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中学生活
夜中に更新するといいつつ、結局遅くなってしまいました。
これは昨日の分なので、今日は2つ投稿します。
もう既にこの時点で計画性の無さが露呈していますが、頑張ります。
中学校生活
中学生って、小学生より自我が芽生えるというか、自分の意思みたいなのがしっかりしてくる時期だと思います。思春期というのもあり、この頃、父と2ヶ月ぐらい口を聞かない時期もありました。
私はこの頃は、結構自分の意見を後先考えず言ってしまっていました。自分と合わないと思う先生と揉めることも多く、部活動の先生と合わなくて辞めたり(これは新体操クラブの先生をはじめ、多くの人にご迷惑をかけました)、担任の先生と喧嘩してしばらく不登校になったり(まさか自分が不登校になるなんて、と驚きました)、この時に初めて心療内科に行ったりしました。
それでも、今は義務教育で守られているけど、高校に行けなくなるのは困るという気持ちもあり、なんとか復帰し、生徒会役員に入ったり、みんなの前でピアノ伴奏をするほどまでに復活を遂げました。
ほんとに変動が激しい3年間だったと思います。
習い事と不登校
途中で空手は辞めました。あと一回審査を受ければ黒帯だったので、それは後悔していることです。
新体操は相変わらず続けていましたが、小学校まで一緒にしていた周りの子達が、新体操部のある私立中学に進学してクラブチームを離れたり、中総体で引退したりと、どんどんチームを離れていく時期もありました。先生にも反抗的な態度をとったり、困らせるようなことを言ったりしていたと思います。しかも、不登校になった時期に新体操にも行きたくなくなり、この時が最初で最後の新体操が嫌な時期でした。
不登校になったのは中学2年生の時で、きっかけは本当に些細なことでしたが、絶対に負けたくないと思い(何に?)、休み続けました。
この頃、母が祖母に電話で相談してるのを聞いたりして、少し申し訳なく思ったりもしました。
初めて行った心療内科では、カウンセラーという職業の人と初めて話し、最初に「マンガが好きなの?」と聞かれ(待合室でマンガを読んでいました)、「ああこうやって緊張をとこうとしてるんだなぁ」とか、なんか達観していたのを覚えています。絶対に今の自分だったら関わりたくないと思う、生意気な中学生です。最初は、話したところでと思いつつも、話していくうちに楽になり、カウンセラーという職業に興味を持ったりもしました。(後に大学で、心理学にも手を出すきっかけでした。)
その後、教室には通えない子達が通う、専門の教室(保健室登校のようなもの)に通うようになり、そこに来ていた専門の先生に、「自分はいつもここに来ている子に給食を届ける様な立場だったから、まさか自分が給食を持ってきてもらう立場になるとは思わなかった」と話したら笑われた記憶があります。これは全然嫌な記憶ではなく、笑ってもらえてよかったと思いました。
そんなこんなでしばらくそこに通い、そこで勉強もして、何とか教室に復帰しました。
その後しばらくして、合唱コンクールで伴奏を弾きたいと思い、ピアノを習い始めます。ピアノを習い始めるととても楽しくて、毎日、何時間も練習しました。新体操とピアノでほぼ私の毎日は埋め尽くされていました。
合唱コンクールだけでなく、学校のイベントや夏祭り、集会時の校歌の伴奏なども任され、好きなことで周りの役に立てるのが嬉しかったです。もちろん新体操も人数は少なかったけど楽しくて、好きなことを沢山できて幸せな期間でした。
学校生活(補足)
割と派閥が別れる時期で、ちょっと色々言われることもあったけど、小学生の時ほどダメージは受けなかった記憶があります。
仲良くしてくれる子もいたし、何より好きなことが出来ていたことが、私の支えになっていたんだと思います。
今でもですが、中学生の頃が特に多くの人に迷惑をかけた時期だと思います。それでも見放さずに支えてくださった方々がいたから、私は道を踏み外さずに(?)、無事に高校にも進学できたのだと思います。
そして嫌なことがあっても気分転換ができる様な、自分の支えになるような何かが必要だとも感じました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
今日はもう1つ投稿します!