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私と和歌山の旅 1 潮岬

ちょっと以前の旅についても知りたいとリクエストいただいたので先日に引き続きちょっと和歌山について綴りたいかな〜と思ったのでお付き合いいただければと思います。

 和歌山に久々に行ったのはかれこれ6年くらい前ですかね〜、当時、まだ家族でキャンプを楽しんでいたころなのですが、冬はやっぱり寒いので暖かいところに行こうとしてなんと20年ぶりくらいに和歌山に行きました。

すさみの海

 久々に見た和歌山の海はとてもきれいでした。

 キャンプ場に行く前にひとつ行きたい場所がありました。

潮岬灯台

 私、灯台が好きなんですよね〜、広い海が見渡せて、「あー、遠くへ来たな(´∀`)」って感じがして。

不登校児の息子

 私自身も旅は好きなんですが、長男の方が中学から不登校になってしまい、学校行かないだけで特に暗い感じはないんですが、どうせならスカッとしたいい景色でも見に行かせたいな、という思いがあったのであちこち連れて行きましたね。

太平洋を一望
階段を降りる息子

 灯台にも上れたので、目的地のキャンプ場へ。

 本州最南端にある潮岬キャンプ場がこのときの目的地なんですが、最南端の地形はよく見ると、

これだとどうなってるかわからないですよね、

   実は…

詳しく見るとこんなカタチの半島になってます

 またGoogle mapsで見たらきれいな芝生の画像が載っていたので、楽しみにしてキャンプ場に行くと、

柴焼きのあと

 チーン、どうもこの前の週に焼き払われたみたいです(-。-;
 ここ潮岬では毎年1月末に芝焼きが行われるらしいです。

芝生の先にある小屋

 なんだろうと思い入ってみると、

木曜島移民とは?

 はじめは何の展示がわかりませんでしたが、どうも明治から第二次世界大戦前まで多くの日本人がボタンの材料として貝殻を採取するために出稼ぎに行き、その中にはこの和歌山県の串本町の人が多かったようです。とても危険な作業で潜水病などで命を落とした日本人は約800人もいたと言います。

ボタンに利用される貝類
デレと呼ばれた潜水服

 私はこのときまで日系移民が南米以外の場所にいたことをあまり知りませんでした。

 今思えばここからです、私の移民史探究が細々とはじまったのは。

 この日はその後キャンプをして焚き火したりして、テントで寝ました。

 そしてここに来て1番の楽しみだったのはこれです、

太平洋に拝む朝日

 私たちが住んでる大阪湾周辺の地形からだとこういう加減で朝日がなかなか見れないんですよね〜、よかった〜、来て〜(*゚∀゚*)

焚き火しながらのスープが美味しい

 冬キャンはとにかくずっと焚き火にあたってますね。家のほうが確実に暖かいんですが、なんでなんでしょうか?わざわざ手間暇使って寒い思いをして自然火にあたるこの行動笑
 
 でもこれが家では味わえない暖かさなんですよね〜

 ただこのキャンプ場、以前は無料でいつでも利用できるいいキャンプ場でしたが、一年くらい前からは利用期間が短くなり、有料になったらしいです(T ^ T)

 まぁ、コロナもあり、キャンプブームでマナーとかいろいろ問題になっていたし仕方ないですね。

つづく

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