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大学入試
今日の振り返りは大学入試編です。
これにも色々ありました。
まず初めに、先生方を振り回しご迷惑をかけたこと、謝罪します。
進学先の決定
高校までは正直、だいたいみんな同じことやりますよね。私の高校は専門性があるところではありましたが、そうは言ってもって感じです。
普通校に至っては(行ってないので分からないですが)、恐らくどこでも同じぐらいの進度で同じような勉強をするんだと思います。
大学に行くとなると、より専門性が高まるので、将来なりたい職業や、学びたい分野を決定し、大学を決めなければなりません。
私は正直この時点ではなりたいものもよく分かってなく、でもやりたいことは色々あったのでとても悩んでいました。
高校1年の時には、九州大学の21世紀プログラムという、学部を超えて様々な学びができるというところに行きたくてオープンキャンパスまで行ったのですが、そこが廃止されてしまい、3年生の時点でまた振り出しに戻っていました。
そんなこんなで、なりたいものの中から選んでいたのは
医療情報技師についてを 学べるところ、表現(舞踊)を学べるところ、などでした。
私の家庭はあまり裕福ではないので、国公立というのが条件でした。
そこで、九州工業大学、前橋工科大学、福知山公立大学、お茶の水女子大学など、様々な大学を考えており、進路希望調査の度に違う学校を書いていました。(お騒がせすぎ)
日本にある大学、国公立大学だけでも沢山あって(今調べて見たら国立と公立合わせて186校でした。)、この中から行きたい大学を探すのは本当に至難の業でした。
正直決まらなさすぎて、めんどくさくなって、調べるの諦めたりしていたのですが、そんな時に母が教えてくれたのが熊本大学でした。
しかも法学部。私の高校は工業高校だったのでセンター試験を受けることが出来ず(教科が足りないかなんかでした)、受験方法は基本推薦でした。
熊本大学の法学部は、私の時は、面接、小論文、調査書とかだったので(記憶曖昧ですみません)、なんかいけると思いました。また、物理の先生ともちょっと揉めたので、物理の進学補習を受けなくていいように、理系には行かないと決めました。そのまま熊本大学法学部を第1希望で夏休みの三者面談を迎えます。
母 VS 担任
三者面談と言うか、副担任も含めた四者面談だった記憶があります。
まず担任から、
・法学部は厳しいからせめて文学部
・推薦だけじゃなくてAO入試も受けるべき
と言われました。また滑り止めの私立について母と担任でバトルが勃発します。
母▶︎私立は受けさせない
担任▶︎何があるか分からないから私立も受けるべき
これに関しては、担任のことは苦手だったものの、少し担任の意見も理解出来ました。本当に全ては結果オーライで合格したからよかったものの、もし落ちていたら大変なことになっていたと思います。
私立に関しては、大学編入コースのある専門学校を、以前揉めた物理の先生から紹介されていたので、最悪そこかなぁと思いつつ、揉めた先生に紹介されたからなぁと嫌な気持ちもありました。はぁ、結果オーライ。
結局、文学部のA0入試、それがダメだったら推薦入試を受ける、もしダメだったらその後考えるということでその場はまとまりました。
AO入試
そもそもAO入試受ける気持ちあんまりなかったんですよね。なんでかと言うと、AO入試合格→海外系のコースへの進学が確定するから。受験方法も、英語面接、グループワーク、小論文、面接でした。私は英語が中学の時から得意じゃなかったので、絶対無理だろうと思っていました。でもまあ、推薦入試の練習として、やるだけやるか、推薦が本命みたいな気持ちで取り組んでいました。
小論文の練習は仲が良かった国語の先生にお願いして、沢山やりました。正直その時も全力でやれていたかと言うとちょっと自信はないです。英語面接に関しては、英語の先生何人かにしてもらいましたが、ほぼ出来ず、ヘラヘラ笑っていました。受験前日もしてもらいましたがあまり出来ず、こりゃやばいと思いながら、個人面接なら『私のやりたいことはここにあります』的なこと言って、印象づけていけばどうにかなるかと、ずるい技使おうとしていました。
この時点で周りのみんなはほとんど就職が決まっており、若干の焦りを感じつつも現地に向かいます。
1次入試
確か1次入試は調査書と志望理由書(日本語と英語)だったと思います。
志望理由は正直に書くと、「内容的にいけそうだったから」となるのですが、さすがにやばいので色々理由をつけました。
・小さい頃から平和を学んできて、その学びを深めるために紛争解決論などを専攻にしている先生の元で学びたいこと
・理系を高校で学んだので、文系を大学で学び、多くの視野を持ちたいこと
などなど。
後付けの理由ですが、どれも嘘はありません。
よく分からないまま、何とか合格出来ました。
2次入試
入試の時には熊本に住む親戚の家にお世話になり、前日は下見&熊本の街で買い物をしました。勉強しろって感じですが、なんかもう今更足掻いても無駄かという気持ちがありました。また街で遭遇した熊本の高校生たちがスカートが短いのにビビって(化粧してる人とかもいたし)、受験当日は少しスカートを上げていきました。
朝から早めについて広場で待っていたら話しかけてきてくれた人が何人かいて、少し緊張もほぐれました。そのうちの一人から、私は英語面接が個人面接だと聞いていた(過去問にはそう書いてあった)のに、集団面接ということを教えてもらい、私が考えていたずるい作戦が使えないことが直前に発覚します。
まあでもやるしかないので、英語面接は気合いで乗り切り、グループワークも何とかいい感じに終わりました。集団面接だったから質問の意味は分からなくても周りの人の答えから何となく想像ができたり、結果オーライでした。
また、あとから知ったのですが、その時に面接をしてくれた先生がスイス出身で、私も留学に行くならスイスに行きたいと言ったので、なんかハマった気がしました。
小論文では問題用紙の誤字を見つけて焦りました。まさかこんなちゃんとした場で誤字があるとは思わないし、ここで先生に言うべきなのか否かを葛藤しながら小論文は書きました。
その後の面接で、小論文に書いた数字の計算ミスを指摘され、やばいと思いつつ、何とか入試は終わりました(テーマが戦争の事だったので、第二次世界大戦のことと絡めようとして1945年が今から何年前かを計算して書いたつもりが、筆算までしたのにミスってました)。
正直手応えはなかったものの、謎に自信がありました。一日目の後には街でご飯食べたりしてたし、正直余裕ぶっこいていました。
合格発表
でもやっぱり合格発表の時にはそれなりに緊張しました。
ネット発表だったのですが、私より先に母が見ていて、母からのメールで合格を知りました。
とても喜んでくれていて、正直、母を喜ばせることが出来たことが、私は嬉しかったです。
おかげで学校行事も安心して取り組むことが出来ましたし、無理だろうときっと思っていただあろう先生たちを見返すこともできたと思います。
このことを始め、私は本当に運と周りの人のサポートだけでここまで来れていると思います。実力なんてないし、全力で頑張れることもありません。
本当に周りの人に大感謝です。
長くなってしまいました、ここまで読んでくださりありがとうございます!
あなたの明日が素敵な日でありますように。