかないと全頭が映らないほどの大逃げ。あっという間に1000mを通過。前半のタイムは・・・57秒4。圧倒的な速さに熱狂する競馬場。約束された勝利に向けて、先頭を維持したまま、最終直線にサイレンススズカが入ってくる。
・・・・・・誰もが、そう思った。
「さぁ、ここで抑えるような格好、あぁ、ちょっと・・・
サイレンススズカ!サイレンススズカに故障発生です!
何ということだ!4コーナーを迎えることなくレースを終えた武豊!
沈黙の日曜日!!」
東京競馬場の第3コーナーから第4コーナーの内側に大きなケヤキの木がある。リードを保ったまま先頭でコーナーを回ってきたサイレンススズカは、その大ケヤキを超えたあたりで突然失速した。左前足をかばうように減速し、後続の馬たちに接触しないようゆっくりとコースの外へと逸れていき、やがて立ち止まる。
どよめきの中レースは決着するが、ほとんどの観客がレースの結果よりもサイレンススズカの状態に目を向けていた。彼は大きく暴れることなく静かに立っていた。時速60km以上のスピードを出しながらも転倒することなく、乗っていた武豊を振り落とすこともなく、ゆっくりと停止し、ただ静かに佇んでいた。
・・・明らかに折れている左前足をぶら下げ、残った3本の脚で。
観客もスタッフも、そばについている武豊も、誰もがサイレンススズカの無事を祈るしかなかった。しかし、彼に下された診断は、左前脚の粉砕骨折による、予後不良。
予後不良とは、故障した馬に回復の見込みがないという診断である。馬は堂々とした体に反して、胃腸の栄養吸収の効率が悪く、骨折の完治に長い時間を要する。加えてその間、まともに歩くことができないため、500kg以上の馬体を維持するための心肺機能や免疫力が低下し、さらなる疾患を併発させてしまう。歩行困難と疾病の発症という二重苦の枷により、予後不良の診断が出た馬に待っているのは、どうあがこうとも痩せ衰えて、やがて死に至る、残酷な未来しかないのだ。
そのため、予後不良の診断が出た競走馬は「治療および回復の見込みなし」として、安楽死措置が執行される。サイレンススズカにも、例外は無かった。
骨折の原因は、わかっていない。当時の関係者が「今までで最高の出来」と口をそろえる程の仕上がりだった。一説では、あまりのスピードに、骨が耐えられなかったのではないか、という見解もある。しかし、騎乗していた武豊も「予兆は全くなかった」と語り、「原因はわからないんじゃない、無い」と返すほかなかった。
こうして、サイレンススズカはその短い一生を終えた。絶対的な速さと、ただひたすら先頭を駆ける自由さ。美しくも激しい大逃げは、到底並みの馬にマネできるものでは無い。その唯一無二の走りは、多くの競馬ファンの記憶に深く刻まれ、今もなお、語り継がれている。
最後にご紹介するのは、世界を駆けた令和の逃亡者「パンサラッサ」
彼の大逃げは、ツインターボの壊滅的なハイペースで他の馬を巻き込むスタイルやサイレンススズカの速さを生かした二段構えのスタイルとも違う。序盤からハイラップを刻み続け、終盤減速しても粘り続けるという非常にシンプルなもの。ただ、そのラップが短距離で刻むようなハイペースなのに、1000m以上継続する。「壊滅的ではないが逃げとしては明らかに速い絶妙なペース」に他の逃げ馬は脱落し、放置しすぎると、物理的に届かないセーフティーリードを稼がれてしまう。そもそも逃げ馬でも道中多少緩めて、終盤の直線勝負に挑むのが基本の現代競馬において、「周りを気にせず道中ほとんど減速しないで、終盤は稼いだリードと根性で粘る」という小細工抜きの大逃げを戦略として戦ってきた。
パンサラッサが大逃げ戦略を確立させたのは2021年の4歳になった秋だった。初めて大逃げを決めたレースの後、次に挑んだのはG3福島記念。序盤から高速ペースで大逃げを打ち、追走する馬たちをスタミナ切れに追い込んで脱落させ、後ろからの馬たちは遠すぎて届かない。2着に約10mも差をつけての快勝だった。福島競馬場の2000mのレース、前半1000mを57秒台というタイム、そして愚直に逃げる姿がツインターボと重なったことから、「令和のツインターボ」という異名がファンの間で飛び交った。
翌年2月にはG2レースを勝利し次に挑んだのは海外のドバイ。長距離の輸送でストレスを感じ、コンディションを落とす競走馬が多い中、何を隠そう、パンサラッサは大の遠征好き。遠征の準備を察するとご機嫌になり、馬運車に乗るときの足取りは軽く、遠征先でも食欲旺盛、レースも「遠足気分で走る」ぐらいにお出かけが好きだった。このとき挑んだG1ドバイターフでも、レース前に興奮しすぎて激しいヘッドバンキングをしていたほど。テンションの上がりすぎで心配になるが、パンサラッサはむしろ暴れていた方がよく走る。お出かけパワー全開で逃げて粘るパンサラッサに、後ろから2頭が並びかけたところでゴールイン。レコードタイムの0.2秒差に3頭が競り合う名勝負は、パンサラッサともう一頭との同着優勝となり、パンサラッサはG1初制覇を海外で成し遂げた。
その後日本に戻り、勝ちきれないレースが続くが、彼の生み出すハイペースによって次々と名勝負が生まれていく。そのキャラクターは、レース中に「スタコラサッサとパンサラッサ」と実況されるほどに、みんなに愛されていく。
そして、伝説のレースが生まれる。
2022年10月30日、東京競馬場で行われたG1秋の天皇賞。当時のG1ウィナー数頭を含む4歳馬5歳馬に、若駒である3歳馬たちが挑む形となったこのレース。中でも、春の3歳G1では惜しくも勝てなかったが、その才能から「天才少年」と呼ばれていたイクイノックスが人気を集めていた。
5歳のパンサラッサは海外のG1を勝っているにも関わらず、15頭中の7番人気。有力な逃げ馬が他にもいたことと、そもそも秋の天皇賞は逃げ馬が勝つことが難しいと言われていることから人気を落としていた。
しかし、パンサラッサ陣営がやることは変わらない。ただ彼が、走りたいように走るだけだった。
スタートダッシュを決めたパンサラッサは競り合ってくる他の馬を制して先頭に立つと、いつものようにぐんぐん逃げていく。他の馬が控える中、お構いなしにハイラップを連発。一馬身、二馬身、三馬身と、どんどん突き放して、ついには10馬身以上、約25mもの差をつけた。
中継しているカメラをいっぱいにひかないと全頭が映らないほどの大逃げ。競馬場が騒然とする中、パンサラッサが前半1000mを通過。そのタイムに、衝撃が走る。
「最初の1000m、57秒4! 57秒4という超ハイペース!
パンサラッサの大逃げだ!!!」
1000m通過タイムは、57秒4。
24年前の天皇賞秋、サイレンススズカと全く同じタイムで駆けてくるパンサラッサ。ラップタイムが表示されたとき、”あのレース”を思い出した観客も少なくなかった。思い起こされる悲劇。どうか無事に帰ってきてほしいという祈り。
そして、大ケヤキを超えたその先、24年前の夢の続きを見られるかもしれないという期待。様々な思いを乗せ、会場のボルテージは上がっていく。
「さあ、パンサラッサ、もう既にケヤキの向こう側を通過して
これだけの逃げ!これだけの逃げ!!
令和のツインターボが、逃げに逃げまくっている!」
コーナーを回りきり、パンサラッサが直線コースへ入ってくる。後続はまだコーナーの途中で、その差は約20馬身、50m以上も差をつけていた。しかし、東京競馬場の最終直線は約500m。長い直線勝負に全てを賭けた馬たちが、続々と迫ってくる。だが、作ったリードはそう簡単に埋まらない。ハイペースで走り続け、残ったわずかな力で懸命に粘るパンサラッサ。誰もが固唾を飲んで見守る中、後方から「天才少年」イクイノックスが、極限の末脚で迫ってくる。
「4コーナーを曲がって直線コース!
さあ! 後ろは届くのか! 後ろは届くのか!
このまま逃げ切るのか!
ロードカナロア産駒パンサラッサ!”世界のパンサラッサ”の逃げ!
残り400を通過しています。
さあ、バビットがいて さらにその後ろからはカラテもいて
ダノンベルーガも上がってくる さらには9番のジャックドール
さらに外からはイクイノックスも上がってくが
残り200を通過している! さあ! 届くのか! 届くのか!
逃げ切るのかパンサラッサ! 外からイクイノックス!
イクイノックス届くか!! そしてダノンベルーガ届くのか!!
イクイノックス! 届いた届いた!
最後は天才の一撃!!!!
大逃げパンサラッサをここで捕らえた!
クラシックの悔しさは ここで晴らした天才の一撃!!!」
長い直線を粘りに粘っていたパンサラッサだが、最後の最後、ラスト50mでイクイノックスに差し切られ、1馬身差の2着と惜敗した。それでも、ここ数十年の天皇賞秋で逃げ馬が2着に入ったのはたったの1例しかなく、3着以下を約80cmの差で振り切った2着は大健闘と言えるだろう。また、イクイノックスがこの後海外を含むG1を5連勝し、2023年の世界レーティング1位となり、日本の歴代最強馬と呼ばれる程に成長することを考えると、非常に価値のあるレースといえる。そして何より、24年前に叶わなかった大ケヤキの向こう側の景色を見せてもらえたことに、ファンからは惜しみない拍手が送られた。
その後、パンサラッサは大きなケガをすることもなく、大好きな海外遠征に何度も連れて行ってもらい、数々の国で自慢の大逃げを披露。テンションが上がりすぎて、サウジアラビアではG1をうっかり勝ってしまい、一夜にして約13億円を稼いで、危うく歴代賞金王になるところだった。
そんな彼も2023年にレースを引退。引退レースとなったG1ジャパンカップでは、同じくラストランとなったイクイノックスと再度対戦。結果はイクイノックスの圧勝と終わったが、いつもと変わらない大逃げで会場を沸かした。彼の大逃げは決して色あせることない名勝負として今後も語られるだろう。
現在、パンサラッサは種馬としてその遺伝子を後世に残そうとしている。また、オーストラリアでの交配も予定されていて、大好きな遠足はまだまだ続くそうだ。
スタイルの違う3頭の大逃げをご紹介したが、彼らに共通するのは、その走りは、人々の記憶に強烈な印象を与え、長く愛されていること。荒々しく儚く、泥臭く美しい大逃げは、何度だって私たちを興奮させてくれる。そんな彼らの大逃げを象徴する一文を最後にご紹介する。
日本中央競馬会発行の広告、「名馬の肖像」にて、サイレンススズカの写真に添えられた言葉。
「逃げることは挑むこと」
魔物の手から逃れたいなら
先のことなど考えず
振り向かずに駆けろ
自由を得ようとするなら
失速の恐怖に打ち勝ち
前のめりに飛ばせ
常識を疑い 己が限界を否定して
摂理を覆すための 挑戦を始めるのだ
おわり
参考レース
ツインターボ
1993年 七夕賞
ツインターボ
1993年 オールカマー
サイレンススズカ
1998年 天皇賞(秋)
(ショッキングな映像ですので掲載は避けます。ご興味ある方は調べてみてください。)
パンサラッサ
2022年 天皇賞(秋)