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数%の自信
私には家庭があるのだが、先日友達と自分の最期の時の話をしていて「お前は見送ってくれる家族がいるからいいやん」と言われた時に、確かにそうなんだけど「何も知らずに何を言ってるんだ」と思ってしまった。
結婚、子育て、全て人間関係の話だ。
もちろん愛情あっての人間関係ではあるけども、それでも結局は全て他人であると思っている。
こういう言い方すると非情な人間だって思われるかもしれないけども、他人だと思っているからこそ尊重できると言うか、妻であろうと子どもであろうと1人の人間として向き合っているつもりだ。みんな考え方も感じ方も違うし、自分の考えや価値観を押し付けようとは思わない。
ひとつ屋根の下に過ごしていて、自分の部屋はないので1人になりたくてもなれない時は沢山あるし、1人で過ごしていたら楽だろうなぁ、と思うこともある。
なので、友達に家族がいていいよねと言われた時に何か引っかかったのは、家族がいたらいたで人間関係での悩みは増える。
夫婦関係、子どもの世界でのトラブル、学校生活。やはり経験して思うのは、結婚や子育てと言うのは相当の覚悟がないと難しいと言う事だ。子どもが成人するまでは夫婦がどんな形であっても愛を持って責任をもって育てていかなくてはいけないし、夫婦もお互いに尊重していかなくては上手くいかない。
なる様にしかならない部分もあるが、物事に柔軟に対応していかないと子どもの価値観や人間性も固定化されてしまう可能性があるし、夫婦の関係も拗れてしまう時がある。
あとは、私は母親が他界しており、父親も先はそんなに長くない。
対して友達は両親が健在だから、私に比べて甘えられる場所がある。こちらは誰かに甘えられる場所がほぼ無い。
これらの事を知ってか知らずか、簡単に「いいよね」と言われてこちらの気も知らずに、、、と思ってしまった。
言ってしまえばお互いただの無い物ねだりなのだけど、お互い様だよ、とは言えず何かが引っかかってしまったのにはもうひとつ理由がある気がする。
自信が無いのだ。
結婚生活と言うよりはおそらく子育てだろう。
子育ては正解がないし、正解に似た物が得られるとしたら、子どもが大人になってからだろう。
だから、自分(達)が今やっている事に100%の自信は持てない。数%、数十%くらいの自信の無さ、それを友達の「家族がいていいよね」から気づかされたのだろう。
かと言って自信が無いわけでもないし、それに気づいたから今すぐこれをやろう!となるわけでも無い。
自信の無さに気づけた。その事実だけで今はいい気がする。
こういう何気ない会話から自分の事を知る、というのはとても面白い。
まだまだ自分自身も気づけない、隠された自分がいるというのはとても興味深くてワクワクする。
この続きは明日の自分に任せよう。